107
正暦2025年 10月15日
マーゼス大陸 イリーニア半島 ダウォンポート
ダウォンポート港
ソ連本土からやってきた貨物船は無事にダウォンポートに到着していた。
貨物船から荷下ろしされているのはソ連陸軍の新型主力戦車のT-14とT-20だ。T-14はT-80などの置き換えとして開発された無人砲塔を採用した汎用戦車。一方のT-20は欧米諸国の新型戦車計画に対抗するうえで130mm滑空砲やレールガンの搭載を想定した新世代戦車である。どちらも歴代のソ連製の戦車に比べると製造費がかなりの高額だが、それでも西側陣営に比べれば調達費は安価だ。
「この大陸にこれほどの新型戦車は必要なのか?」
「アレだろ。実戦でのデータ取りじゃないか」
港を警備している兵士たち。といっても、襲撃らしい襲撃は来ていないのでこのように雑談している時が多く。上官もいちいちそのことで怒ったりはしていない。上官も上官であれこれ注意して部下たちに恨まれたくはないのである。
ちなみに、兵士たちは知らないが今回マーゼス大陸に投入されることになったT-14とT-20はいずれもシステムなどに若干の変更が加えられたモデルチェンジ型である。ソ連では初となるシステムの一部がAI制御になっているなどの変更が加えられているので、実戦を含めて様々なデータを得るためにマーゼス大陸に送られた。現に、技術者たちも一緒になってマーゼス大陸入りしている。
まあ、持ってきたはいいが今現在地上での戦いは殆ど起きていないのでしばらくは駐屯地で置物状態になる。それでも、データ事態はとれるので技術者たちはそこまで気にしてはいなかった。
イリニーア人民共和国 ヴェントレー
ダウォンポートから北に200kmのところに位置するイリーニア共和国の首都であったヴェントレー。
現在は、ソ連の傀儡政権であるイリーニア人民共和国の首都となっており、ソ連軍のマーゼス大陸派遣軍総司令部なども置かれるなど、ソ連にとってはマーゼス大陸支配の前線拠点となっていた。
イリーニア人民共和国は「イリーニア社会党」による一党独裁体制がとられている。イリーニア社会党は従来からこの国で活動していた社会主義政党だ。ソ連による占領によってそれまでイリーニアにあった政党の大半が活動禁止にされた中で社会主義政党だったため唯一解散を免れ、そのままソ連の進駐軍の指示によって傀儡国家である「イリーニア人民共和国」を率いる立場になった。
とはいえ、あくまでその立ち位置は「名目的」なものであり実際に国を動かしているのはソ連本国から派遣された官僚たちが実質的に行っている。大統領や大臣などは飾りに過ぎない。
「お飾りとはいえまさか私が大統領になるとはな」
大統領官邸の執務室の椅子に座りながら自嘲気味に呟く現大統領。
机の前には書類が積み重ねれているが、これらの書類にはすでにソ連官僚によるサインが書き込まれている。大統領の仕事はそれらの書類に目を通すだけ――形式的なものでしかない。この書類に書かれていることを大統領が反対することはできない。そんなことをすれば大統領はこの椅子に座り続けることはできないだろう。
社会主義政党を率いていた現大統領だが、内心では他国の傀儡になっている現状を憂いていた。だが、自分たちが生き残る道はそれしかないというのも頭では理解していた。だからこそ、反抗せずにただ言われた通りに仕事をしているのだ。
市内にいけばあちこちに完全武装した兵士たちが目を光らせている。
基本的に無害だが、その圧力に多くの市民たちは怯えながら生活している。かつての大統領たちは首都陥落前に隣国へ逃げ――今はマルシアで亡命政府を築いている。もっとも、国を奪還する見込みは今のところないに等しいようだが。
「マルシアがここまで苦戦するとはな……」
最初の頃は積極的な攻勢に出ていたマルシアの南部管区軍。
しかし、ソ連陸軍の前に攻勢はすべて防がれ今は山の向こう側にこもっている。一応は、冬が明けるまで戦力を整えるという名目になっているがつまりマルシアは長期の戦いを覚悟したということだろう。長期戦になればソ連も補給などの問題が出てくるので、疲弊したところを一気に叩くつもりなのだ。まあ、それがうまくいくとは大統領は考えていなかった。
まず、捕球面だがすでにソ連は大陸南部の占領地で農作地の改良などを行っている。ソ連本国などからもってきた農作物が栽培されているし、燃料などもソ連得意の人海戦術で採掘が行われていた。なので、わざわざソ連本国から持ってこなくても問題ないくらいにはソ連は物資に困っていなかった。
まあ、兵力という面ではソ連はマルシアなどにはだいぶ劣るが、それは兵器の差で覆せるものだとソ連側は考えていたし、大統領も同様の考えをしていた。それだけ、ソ連の兵器とマルシアの兵器の差は離れているのだ。
「閣下。会議の時間です」
「……すぐに行く」
秘書に促されて席をたつ。
会議といっても彼らはただソ連の官僚たちの話を聞くだけだ。
それでも、これが彼にとって出来る唯一の仕事であった。
連邦歴660年 10月16日
マルシア連邦 首都・フォスター
ソ連の軍事侵攻によって始まった戦争。
前線は未だにマルシア連邦から離れてはいるが、それでも戦争の影響はマルシア本土にも及ぼしていた。まず、目に見える影響――それは、ソ連軍による空爆だ。ソ連は戦略爆撃機を連日のようにマルシア連邦本土へ飛ばしており実際に軍事施設などに対しての爆撃を行っている。その、爆撃の矛先は軍事施設以外にも向けられており、爆撃によって死亡した民間人はすでに数千人規模にふくれていた。
これもあってマルシア国民の対ソ連感情は非常に悪く、現在の国内世論はソ連に対して徹底抗戦を訴える声が多数になっており若者を中心に徴兵制の復活を政府に訴える抗議活動まで連日のように行われるほどになっていた。
これに危機感を募らせているのだが、ベルモンド首相だ。
国内世論が極端に偏ることをベルモンドは今後の国家運営に悪影響を及ぼすと考えていた。しかし、与党内で彼と同様の考えを持つ者は非常に少なく大半の議員は世論の声を受けより過激な主張をするようになっていた。
「仕掛けられた戦争だけに厄介だな……」
後ろ向きと見られているベルモンド政権の支持率は急落している。
それに焦りはあるが、だからといって世論に迎合するような真似をベルモンドはしたくはなかった。ただ、そのような態度に与党内から不満が噴出する形になっており無責任なメディアは「首相退任間近」と報じるなど徐々にであるが退任へ外堀を埋められている状況にベルモンドはどうにもできないとばかりに頭を抱える。
「今、ここで私が辞めれば後戻りできなくなる……なんとか先延ばししなければ」
とはいえ、来年まで政権を維持出来るかといえば答えは難しい。
与党の一部が野党といっしょに内閣不信任案を議会に提出しようとしている。仮に可決されれば内閣は崩壊する。次の内閣はおそらく「挙国一致内閣」とめいうって与野党問わずに主戦派が集まった政権になるだろう。
そうなれば、待っているのは泥沼の戦争。
最初の内は「ソ連討つべし」で一致するだろう。
だが、それも戦争が長引けば確実に厭戦気分が国に広がる。
はたして、そうなった時軟着陸出来るだろうか――ベルモンドは難しいと思っていた。
「ベルモンドも終わりだな。侵略者に対話出来るのではないかなどと甘いことを言っていれば見放されるのも当然というものだ」
そう言ってほくそ笑んでいるのは防衛大臣。
政府の一員でありながら、首相が窮地に立たされているのを喜んでいる彼は元々ベルモンド首相とは異なる派閥に属している政敵というものだ。同じ党内でも細かい主義主張というのは異なるもので、ベルモンド首相と防衛大臣は当選回数も近く党内でも幹部クラスの地位にいることから代表を常に争っていた。そして、数年前の代表選挙で大臣はベルモンドに敗北。
防衛大臣という閣内でも高い椅子は与えられたが、いずれはベルモンドにとってかわって自分が権力を握ってやる――と、内心で思い続けていた。
今の状況は彼にとって自分が首相になれる最大のチャンスだ。
党内でベルモンドに不満を持つ勢力をまとめたし、野党とも協力をとりつけることに成功した。あとは、ベルモンドを首相の椅子から引きずり下ろすだけ――しかし、それがおそらくいちばん難しいだろう。
だからこそ、手っ取り早く首相の椅子からどかせるために不信任案の提出が進められていた。
「これで次の首相はこの私だ――ん?」
にんまりと愉悦に満ちた笑みを浮かべていると、この数ヶ月あまりすっかり聞き馴染んだサイレンが街中に鳴り響く。それと同時に電話のベルが鳴り響く。いい気分になっているところに水をさされることになった大臣は不満げに鼻を鳴らしながら受話器を取る。
「――わかった」
電話の内容は予想通りのものだ。
国籍の――まあ、十中八九ソ連軍だ――航空機の存在を首都近郊の防空レーダーが捉えたので空襲アラートを発令したというものだ。ここのところ連日のようにやってくるソ連の爆撃機。大半は挑発だが時折、軍事施設に対して空爆も行っている。全体の被害としてはたいしたことはないが、これまで攻撃を受けてこないマルシアにとっては衝撃は計り知れないものであり、だからこそ反ソ感情が強まった。
「ベルモンドを失墜させるのにちょうどよかったが、こう続くと目障りだな……」
そう。ソ連は別に彼らに味方しているわけではない。
むしろ、普通に敵である。敵の行動で政敵を追い落とすことができただけで戦況が悪いという部分はベルモンドがいようがいまいが覆せない事実である。ただ、防衛大臣はそこまで事態を悲観していなかった。
これは、マーゼス大陸が自分たちのホームであること。ソ連軍はそれほど部隊を増員していないという報告を聞いているのが大きい。つまり、ソ連はマーゼスにそこまでの兵力を避けないのだ。
その理由までは彼らにはわからないが、いくら性能の良い兵器を多く揃えていても数の上ではマルシアが大きく有利にたっている。つまり、時間がたてばたつほど苦しくなるのは相手のほうだということだ。
だからこそ、防衛大臣などは強気の姿勢でいられた。
「侵略者め。でかい顔ができるのは今だけだぞ」
空を睨む防衛大臣。
目に入る空は苛立たしいくらいにすっきると澄み切った青空が広がっていてとても首都に危機が訪れているようには見えなかった。
結局。この日もソ連からの攻撃を防ぐことはできなかった。
ソ連の爆撃機は極超音速巡航ミサイルを投下した後、迎撃機から逃げるように領空から離脱し基地へ戻った。そして、投下されたミサイルはフォスター近郊にある空軍基地に着弾。新鋭機を含む多数の戦闘機が失われフォスターの防空能力が大幅に低下することになる。
その、3日後。
議会下院でベルモンド内閣に対しての不信任案が提出。与党からも造反者が出た結果下院で可決し、ベルモンド内閣は崩壊し、ベルモンドも首相を退任することになった。
後任の首相はベルモンド内閣で防衛大臣を務め、彼と意見を対立させていたエミル・タイラントが就任することになった。タイラント首相は野党の一部とも連立をくんだ「挙国一致内閣」を成立させ。侵略者であるソ連と前面対峙していくことを就任時の記者会見で述べている。
第1空母任務部隊にダウォンポート空襲という命令が届くのはその1週間後のことであった。