その者、人間に非ず
追儺と竈門はラーメン屋を出ると、署には戻らずに今朝殺人が起きた路地裏へと出向いた。今は既に鑑識による現場検証は終わっているが、まだ関係者以外の立ち入りは禁止となっている。
「ねぇ竈門さん」
追儺の呼びかけに竈門は「どうした」とキョロキョロと辺りを見渡しながら返す。
「どうしてまた現場に戻ってきたんですか?」
「確かに現場検証は終わっているが、どうしても何か見落としが無いかと探してしまうんだ」
そう言って竈門は、路地裏の壁に残った未だ落としきれていない血痕を眺めたり室外機の下を覗いたりしてみる。うぅん……と唸りながら現場を再三眺める竈門に追儺が声をかける。その声はいつもの明るく軽い声ではなく、少しトーンの低い声で。
「竈門さん」
「ん? どうした追儺」
竈門が振り向くと追儺の視線は路地裏の入り口に向いており、視線の先には、鳥のクチバシのような形で鼻と口のみを覆ったマスク――ペストマスクを着け、ネクタイをした黒いカジュアルシャツ姿の白髪の男が立っていた。
「追儺、警戒しろ」と竈門が小声で言う。
「どうされましたか、こんなところで」
竈門が男に話しかけると、男は小さく消え入りそうな声で「Don't feel alive.」と呟いてから話し始めた。
「いやぁ、飯喰ってるときって「あぁ、今俺生きてるなァ」って感じるだろ? 俺さ、アレ好きなんだよね。レストランとか行ったときも店入ったらまず「レストラン……飯、飯、『ごはんおいちい』あぁ生きてるなァ!」ってなるのよなるだろ?」
男が右手をポケットに入れる。
「まぁ要するに、飯喰う場所でも少しだけれど生きてる心地は味わえるわけで……」
男はポケットからバタフライナイフを一本取り出し――
「朝飯喰ったのここだからさァ……生きてる実感が欲しくって感じたくて生きていたくて『イキたくって』――戻ってきちゃった♡『ただいまァァァ?↗↗↗』」
男が竈門の眼前まで一気に距離を詰めて切りかかった。……が、その刃は竈門の喉に届く寸前で別の刃に止められる。
「……んぁ? 『なんや¿¿』?¿?」
「……っと、ナイスだ追儺」
もう一方の刃の主は追儺であった。
「いざというとき用にナイフ持ち歩いててよかったです」
男は「なんで持ってんだよ」と小さく吐き捨てながら軽いステップで後退し、追儺から距離を取る。追儺は「竈門さん、下がっててください」と言って一歩前に出た。
「戻ってきた、ということは今朝のをやったのはあなたですか?」
追儺が問うと男はそれを頷き肯定する。
「お名前、お伺いしても?」と追儺が言うと男は少し考える。
「名前? 名前、名前か……そうだな。《フェザー》にしとくか。うん、まい ねーむ is フェザー」
「お、おい待て」追儺の少し後ろで二人の会話を聞いていた竈門が言う。
「《おい》じゃねぇ。《フェザー》だ。喰い殺しちゃうゾ」
「っ……ふ、フェザー。今朝の殺人の犯人がお前だとするなら、十年前の「八咫家事件」もお前の――」
「――八咫家……だァ……?」竈門の言葉と被さるようにフェザーが言った。
「八咫家、ハハ……八咫家かァ。懐かしい響きだなァ? オイ? ハハハ! 八咫家……八咫家……ハハハハハ……」
「何がおかしい! 人を殺しておいて……」と竈門は怒りの声を上げる。天を仰ぐように笑うフェザーが眼だけを二人に向け――
「――二度と俺の前で「八咫家」なんて口にするんじゃねぇぞ」
その言葉を聞いた二人に悪寒のような戦慄が走った。怒りや憎悪、悔恨と狂気。全ての負の感情が入り混じったような感情。呪言にも思えるそれを簡単に言い表すなら「ドス黒い殺意」。フェザーが刹那に放った殺意は、一瞬にして追儺と竈門に生命的危機を実感させた。
「八咫家なんて……あんなクソ共、俺に喰われても……仕方ねぇよ……なァ¿¿ 仕方なかったんだよああするしか無かったのよ許してくれル不味かったんだ馬の糞みてぇな肉の味でゲロる〜〜〜★」
フェザーが首筋を爪を立てて掻き毟る。バリバリと音のするたびに首の生皮が少しずつ剥がれ落ち首と指先が赤黒い液体に染められてゆく。その光景を見て慄く二人にフェザーが嗤い掛けた。
「痛いやんの……『イきてるぅ♡♡♡』……しかし、ナイフじゃあ殺れそうねぇか。『小僧が邪魔凸』……なら仕方ねぇな。イマイチ食指が動かないが、使うか『おヰでやすぅぅぅぅぅuuuuuuuuuuuuuuu』」
フェザーがナイフを逆手に持ち、それを見た追儺が構える。だが次の瞬間、フェザーはナイフで自分の右肩甲骨の下を抉った。その不可解な行動に二人は困惑する。
「何を……」
「所詮ナイフなんざ前座よ。『前戯は大事だもんネ♡』俺の《翼》に必要なのは『Like this』肉体的な傷だ。『傷の K I S S 』! それを満たしてやれば、ほら――」
フェザーが抉った傷から骨が飛び出す。それと同時に青い羽毛が数枚散らばった。突出した骨に筋繊維が絡みつき、次第に形を成していく。
「――俺の《翼》、その内の一つが出来ました♡ 『やったるでぇ〜』ぇぇぇ え¿ ぇぇえ!eeeeeat!!!」
現出したそれは、《掌に口のついた一本の長大な腕》だった。明らかに人外。フェザーが《翼》と称するその異形の腕に竈門は絶句し、追儺は一歩後退した。
「ば、化物……」竈門が声を漏らした。その声を聞いたフェザーは溜め息をつく。
「化物ねぇ」
フェザーが右手の親指と人差し指を突き立てて銃の形を作り、二人に向ける。
「お前ら同じことしか言わねぇな 。『つまン』ねぇ『NO!』」
フェザーが肘から先を軽く上に跳ね上げる。それと同時にフェザーの《翼》が竈門の心臓目掛けて伸びた。竈門に《翼》の指先が到達する寸前で、追儺がナイフでその指先を切り落とし食い止める。指先を切り落とされた《翼》はまるで反射反応のようにフェザーの元に勢いよく戻った。切り落とされた切り口からは僅かに血液らしきものが流れていた。
「痛っ……『ふィんがァぺin』てぇじゃねぇか…」フェザーが追儺を睨む。
「痛覚、あるんですね。イカれ野郎さん」追儺はナイフについた血を振り払い落とす。
「ブチ殺す……喰い殺してやる……」フェザーがペストマスクに手を伸ばし――
ピピピ、と機械音がした。その音を聞いたフェザーは舌打ちをして、ポケットからスマートフォンを取り出して鳴り続けるタイマーを止める。
「時間だ。……クソが『F××k』」
《翼》がねじ込まれるようにフェザーの体内へ戻っていく。
「次は喰い殺す『させて頂きますの』」
そう言い残し、フェザーは去っていった。眼前から危機が去った二人は一気に緊張が解け、揃って膝から崩れ落ちた。その瞬間体中から汗が吹き出し、過呼吸のような荒い息をする。
「なんだったんだ、アレは」
竈門の言葉に追儺は何故か少し得意気に言った。
「だから僕言ったじゃないですか。犯人さんは人間じゃないですって」
その言葉に竈門は力の抜けた返事をする。
「確かに、お前が正しかったよ」
この事件の犯人は『人間ではない』。その事実が二人に莫大な、呆然とした畏怖を与えた。