古本屋は埃っぽい
古本屋の店内はどこか日に焼けた紙の匂いがする。本棚には値札のついた本たちがおおまかなジャンルごとに区分けされ、ついこの間出たばかりの新刊から今ではもう手に入らない絶版の物までが一緒くたに並べられる。ここ湊羽書房もそんなよくある古本屋の一つだ。湊羽書房はそこまで客足は多くなく、朝と夕暮れ時は特に少ない。中性的な風貌の青年――小林 追儺は、本を数冊抱えてひとり会計に赴く。会計係の店員は白髪で目が細く、視力が悪いのか細いフレームの眼鏡をかけており、肌も髪と等しく色白な若い男だった。読書中だった店員は追儺に気付くと本を閉じる。
「いらっしゃい」
「はい。いらっしゃったのです。……今日は、いつものお姉さんはいないんですか?」
常連である追儺は、会計がいつもの若い女性店員でないことに違和感を抱いた。
「ん? あぁ、詩音は……ええと、妻は今、奥で本の整理をしているよ。悪かったね、僕で。……っと。全部で三百円ね」
店員が「妻」と言ったのに追儺は驚く。
「あの人、旦那さんいたんですか。……五百円で良いですか?」
「二百円お釣りね。……フフ、彼女は僕なんかには勿体無いくらいの美人だろう」
店員がニヒルに微笑んで言った。店員の謙虚な言い方に追儺は首を横に振る。
「奥さんはとっても美人さんですけど、あなただって負けてないです。肌白いし、カッコいいし。それにその耳のピアスもイカしてます」
追儺の言うとおり、店員の左耳には二つの黒い翼が折り重なった形の装飾品があった。
「まさかこれを褒められるとは……嬉しいね」
「黒い天使さんの羽……ですか?」
「これはイヤカフと言ってね、ピアスじゃないんだ」
そう言って店員が装飾品を耳から外して見せた。それを外された店員の耳にはたしかにピアスホールらしきものは確認されない。
「ピアスと違って穴を開けなくていいし、挟むだけだから手軽でいいんだよ」
「イヤカフ……カッコいいけど高そうです」
「ピアスよりは高くないよ。たまに装飾が細かくて高価なのも無くはないけれど……なんなら、一つあげようか?」
店員が追儺に優しく微笑みながら言う。追儺は予想外の返答に驚きつつも、欲しい物を買ってもらう前の幼子のように目を輝かせた。
「え、いいんですか?」
「うん、似合いそうだからね。ちょっと待っててね。たしか向こうに……」
そう言って店員が奥の部屋に行く。少しして戻ってきた店員の手には、白い翼の形をしたイヤカフがあった。
「……あったあった。僕のとは少し違うけれど。買ったばいいけれど使ってないから、はい。あげるよ」
「ありがとうございます!」
追儺は店員からそれを受け取ると、しばらく嬉々として眺めてから「これ、どう着けるんですか?」と困惑した表情で言う。
「あー……着けてあげるね」
店員は「ここをこうして……」と簡単に説明しながら手慣れた手付きで追儺の左耳にイヤカフを装着してやった。
丁度着け終えた時に店の奥から凛とした声が響く。その声から間もなくして、二人の元へ若い女性が駆け足でやってきた。
「ごめんねー、翼くん。会計任せちゃって」
「いや、構わないよ。話し相手はいたからね」
そう言う店員の視線の先には追儺がいた。女性も追儺を目で確認して常連客の来店を喜ぶ。
「あら、追儺くん。今日も来てくれたんだね」
「こんにちはです、本屋のお姉さん」
「この人、目つき悪いけど悪い人じゃないでしょ」と、“本屋のお姉さん”は店員の肩に手を置いた。
「えぇ、良い人です。これくれました」
追儺はイヤカフの着いた左耳を見せて言う。女性はその耳を見て「あれ、これって買ったけど結局使ってないやつ?」と店員に問うた。
「この青年になら似合うかなって」
新しいおもちゃを買ってもらった子供のように追儺がはしゃぐ。幼さを感じさせる笑顔で追儺が改めて感謝を述べる。
「これ、ありがとうございます! 本屋のお兄さ……えぇと……そう言えば僕、お二人の名前知らないです」
「そういえば教えてないね」と言って“本屋のお姉さん”は自分の名前を言う。
「私は詩音。湊羽 詩音。これからは“詩音さん”って呼んでね」
詩音に続いて、店員の方も自ら名乗る。
「僕は湊羽 翼。羽だとか翼だとかややこしいだろうけれど、よろしく」
追儺はしばらく二人の名前を復唱した後、二人に向かって笑って言った。
「詩音さんと翼くんですね。よろしくお願いします。……じゃあ僕はお仕事あるので失礼します」
追儺は二人に軽く一礼し、先刻に購入した本を胸にぎゅっと抱いて店を出ていった。追儺を見送った後、翼がふと疑問に思って詩音に訊ねる。
「ねぇ詩音。さっきの……追儺くん? の職業って?」
「あぁ……なんか前にお巡りさんなんですよー、みたいなことは言ってたよ」
「ふぅん。警察、ねぇ……」
翼はその背が見えなくなるまで、追儺を静かに見ていた。