94
正暦2025年 9月6日
日本皇国 東京市千代田区
『今日、午前11時頃。東京市千代田区――にある進歩党本部ビルで爆発があったという110通報がありました。警察や消防が現場に駆けつけたところ進歩党本部4階で議員や職員など十数名が負傷した状態で倒れているのが発見され全員が病院に救急搬送されました。この内、辻田衆院議員とその政策秘書が意識不明の重体。残りの議員や党職員十数名も重軽傷をおっています。警察では8月中旬から続いている一連の爆発物を用いた政党事務所へのテロ事件と深く関係していると判断し捜査していく方針です』
進歩党本部で爆発があって4時間。
現在も、ビル周辺は警察によって規制線がはられており現場となった4階では鑑識作業が行われていた。これまでの爆発でも負傷者は出ているが、今回はその中でも特に規模が大きく現役国会議員が意識不明の重体、それ以外にも重傷者が多数出ていた。
「――進歩党にとっては泣きっ面に蜂だな」
「選挙に負けて今度はテロですか…たしかにそうですね」
ベテラン刑事のつぶやきにコンビを組む若手刑事が頷きながら同情した。
そう、元々勢力がおちていた進歩党だがこの一ヶ月の間は選挙に負けるし更にテロの標的になったのだ。彼らではなくても進歩党に同情する者はいるだろう。色々と意見対立している与党でさえ今回の進歩党本部のテロ事件を聞いて気の毒がっていたほどだ。
警官である彼らは一応特定の政治団体に肩入れしないようにしているとはいえ、それでもこの一ヶ月あまりの不運の連続には彼らも色々と思うところはあった。もちろんそんなの表には出さないが。
「さて、聞き込みだな。どうやら宅配物に紛れ込んで届けられたようだからな。受け取った職員やらから話を聞くことにするか」
「はい」
小包を受け取った職員などに話を聞いていくと、被害を受けた議員はその小包の到着を待ちわびていたらしい。なんでも、下岡政権に大ダメージを与える一大スキャンダルのネタを掴んだようだ「これで下岡も終わりだ!」とその議員は大喜びしていたが、小包をあけた途端に爆発したようだ。小包の一番近くにいた議員とその秘書が意識不明の重体になり、それ以外に彼と同じグループに所属している議員たちも巻き込まれた。
意識がある議員は「これは政府の陰謀だ!」などと喚いているらしいが刑事たちはこの部分は聞かなかったことにした。
「あまり手がかりになりそうな情報はなさそうですね」
「そうだな…小包は宅配便の配達員によって届けられたらしいが、恐らくこの配達員は犯行グループの関係者だろう。宅配会社にせよ郵便局にせよ、配達前に荷物検査は徹底的に行なっているし、配送中に爆発――なんて間抜けなことをするような輩ではない。荷物を装って自分たちで配達したと考えるのが自然だ」
「たしかにそうですね」
「ただ、問題なのは配達役は恐らくバイトだろうってことだ」
「バイトですか?」
「足がつきそうなことを犯人がそのままやるわけがない。金に困っている奴らを雇って下っ端として使うのがこの手の組織の常套句だ」
所謂、闇バイトというものだ。
雇い主側は自分の情報をほぼバイト側に伝えていないのでバイトは自分がどんな危険物を運んでいるのか――という認識がないまま犯行に関わっているパターンが多い。そんな危ない仕事でも大金が手に入るならば安い、と考える層が消えることもまず難しいだろう。
それ以外にもこういった荒事は「切り離しても痛くない」末端を使うことが多いので仮に犯人を捕まえてもその上の黒幕たちに行き着くことが出来ないというのが大規模組織犯罪の闇である。
「しかし、これまでは事前に仕掛けていたのに今回は小包で直接配達――余程消したい相手がいたのかねぇ…」
爆発物の小包を配達した男は翌日に捕まった。
男は所轄の警察署に移送されそこで取り調べを受けていた。
男は、普段は個人契約で宅配会社から仕事を請け負っていたらしい。ただ、収入は安定しておらず生活は苦しかった。その時SNSで知り合った人物から「あるものを届けて欲しい」という依頼が舞い込む。当然、不審に思ったが破格の報酬に目がくらみ仕事を請け負うことにしたという。
「荷物はある有力者の大スキャンダルの証拠だといわれました」
「有力者?」
「…下岡総理です。辻田議員は総理の特大のスキャンダルを探っていて届けた小包にはその証拠が入っている――と、いわれました」
「だが、実際は爆発物だったと…中は確認しなかったのか?」
「厳重に梱包されていますから…それに、無断で開けたら問題になるのは刑事さんだって知っているでしょう?」
「…そうだな」
男の言い分に取り調べをしていた捜査官は納得したように頷く。
結局、この男はただの「運び屋」に過ぎない。高額の報酬に目がくらんだのだ。ただ、小包にはしっかりと伝票などが貼られていたらしいので正規の手順で持ち運ばれた物と男が判断しても責められはしないだろう。
男は結局のところ不起訴となり、釈放された。
正暦2025年 9月9日
日本皇国 東京市 千代田区
保安省 保安隊
保安隊司令部では保安隊の主要幹部や保安大臣などが集まった緊急会議が開かれていた。連続爆破テロ事件発生によって、保安隊は東京市の主要部に2個保安旅団を緊急展開し、治安維持活動に従事している。
保安隊が警戒しているのは陸軍だ。
かつて、陸軍は数回にわたってクーデター未遂事件を起こしたことがあるため、現在に至るまで陸軍は警察及び国家憲兵隊から改組された保安隊における主要な監視対象にされている。今回のように特定の政治勢力を狙ったテロ事件に軍の一部が呼応する危険性は保安隊はもちろんのこと警察庁でも指摘されていた。
もちろん、陸軍も自分たちが警察などに警戒されているのは知っており陸軍参謀本部広報課は「我々はテロに手をかさない」と表明しているし、各駐屯地では憲兵による監視が強化されるなど「陸軍内から賛同者を出さない」ようにしていた。
「今のところ陸軍に動きはないんだな?」
そう尋ねるのは保安隊のトップである池端保安隊総司令官(保安隊大将)である。保安隊の中でも特に陸軍を警戒している勢力に所属している彼にとって今回のテロ事件で最も警戒しているのは陸軍の動きであった。
「はい。練馬・麻布など各駐屯地に目立った動きはありません」
「陸軍も過去のことがありますから、かなり神経質になっているようで兵士たちへの監視を強化しているようです」
「油断するなよ?陸軍内部には妙な思想をもった連中の勢力があるからな。そいつらが暴れ出さないとも限らないし、陸軍の連中が『最悪の事態』になるまで動かない可能性もあるからな」
部下からの報告を聞いても陸軍への不信感から警戒は怠るな、と注意する総司令官。今の軍は危険思想をもった人間が入らないようにしているのだが入隊後に「目覚める」可能性もある。
なにせ、周辺が敵国だらけという極限状態に長らくあったのが日本という国だ。その割に国民や官僚などは平和ボケした雰囲気を出しているので最前線にたっている軍人たち――特に責任感が強い人間ほど極端な愛国主義に目覚めて暴走するのだ。過去のクーデター未遂も「我々が日本を変えなければ!」といった思いが暴走した末のことだが、まあ結果的に彼らが頼りにしていた天皇陛下自ら「こいつらは国賊だ!」とブチギレて処分されたのだ。
それでも、そんな輩が定期的に出てくるのが陸軍なのである。
ちなみに、空軍と海軍はあまりそういった勢力が出てこない。どちらも海外との交流が活発なのもそうだが、おそらく陸軍よりも色々と「現実」が見えているからだろう。日本単独じゃ周辺の共産主義国家と渡り合うのは無理なのになぜ同盟国であるアメリカに喧嘩を売る国家主義に傾倒するのか意味がわからない――というのが海軍と空軍の多数派の意見だった。
「我々の中から離反者が出る可能性も考えるべきです」
「…確かにそうだな」
身内にそういった危険思想を持っている隊員がいない、と言い切りたいが隊員すべての政治思想など上層部の彼らにはわからないので身内の動向も今後注意深く見ていくということで幹部たちは同意した。
日本皇国 東京市某所
皇国の解放者
東京都心部にある雑居ビル――その一室に「皇国の解放者」の拠点の一つがある。元警察官や軍人などによって構成された武装勢力である「皇国の解放者」は東京市内だけも複数箇所に拠点を設置しており、ランダムにそれらの拠点を使いながら作戦を進めていた。
今のところ、彼らの「解放計画」は順調に進んでいる。
皇国の解放者。
その代表を務めているのは元陸軍中将である柳井康史。
富士教導団や第1歩兵師団の団長や師団長を務めたことがあり、退役後も在郷軍人会の顧問という形で退役軍人の支援などをしていたことから退役軍人はもとより現役軍人からも慕われている。そんな彼が「解放計画」に参加し最終的に「皇国の解放者」のトップを務めるようになったのは、彼自身がこの国の未来を憂いたからにほかならない。
多くの退役軍人たちを見ていく中で。アメリカが始めた戦争に付き合う形で派遣された元兵士たちが精神を病んだことなどを見て、元からアメリカに対して良いイメージを持っていなかった彼は「このままでは日本はアメリカの奴隷になる」と危惧した。そこで、声をかけられたのが「愛国者」の組織である「解放者」であった。
「皇国の解放者」は柳井のカリスマ性に着目し、彼を事実上のトップに据え政治団体である「皇民党」にも力をいれる。しかし、この国ではヨーロッパのような主義主張はあまり響かず現時点で国政で議席を得ることは出来ない。
更に、ここにきて異世界転移という事態も起きたことから彼らはそれまで温め続けていた「皇国解放計画」を実行に移そうとしていた。
左派政党への攻撃はこの計画の一部だ。
「次は国賊・下岡をやりましょう」
そういうのは元陸軍大尉である葛城だ。
陸軍入隊前から反米思想を持っていた彼は前首相の岸や現首相の下岡を「国賊」「売国奴」といって嫌っていた。
だが、柳井は首を横にふる。
「いや、だめだ」
「どうしてですか!」
「官邸の警備は厳重だ。仮に狙撃手で仕留めるにしても総理をピンポイントで狙える場所はない。正門から玄関までの距離も長く爆発物を使うにしても今のままでは足りない――しかも、今回の件で各政党本部の警備はより厳重になった。完全武装の保安隊1個中隊を相手にするのは我々でも厳しい」
「な、ならば。陸軍内部の同胞を!」
「彼らも監視されている。24時間体制でな。だから、決起のときまで彼らは動かせない」
「ならば、売国奴の下岡と岸は消せないということですか…」
「そうだな。決起が成功すればお前の願い通りになる」
「そうですね!」
一度は落胆した葛城だが、すぐにクーデター後の未来を想像したのか笑顔で頷いた。まるで子どものような純粋な笑顔に柳井は思わず顔をひきつる。彼のように最近参加した元軍人たちは総じて思想が過激だ。
確かに柳井は国の現状を憂いてこの活動に参加しているが、本気でクーデターが成功するとは思っていない。ただ、自分たちの主張を国の中枢に届けるための活動の一環として、更にこれまで日本の発展や成長を妨げていた勢力への「脅し」として一連の爆発物を用いた事件を起こした。
だが、どの組織も大きくなれば様々な思惑が衝突する。
柳井の考えは組織の中では少数派であり、より過激な主張が主流になっている。進歩党本部爆破もその一つの勢力が暴走した結果だ。それによって厳戒態勢がとられている。まだ、戒厳令が出されていないだけマシだが、これで陸軍の一部が動けば、90年前の二の舞だろう。
(しかし、総理が国賊か…ある意味彼はもっともアメリカと適切な距離をとっている政治家の一人だというのにな)
前任の岸もそうだが、日米関係はもっとも安定している。
だが、国家主義者から見れば「アメリカに媚を売っている」ように見えるのかもしれない。アメリカに対して強い姿勢で挑んでいないからな。だが、アメリカに対して強い姿勢で対峙することが日本のためかといえば、柳井はそうは思っていない。
「…もう、後戻りはできんか。ならば、諦めて最後まで戦うしか無いな」
覚悟を決めた柳井は今後の方針を仲間に伝えるために受話器をとった。