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正暦2025年 10月9日
千葉県 船橋市
京葉国際空港
「……ここが日本か」
「テロがあったようですが、それほど混乱は見られませんね」
不審に思われない範囲で空港を見渡す二人の男は、シドニー経由で来日したリヴァス共和国外務省から派遣された大使館職員の第一陣だ。
本来はもう少し早く来日する予定だったのだが、日本でテロなどがおきたことから来日を一時見合わせていたのだ。
「だが、警備はかなり厳重のようだな」
「そのようですね……私服警官も結構紛れているようです」
二人共リヴァス外務省に所属している外交官という肩書だが、本当の所属はリヴァスの情報機関だ。ただ、外務省に出向しているので外交官として一応きちんと活動はしている。まあ、日本やアメリカでも情報機関の人間を外務省に出向させて当該国の情報収集活動を行っているのだから別に不思議なことではない。ソ連や北中国などは大使館を堂々と諜報の拠点にしているほどだ。
「ともかく、これから忙しくなるぞ。アトラスやオーストラリアから話は聞いているが、俺達の目で『日本』を見る必要があるからな」
「そうですね……事前情報を見る限りいい国のようですが」
「あの、アトラスからも太鼓判を押されているからな。だからこそ、テロの影響が気になる」
「空港を見る限り、警備が少し厳しいなったくらいですね」
実は入国審査も厳しくなっているのだが、日本に関する知識のない二人はそのことに気づかなかった。彼らからすれば厳しくなった日本の入国審査は「普通のもの」に感じられたからだ。
このことをあとで知った彼らは「この国はずいぶんと平和ボケしているのでは?」と思ったが、実際にはリヴァスなどの入国審査が地球のものとくらべて数段階厳しいだけであった。
要は世界観ギャップというやつであった。
「町中も特に変わりはないですね」
「そうだな――それにしても、ずいぶんと発展した都市だな」
「首都の人口は1000万人だそうです」
「一極集中が進んでいるのか?」
「平地が少ない国らしいですよ」
「それで総人口が2億人なのか……」
「それでいて自然環境も比較的保たれているって意味がわかりませんね」
移動中に日本に関する情報を見る両名。
彼らから見ても日本という国は色々と異常に見えるらしい。日本人からすればリヴァスやアトラスのほうが異常に見えるが、もうこれは異なる世界が融合したから起きる認識の違いであった。
まあ、そもそもとしてテロがおきて犠牲者が出たにもかかわらず首都の住民たちは普段と変わらない生活をしているというのも彼らからすれば異常なことだった。
正暦2025年 10月9日
パキスタン共和国 イスラマバード
インドとの戦争に実質的に敗北したパキスタンは現在、内戦真っ只中であった。インドとの停戦を半ば強行した政府に対して、パキスタン軍が武装蜂起したのだ。ただ、軍も一枚岩ではなく一部には政府側に立った勢力もいたため、現在パキスタンは南北に分断し戦闘状態になっている。ちなみに、首都を含めた北部は軍主導のクーデター勢力や武装勢力が掌握し、最大都市のカラチなどがある南部は政府側が掌握し、これにインドやイランといった近隣国が支援していた。北部も秘密裏に北中国が武器などの支援をしているので、この内戦は北中国とインドによる代理戦争にもなっていた。
首都であるイスラマバード。
現在はクーデターを主導した軍部主導の「救国会議」による統治が行われている。ただ、軍の中でもインドとの融和を求めた勢力がごっそりと抜けたことから戦力的な意味では南部の政権側とほぼ互角であった。
そこで、軍事政府は北中国に支援を求めていた。
「このままでは、パキスタンはインドの属国になってしまう!そうなったらそちらも困りますよね?」
軍事政権の外交責任者と会談しているのは北中国大使だ。
状況が状況だけに焦りをみせるパキスタン側に対して、北中国大使は表情を読めないほほえみを浮かべている。見る人が見れば「胡散臭い」といえるだろう。実際、この男はただの大使というわけではない。
「たしかに我が国としましては、周りが敵だらけになるのは困りますね。とはいえ、我が国が直接的に動けばソ連も動きを見せることになりますし……大々的な支援もまたソ連がインドへの支援を強化する結果にもなってしまいます。これ以上の支援はかなり難しいですねぇ……」
「せ、せめて武器弾薬だけでも追加はお願いできませんか?」
「――本国には私から話をしておきましょう。ただ、良い返事が来るかはわかりませんよ?」
「そ、それでも構いません」
どんな形であれ支援がほしい外交担当者は必死に頭を下げる。
転移前ならば関係が以前ほど薄くなったとはいえ、アメリカの存在があったのだが、今現在彼らが頼れるのは北中国しかいない。今回の会談をする前まで外交担当者は北中国も自分たちが倒れれば困るだろう、と少し楽観的に思っていたのだが、北中国大使の態度から北中国側はインドと逆に接近することでパキスタンを見捨てる可能性を彼は感じ取ってしまった。
自分たちを切り捨てるのか、と内心複雑な心境を持ちながらも外交担当者になったことから表情には出さず、なんとか今後も協力してくれるように頼み込む。その結果の答えは――それほど芳しいものではなかったが断られないだけマシだと彼は思うことにした。
会談を終えた大使に部下が声をかける。
「だいぶ、切羽詰まっているようですね。あちらは」
「まあ、仕方がないだろう。イランとインドが手を結んだんだ。保守派からすればなんとしても人民解放軍を引き込みたいのだろう」
「そんなことをすれば……」
「ソ連が出張るのは間違いないし、北京は解放軍を送るとは考えない。だが、解放軍の脳筋はそんなの考えずに暴れるために軍を出そうとするだろうな」
呆れたようにため息を吐く大使。
そのソ連は、マーゼスで順調に占領政策を実施しているらしい。ダストリアよりも上手くいっているという話も風の噂で聞いており、北京の指導部がかなり気にしているらしい。ちなみに、そのダストリアは現在レジスタンスの動きが活発になっているため、治安維持のための武装警察が増備されているらしい。そこでも、解放軍が出しゃばろうとして武装警察と揉めていた。
(脳筋どもは本当に……)
アメリカと日本が消えたことで解放軍の枷は半ば外れてしまったのは痛い、と大使は内心で頭を抱える。まあ、それよりもパキスタンとインドの問題のほうが彼にとっては頭が痛い話だが。
これも、解放軍の一部が暴走し、それにパキスタン軍の過激派まで乗っかったのだ。それで、戦争に勝てたならば問題はないが結果はほぼ敗北だ。序盤は、奇襲を仕掛けたこともありインド領の一部を占領したが、すぐに物量にまさるインド軍によって押し返された。それに慌てた軍部過激派は戦術核の使用まで本気で考えたらしいが、そんなことをすれば中東まで巻き込んだ「ユーラシア戦争」になると危惧した政府が動いた結果、インドとは停戦したが実質的にパキスタンがインドに降伏する形で戦争は終わった。
もちろん軍の過激派は激怒し、クーデターを起こし最終的に今のような内戦に発展したわけだ。この内戦でパキスタン国民はインドやイランなどの近隣国に難民として大量に移動。これによって近隣国の治安まで悪化した。
インドがカラチに逃れた政権側に肩入れするのは当然だが、よもやイランまで積極的にカラチ政府に手を貸すとは想像もしていなかったが。それだけ難民の問題もそうだが、近くで中ソ双方に暗躍されるのがイラン政府にとって我慢ならなかったのかもしれない。
(確実にイランの背後にはトルコがいる。あの地域で屈指の大国であるイランやトルコを敵にまわしたくはないな)
どちらの国も中東屈指の地域大国であり、地域に強い発言力を持つので大使とすればあまり敵対はしたくない。なにせ、両国共にソ連を敵視しているのだ。その背後に日本やアメリカがいるため信頼できる相手ではないが、対ソ連という部分では協力できるだろう、と思っていたのだが今の時点では協力を取り付けるにはかなり骨が折れそうな状況であった。
(だが、脳筋どもはそんな細かいことを気にしないからなぁ……ああ、胃が痛い)
痛む胃を気にしながら大使は本国に報告するために机に向かった。
正暦2025年 10月11日
ソビエト連邦 モスクワ
クレムリン
「日本でテロ?一体どこが動いた」
「どうやら極右勢力による爆破テロのようで目標は革新政党と与党だったようです」
「それで状況は?」
「テロ実行犯はすでに日本の警察によって検挙されており、日本国内は多少の混乱はあったようですが。現体制に影響は出ていないようです」
転移前ならば日本の混乱は「チャンス」だったわけだが、遠く離れた今聞いても「そうか」という感想しか浮かばないゴルチョフ。ただ、日本の極右団体がそこまで過激な行動を出るとは思っていなかったので内心では驚きはしていた。
ソ連は、日本とアメリカの関係を少しでも危うくするために様々な工作をしていた。右翼団体に声をかけたりしたのもその一つだが、主義主張がまるで違う勢力の面倒を常に見ている――というわけではない。
「ちなみに、我が国の関係者が関与していた可能性は?」
「恐らくないかと。日本に潜伏していた工作員の大半はすでに日本側に拘束され送り返されましたから」
「……それはそれでどうなんだろうな」
日本の防諜能力が秀でているのか、それとも自国の工作員の潜伏能力が低いのか――どちらが正解でもゴルチョフとしては微妙な顔をせざるを得ない。実際のところ、ソ連の工作員たちはかなり巧妙に潜伏していた。それこそ、日本が本気になって取り締まりを行わなければ見つかることはなかっただろう。だが、転移後に他国(特にソ連や北中国)を気にしなくてもよくなったことから日本の公安警察は意気揚々とこれまで「怪しい」と思われていた外国人たちや、その外国人と関係のある日本人を検挙していったのだ。
そんな事情を知らないゴルチョフはかなり渋い顔になっていたが、もし詳細を知った場合は素直に日本側を称賛したかもしれない。
ただ、今になって日本は「遠く離れた国」なのでゴルチョフはそれよりも自分たちの身近に起きている問題が気になった。
「日本はことはともかくとして、パキスタンの内戦は?」
「軍事政権が中国に泣きついたようですが、大使の反応はあまりいいものではなかったようです。南部政府はインドとイランを仲間につけましたから、軍事政権側はかなり焦っているようですね」
「つまり放っておけば、内戦は終息するのか?」
「はい。インドがパキスタンを実質的に支配するかと」
「北京の連中が動かなかったのは我々のことを気にしたからか」
「恐らくは……ただ、解放軍は依然として強硬論が主流のようですが」
「まあ、家も人のことはいえないがな」
ソ連軍の中にも強硬論は根強いが、ゴルチョフなど中央がそれを抑えている格好だ。いつまでも軍部を抑えるのは大変なのでマーゼス大陸でその不満を発散させている状態なのだが、もちろんそれはいつまでも続けられるものではない。現在、ソ連はマーゼス大陸南部の3割ほどを占領していた。それから先の進軍は進行ルートに険しい山岳地帯があることと、補給線が伸びて兵站に問題があることから完全にストップしていた。
現在は占領地の治安維持と、資源の確保をメインに行なっているが現場から不満の声がチラホラと聞こえ始めたらしい。とはいえ、際限なく戦争できるだけの余裕はさすがのソ連すらないので、軍部には暫く大人しくしてほしいというのがゴルチョフたち政府中枢の本音であった。