Bloom
わたしと主の出会いについて語りましょう。
わたしと主は、昔ながらの商店街の隅にある、古い時計店で出会いました。
主はあの日、淡いさくら色のワンピースを纏い、ハーフテールを滑らかに揺らしながら、お母様と思われる女性の方と一緒に店へ入って来られました。
彼女がわたしの前を通りすぎる度に、軽やかに振りまかれた薔薇のような香りが後に残るようでした。
わたしの主になる前の彼女は、まだ2月だと言うのに、一番に桜を思わせる身なりや仕草をするものですから、つい、「彼女こそわたしと…」なんて愚かな事を考えたものです。
数十分たっても店内を歩き回る彼女はよっぽど悩んでおられたのか、来たときよりも歩みがゆっくりとなり、わたしの居る隣の、また隣のショーケースから順番に、じっくりと中を観ながら、あれでもない、これでもないと、段々こちらに近付いて来ます。
遂に、わたしの番が来た時です。
あの時の主の表情といったら、忘れられません。
真剣さにひきつった頬がみるみるうちに緩み、目を丸く見開いた主のお顔は、3月の終わりに咲く花たちのようでした。
わたしこそ、ここぞとばかりに凛とした佇まいで彼女と対面したものですから、そんな彼女の喜びを感じた瞬間、危うく、最も大切な“時”を乱すところでした。
暫くして、長らくお世話になったショーケースが開き、誇らしげなロゴの入った箱に入れられました。
主に手渡されてから今までの事、一つとして、忘れてはいませんよ。
あの時あなたは、4月になったらこの時計を、と話されていましたね。
それでようやく理解したのです。どうしてあんなに、桜を思わせるのだろうかと。
あなたは誰よりも、春を待ちわびていたのですね。
あの日からわたしは、一時も、感謝の気持ちを忘れたことはありません。
主と、それから、わたしという最も幸福な1本を作り上げた時計職人へ。
主よ、この先、やわらかなピンク色に染まったシェルの輝きがあなたを元気づけ、つんと伸びた針が、あなたを明日へ歩かせるでしょう。
暑い夏の日も、風の吹く日も、涙をこらえる日も、はしゃぐ日も、ずっとずっと、手放さないで下さい。わたしの命の源は、太陽の光と、あなたの存在だけなのですから。
あなたの命が尽きるまで、春を届けます。