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アーク歴4020年 10月1日
フィデス人民共和国 アディンバース
総統官邸
フィデスの最高権力者である「総統」の居城である総統官邸。
官邸の主である総統は相変わらず機嫌が悪い日々が続いていた。
「全く、毎日のように忌々しい報告書ばかりだな。少しは気分の上がる報告はないのか?」
思わずそんなボヤキが出てしまうほどにここ数ヶ月ほどの報告書は気分の良いものが何一つ書かれていない。前線で自国軍が敗走しているのはまだいい。アメリカは相当な軍事力を持っていることはすでに総統自身も信じるようになったからだ。
ただ、もう一つ彼にとって面白くない報告があった。
北部を中心とした一部の州でレジスタンスの反乱が活発化していた。しかも複数の州で同時に反乱が起きており、この対応のために首都駐屯の軍まで北部に展開する羽目になっている。反乱が始まってから二ヶ月経っているが未だに鎮圧できていない。反乱くらいさっさと鎮圧しろ、と総統は思っているのだが巧みなゲリラ戦術によってレジスタンスが正規軍を翻弄しており、今では本気に都市部に対しても大規模攻撃を軍部では計画されているほどで、実際に反抗が強い都市に対して空軍による空爆が実施された。それでも反乱が収まることはないという。
(全く忌々しい…今までおとなしかったくせに)
理由は簡単だ。
アメリカとの戦争でフィデスが劣勢になったことをレジスタンスは感じ取った。しかも、いつの間にかレジスタンス同士のつながりが出てそれによって連携した動きを見せるようになった。今までそのような動きをしていないというのに。まるで、他国の介入があったかのように。
「…介入。そうか――アメリカが手を回しているのか」
総統の考えはあたっていた。
各地にいるレジスタンスは数ヶ月前からアメリカの諜報機関CIAのエージェントによる接触を受け、更に武器などの支援を受ける形でフィデスに対しての抵抗を組織的に始めたのだ。それまで、別々に動いていた各地のレジスタンスが結集しだしたのもCIAの工作によるものだ。
フィデスという国家の頂点に立つだけあって総統は非常に頭が切れる。
ただ、予想外の出来事が連続で起きすぎたあまりにここ数ヶ月は冷静に物事を考えることができなかった。
「私だ。アメリカに関する情報をすぐに持ってきてくれ」
総統の下に膨大な量の報告書が届いたのは2時間後のことであった。
正暦2025年 10月 1日
フィデス人民共和国 北西部 フィロン州
フィデス北西部に位置するフィロン州。
今から60年前にフィデスによって侵略される前は「フィロン王国」という独立した国であった。そのため、フィデスの中にあってかなり独立意識が強い地域であり、60年にわたってレジスタンス勢力「フィロン解放同盟」がフィロン独立のために活動を続けていた。
そして、そんな彼らの活動を陰ながら支援しているのがアメリカの中央情報機関「CIA」のエージェントであった。CIAは、フィデスに関する情報をアトラスなどから仕入れていた。その中にはフィデスが戦争によって領土を急速に拡大したこと、現在でもフィデスに対して秘密裏に抵抗している勢力があることなどの情報があった。CIAはこの抵抗勢力を支援することでフィデスを内部から崩そうと考えた。
ある意味でCIAが得意としている「金」と「武器」の提供である。
それこそ、過去に中東のイスラム過激派や中南米やアフリカの社会主義政権に抵抗する勢力にやってきたのと同じことをフィデスの独立勢力に対して行ったのだ。
もちろん、レジスタンスは突如現れたCIA工作員のことを警戒した。
だが、工作員はこういった裏工作のプロだ。相手を信用させる話術を持ち合わせた者が交渉にあたり、数回の会合によってレジスタンスは工作員のことを信用した。まあ、これは直接資金と武器を見せられたのも大きい。
工作員はレジスタンスの幹部たちを前に武器などを見せてこういったのだから。
「我々の手をとればこれはあなた達のものだ」と。
そう言われた幹部たちはCIAから――アメリカからの支援を受けることを決意し、そして行動を起こした。レジスタンスに参加している者たちはほとんどが一般人だ。独立国時代からの生き残りは少なくほとんどがフィデス統治後に生まれた者たちだが親やその上の世代から話を聞き、更にフィデス人の自分たちに対する排他的な態度からレジスタンス活動に身を投じた。
そんな彼らは軍事訓練を受けている者は少ない。
一部、フィデス軍から抜けてレジスタンスに参加している者もいるがほとんどは戦闘訓練を受けたことのない素人だ。そんな素人でも「頭」を使えば正規軍相手に嫌がらせくらいはできるし、アメリカはそんな素人たちにある程度の戦闘訓練を秘密裏に施した。
その結果か、フィデスの治安部隊を今のところは翻弄していた。
元々フィデスの治安部隊というのは素行の悪い者たちなどが集められている部隊で練度は二の次に暴力でもって地域を支配している者たちだった。個々人が勝手に動く反乱ならば対応可能だが、急に組織だった動きには対応できずそのため治安部隊の応援のために正規軍まで投入されているのだが、アメリカから教わったゲリラ戦術を屈指してレジスタンスは戦っていた。
フィデス人民共和国 フィロン州 州都・ロブカーツ
フィロン解放同盟本部
「アメリカに力を借りたのは正解だったかもしれないな」
レジスタンス勢力「フィロン解放同盟」
そのトップを務める壮年の男はこのところフィデス相手に良い結果を残していることにご満悦であった。最初こそ、突然出現したCIA工作員に不審感を持っていたが彼らの持つ資金力と武器を結果的に受け入れて良かった、と今では思っている。
もっとも、そんな楽観的な事をいう代表に対して幹部の一人が苦言を呈した。
「まだ喜ぶのは早いですよ。フィロンが独立してこそ喜ぶべきです」
「…そうだな。まだこれは始まったばかりだったな」
「他地域でも同様の動きが起きていますし。アメリカの言う通り連絡を密に行っていく必要はありますが、フィデスは確実にそれを潰しにきます。ここの存在もいずれわかるでしょう」
彼はフィデスという国をよく理解していた。
今は、突然のことで乱れているがそれもすぐに体制を立て直すことも。
そうでなければ、半世紀以上も大陸の大部分を統治できないのだから。特に警戒すべきは、フィデスの暗部「親衛隊」の存在だ。総統直属の部隊である「親衛隊」は総統の身辺警護はもちろんのこと、諜報機関でもあり更に暗部組織でもある。その構成員の陣容はわかっていないが、少なくともフィデス全域にその情報網は存在しているということは知られている。
「『親衛隊』は確実に動きます。我々のしていることは総統への反抗ですから。いくら、アメリカが優れていてもすべてを監視しているわけではありません」
「…そうだな」
幹部の正論に顔を綻ばせていたトップの表情に緊張感が戻った。
そんなトップの顔を見て「うまくいった」と幹部は密かに安堵する。アメリカからの支援を受けてから緊張感がなくなっていたトップ。それではもしもの時(それこそ親衛隊に襲撃された時)に対応するのは難しいと考えた幹部はここで一芝居うつことにしたのだ。アメリカの件で緩んでいたとはいえすぐに意識を切り替えただけまだマシだろう。
「アメリカがいるからなんとかなる」なんて言い放ったら、それこそ組織の終わりだ。
(そもそもアメリカを信用しすぎるのは危険だ)
唐突に彼らの前に現れたCIAの工作員は非常に印象の薄い男だった。スーツを着た目立たない容姿の男は警戒する幹部たちを前に飄々とした雰囲気で「我々と手を結びませんか?」と言ってきた。もちろん、すぐに信用できるわけがないが男からはレジスタンスからすれば耳心地の良い条件が多く提示され最終的にトップが頷いたことで解放同盟はアメリカから支援を受けた。
現在のところそれは上手くいっている。
フィデスを翻弄することに成功しているし、それを見た住民たちが解放同盟に協力的な姿勢を示している。これだけを見ればアメリカは解放同盟からすれば救世主のようにも見える。
だが、この幹部はあまりアメリカを信用しすぎるのは危険ではと最近では思い始めていた。そもそも「アメリカ」という国など聞いたこともない。どうやらフィデスが現在侵攻している大陸にある国らしいが、そもそも今年になってから突如として大陸が出現したというのも信じられない話だった。
幹部はフィデスの一部がこちらを油断させるためにしているのでは?とすら思っているほどだ。まあ、これはフィデス国内でアメリカなどの情報がほとんど伝わっていないのが一因だろう。フィデス政府はアメリカや別大陸に関する情報に統制をかけているのでほとんど表に出ていないのだ。
フィロン州は北部の内陸部にある州なので異大陸に関する情報はほぼ入ってきていなかった。
とはいえ、解放同盟はすでにアメリカの手をとった。
そして、結果も残している。
(今更後戻りはできないか…)
どっちみちフィデスに抵抗するためならば悪魔の手も握るなどと言っていたのだ。アメリカが天使だろうが悪魔だろうがフィデスの支配から独立を勝ち取るならばどちらでもいい――それがフィロン解放同盟幹部の一致した思いであった。
フィロン州をはじめとした各州には中央から派遣された「州長官」が州を実質的に統治している。ほとんどは中央の官僚だが、軍人が派遣されることも多い。フィロン州の長官も軍から派遣されていた。
「反逆者に知恵を貸した連中はまだわからんのか?」
「は、はい…現在のところ有力な情報はありません」
フィロン州は軍政なので補佐官も軍人だ。
機嫌が悪そうな長官の眼力に震えながら士官学校を出て間もない若い少尉は「解放同盟」の協力者に関する情報はないと長官に伝える。
もっとも、すでに長官にはその相手はなんとなくわかっていた。
というよりも、レジスタンスに協力する国など一つしか考えつかなかった。
「可能性があるのは『アメリカ』か」
「アメリカですか?」
「君も聞いたことがあるだろう。新大陸侵攻軍が苦戦している相手だ――おそらくは工作機関なのだろうが全く尻尾を見せない。親衛隊の連中も相変わらずの秘密主義でこっちに一切の情報を回さない。嫌になる」
というように、仕掛けた勢力はわかるのだが、その工作員を未だに見つける事ができず長官の機嫌は悪かった。ちなみに彼は総統直属の「総統親衛隊」のことを敵視しており、その幹部とは顔をあわせるたびに火花を散らしていた。元々組織同士の関係も悪い。まあ、これは総統直属ということで色々と秘密主義なところがある親衛隊を軍部が嫌っているのが大きいのだが。
「そもそも、アメリカとはどういった国なのでしょうか」
「かなりの大国なのは間違いないだろう。でなければ、侵攻軍が苦戦するわけがないし、本土が攻撃を受けるわけがない」
とはいえわかるのはそれだけだった。
国の規模、人口、人種、経済規模――フィデスはアメリカという国の情報を一切持っていない。
「情報部は一体何をしているんだ…」
その、情報部は送り込んだ諜報員からの報告が一切来なくて頭を抱えているとは長官は思いもしないのだった。