第四話『知ってるはずの知らない異名』
正直なところ、俺は誰かに恋をしたという経験がない。友達どころかろくな人間関係すら築けていない俺だから、まあ当たり前っちゃ当たり前なのだが。
だから、俺の中にあの時去来した感情を恋というのかは分からない。只目の前に立っている美しい少女に見とれていただけなのかもしれないし、もっと別な感情を抱いて見つめていたかもしれない。……だが、そうやって喜ぶリーシアの姿が綺麗だったのは、今でもしっかりと覚えている。
「……のう、わらわはお主に話しかけておるのじゃが。まさかその姿勢で果てているわけでもなかろう?」
「……あ、ああ。無視して悪かったな。なんか俺に用か?」
こちらが返事を寄越さないことに不満を感じたのか、少しだけ顔をしかめながら絶世の美少女はもう一歩近づいてくる。その距離間の近さに思わずのけぞりながら、俺は少女の目を見返した。
「……用も何も、わらわの――リーシア・ベルカザーク・シュミットの封印を解いたのはお主じゃろう。わらわに何か用があるからこそ、お主はこの屋敷を訪れたのではないのか?」
尊大に自分の胸を指し示しながら、少女―—リーシアは未だ地面に座り込んでいる俺を見つめる。将来の嫁の名を、俺が初めて耳にした瞬間だった。
「……いや、それがそうでもないんだよな……何つーか、気が付けばここにいたというか」
リーシアという名前を脳に刻み込みながら、俺は必死に言葉を選んでそう説明する。我ながら意味不明にもほどがあるが、異世界なんて言う話を最初に持ってくる方がよっぽど面倒なことが起きてしまいそうで怖かったのだ。
「気が付けばここにいた、か。……わらわの城は、そんな簡単に侵入を許すようには作られていないはずなのじゃがな」
「わらわの……って、ここお前の城なのか⁉」
「……お前?」
驚いた俺の言葉が何やら不興を買ったのか、さっきよりもよほど厳しい表情でリーシアは俺の方へつかつかと近づいてくる。そこで初めて、俺はリーシアの背中に生えている黒い翼を認識した。
「……お主、わらわを何だと心得る。封印を解いた功績はあるが、それでも驕るには限度があるぞ」
「わ、悪い! だけど俺、本当に何も知らなくて――‼」
「……口では、何とでも言えるわ」
明らかに機嫌を悪くしているリーシアに、俺は必死の弁明を繰り返す。その言葉の真意を問うかのように赤い瞳が俺の瞳を射すくめた。まるで自分の内側までも見透かされるようなその感覚は、俺からしたら生きた心地がしないくらいのものだったが――
「……はて、どうしたものか」
「……え?」
突然何かに困ったような声を上げて、リーシアは首をかしげる。そのかわいらしい姿と尊大な口調がミスマッチしていてなんだかおもしろかったが、当然そんなことは口に出せなかった。
「わらわの権能が失われておるな……眠る前ならば、貴様の不義を見透かすこともできたであろうが」
「権、能?」
「ああ。……わらわが眠って居ったのは、何も眠かったからではない。……『赤薔薇姫』という異名は、無知なお主にも流石に理解できよう」
赤薔薇―—そういえば、あの棺を封印していたのは薔薇のツルの様なモノたちだったな。それと今語った単語には何かしらの関連があるのはなんとなくわかる。分かるのだが――
「……ごめん。その単語も、俺は知らないな」
「……ほう?」
俺の返答に、リーシアが急速に距離を詰めてくる。また何か気分を害してしまったかと不安になったが、至近距離にある瞳の揺らめきは今までとまた違うもののように見えた。
「わらわが眠っている間も、『赤薔薇姫』の名は伝承として、そして管理対象としてこの世界に周知され続けてきたはず。その名を知らずに生きるなど、一生を水中で、そして一人で行き続けろと言われているのと同義じゃ。―—ならお前は、どこをどうやってこの年まで生きてきたのじゃ?」
興味深そうに、しかしどこか疑うように俺を見つめるその視線は、明らかに答えを求めている。……それなら、俺も誠意をもって応えるのが筋というものだろう。
「……信じてくれるかは、怪しいけどさ。俺はここじゃない世界からやってきたばかりの人間なんだよ。別の世界で俺は一度死んで、もう一度やり直す機会を経てここに立ってるんだ」
それが何の因果かは、俺には分からない。だが、俺は『良縁』を祈ってこの世界に転生してきた身だ。なら、この出会いこそが、良縁であってもいいはずで――
「……やり直し。そういう意味では、わらわも一度死んだようなものじゃな」
「……ん、なんだって?」
俺の返答を受けたリーシアは何事かを小声でつぶやいたが、それは俺には聞こえない。何か大事な事と思って聞き返した俺に返されたのは、初めて見るリーシアの笑顔だった。
「……いや、真偽はともかく面白い奴だと言うただけじゃ。滅茶苦茶な話ではあるが、それならこの城に足を踏み入れられた理由も、『赤薔薇姫』も知らぬ理由に納得がいく」
どこにも証拠がないのは問題じゃがな、とリーシアは俺を見つめる。少し厳しめな様子に俺が頭を掻いて見せると、リーシアは相好を崩して再び笑顔を見せてくれた。
「なんにせよ、わらわの封印を解くに相応しい人物だったことに間違いはなかろう。……ついてこい、茶の一つでも入れてやろうではないか」
そう言ってくるりと体の向きを変えると、部屋の外に向かってスタスタとリーシアは歩いていく。俺とリーシアの初対面は、何とか成功したと言ってもよさそうだ。
「ああ、ありがたいよ。なんせここに来てから何も飲まず食わずだからな……」
口に出した瞬間思い出したように訪れる渇きと空腹感に呆れつつ、俺はリーシアの背中を追う。明らかコスプレではない黒い翼が、リーシアの背でピコピコとご機嫌そうに揺れていた。
次回、少しばかり打ち解けた二人はどんなやり取りを繰り広げていくのか!加速していく物語、楽しみにしていただけると幸いです! この連載は一話書けるごとに時間を気にせず更新していこうと思いますので、是非楽しみにしていただければ!
――では、また次回お会いしましょう!