極楽浄土の味噌ラーメン
署の向かいにあるラーメン屋は店名を「らぁめん極楽浄土」という。店主の好みによりここのラーメンは全て味噌ベースとなっている。中でも店主イチオシのメニューは、分厚く大きなチャーシューが八枚乗せられ、少し甘みのある濃厚な味噌が特徴的な「極楽ラーメン」である。この店の看板メニューでもあり一番人気のラーメンだ。追儺と竈門はカウンター席に座るなり一つずつこの「極楽ラーメン」を頼んだ。注文に対する店主の「あいよ」という返事から五分ばかりでラーメンは出てくる。ラーメンを啜りながら追儺は竈門に一つ質問をした。
「ねぇ竈門さん」
「ん? どうした」
「人間のお肉って美味しいです?」
いきなりの変な質問に、竈門はついつい麺を喉に詰まらせそうになり急いで水で胃に流し込む。
「な、なんだよいきなり」
うぅん……と唸りながら分厚いチャーシューをじっと眺めて追儺が言う。
「だって、今回の犯人さんは人間のお肉を食べてるわけですよね? で、竈門さんの勘が当たってれば十年前にも食べてるわけです。美味しいんですかね、人間のお肉」
「……俺が知るわけ無いだろ」
それもそうですね。と言って追儺は店主に「極楽ラーメン」を追加で二つ注文した。それを横目で見た竈門は思い出した。――コイツは華奢な癖して大人の三倍は平気で食うんだった――と。
「奢るなんて言わなきゃ良かった……」
「もう遅いです。おじちゃん、味玉も追加してくださいです」
少しして「お待ちどうさん!」と二杯の「極楽ラーメン味玉入り」が追儺に出される。竈門は財布の中身を何気なく確認し、追儺に問うた。
「追儺、今日はあとどれくらい食うんだ」
「ん……そうですね、おじちゃんのラーメンは美味しいですからあともう一回おかわりするかも……ですかね?」
竈門は溜め息をついた。追儺の食いっぷりを見て店主が竈門に「竈門さんもおかわりどうだい」と聞くが、「勘弁してくれ……」と竈門は答えた。
楽しそうにラーメンを啜る追儺の横で竈門がげんなりしていると、店の戸が開き、一人の若い男が入ってくる。
「いらっしゃい!……お、暁星くん、久しぶりだねぇ」
店主が男を歓迎すると、男は軽く店主に会釈をした。
「ん? 暁星?」
“暁星”という名に反応して竈門が振り向く。
「おぉ、暁星じゃないか。お前も今から飯か」
「竈門さん、お久しぶりです」と、暁星と呼ばれた男が言う。追儺もその男の方を見て、口に含んだものを飲み込んでから呼びかける。
「ん、兄ちゃん。兄ちゃんもご飯ですか?」
「追儺……あぁ、そうだ」
この男、名を小林 暁星という。追儺より三つ上の、追儺の兄である。
暁星は竈門の隣に座った。
「弟が御迷惑をおかけしております」
「ハハ、大丈夫だよ。大食いなのが少しアレだがね」
「大食いなのは……許してやってください」
「いや、彼は十年前にあんなことがあったんだ。寧ろ食えるときに食わしといてやりたくてね」
暁星は竈門に深く頭を下げ「ありがとうございます」と言った。
今から十年前の冬に追儺は ーー丁度「八咫家事件」と日が重なるようにーー 水以外の一切を与えられずに五日間監禁された。このとき追儺は十四歳で、学校帰りに誘拐され監禁された。水分を与えられていたとはいえ、五日間でたったの五百mlペットボトルの水を一本のみ。当然ながら充分に水分を補給できるはずも無く、救出時は極度の脱水と飢餓状態にあったという。救出時の追儺の身体にはいくつもの切り傷と打撲痕があり、手足の爪は全て剥がされ、左耳の鼓膜は破れていた。後日、監禁場所の現場検証により追儺への虐待に用いられたとされるペンチやメス、アイスピックやゴムハンマーなど血痕のついた器具が多数押収された。後遺症として追儺は左耳の聴力とほとんどの痛覚を失うこととなる。聴力については現在奇跡的にも回復傾向にあるが、痛覚においては今も失われたままだ。正確には「失った」というより「ある程度の痛みになら慣れてしまった」という方が正しいだろうか。
この事件で監禁場所に赴き追儺の救出及び犯人逮捕を行った主人物は、当時三十路を迎えたばかりの竈門であった。犯人逮捕後の尋問も竈門が行った。尋問の後に竈門は、その内容について「犯人は他者を痛めつけることに性的興奮を覚える変態野郎」と記録した。
追儺とその兄である暁星は竈門に憧れて警察になった。小林兄弟にとって竈門は単なる上司ではなく、恩人でもあるのだ。
「弟のこと、本当にありがとうございます」
「それが警察の仕事だからな」
はい。と返事をした暁星の目は僅かに潤んでいた。
「ぷっふぃー。ごちそうさまなのです」と言って箸を置いた追儺の目の前には、いつの間にかどんぶりが五つ重ねてあった。
「おまっ……五つも食ったのか?」
「だっておいしかったんですもん。ごちそうさまです竈門さん」
そういえば奢るって言っちまったな……と竈門は財布から代金を出し店主に手渡した。
「まいど!」
「んじゃ、また来ます」
「また来ます! 兄ちゃんもバイバイ!」
元気な追儺の言葉に、暁星は軽く手を振って応える。追儺と竈門が店から出ると、木枯らしがフッと吹きすぎた。
「うぅ……風が吹くと寒いな」
既に十二月後半に差し掛かっている。今年もそろそろ雪が降るのかもしれない。