第十二話『変容、そして』
「……ここか」
吸血鬼の権能の気配は、いくら消しても、いくらか細くても匂うものだ。空間を歪め、必殺の一撃から逃れた二人を追跡した黒衣の男―—リューズ・ベルヒルクは、眼前にそびえたつ大きな城を見つめてそう呟いた。
その右手には大剣が握られ、何時吸血鬼が中から飛び出そうと反応して切り刻む覚悟はできている。……だが、今日のリューズは少し機嫌が悪かった。
――誰がそんなことするかよ、このイカれ漆黒野郎―—‼
「馬鹿馬鹿しい。……狂っているのは、貴様の方だ」
そう一蹴しても、名前も知らない少年の一言が脳内でリフレインし続ける。理解できない存在のはずなのに、必死に吸血鬼を――『赤薔薇姫』を守ろうとするその態度が、リューズには気に入らなかった。
最近足を出し始めた教団の勢力か、それともただの気狂いか――どちらにしても厄介なものに変わりはなく、リューズの価値観にそぐわないものであることだけが事実だ。そして、その事実さえあれば切り捨てることに何のためらいもいらない。リューズ・ベルヒルクは、王国の安寧を揺るがす一切合切を切り捨てる剣なのだから。……絶対たる王国の正義に、疑問を挟む余地はない。
「……だから、悪く思うな。恨むならば、日の当たらぬ運命を背負った貴様らを恨め」
同情する気持ちはある。予言の怪物でなければ、二人も平穏な生活を送れたかもしれないという想像はある。リューズがあの二人を切らずにいられた世界も、もしかしたらどこかにはあったのかもしれない。
――だが、それ等はすべて仮定の世界の話だ。現実はそうではなく、彼女が背負った宿命に基づいてリューズはその正義を実行する。『赤薔薇姫』を殺すことは、リューズの中でもはや決定事項と言ってもよかった。―—そして、今は千載一遇の好機だ。
「……よって、踏み込まぬ理由はない」
理由は分からないにしても、あの時対面した二人に戦闘能力は見られなかった。それならば、仮にこの城が相手の領域であろうとやりようはある。……己の研鑽を、己自身が疑うようなことなどあってはいけないのだ。
――思えば、この時点でリューズには無数の不運が重なっていたのだろう。『赤薔薇姫』の権能の詳細はこの五百年で脚色され、正しい情報以上のものがリューズの脳内に叩き込まれていたこと。『赤薔薇姫』を殺すチャンスを、少年の献身によって逃してしまったこと。―—そして、あと一つは――
「……ほう? これはこれは、面白くもない来客よの」
――『赤薔薇姫』の力の根源がどこにあるのかなど、誰も興味を示してこなかったことだろう。
城の内部に続く扉を開けた瞬間、リューズの背中に怖気が走る。それは、人間という生き物がもともと持つような感覚。どれだけ研鑽しても遠ざかることのない、根源的な畏敬。その視線の先に、立っていたのは――
「この城は寛容だ。貴様のような客でも、わらわがおる限りもてなしはしよう。……もっとも、それが貴様の願いにそぐうものであるかは知ったことではないがな」
――白く、そして紅い女が立っていた。
先ほど対面した時は十五歳かそれ以下のような小柄な体躯だったのが、今ではリューズと並べるくらいには大きな背丈へと変わっている。脆くはかない少女が、強い芯を持つ女性へと、この一瞬で成長を遂げていた。そしてその腕には、先ほど彼女をかばった少年が抱えられている。
「―—ずいぶんと、見違えたじゃないか。そっちが本当の姿か?」
「知らん。どっちが本当かなど、貴様らが勝手に判断すればいい事よ。貴様らの価値基準など、わらわたちには塵よりも意味がない事である故な」
本能が恐怖で叫びだしそうになるのをこらえながら、リューズは必死に口を動かす。……しかし、交渉の余地などどこにもなさそうだった。
「そうか。それなら、さっき言った通り俺の事をもてなしてもらおうじゃないか。土産は――そうだな、貴様の命でいいだろう」
「その仏頂面で冗談を言われても面白くないわ。……貴様のようなものにやる命など、一欠片たりともありはしない」
「そうか。……なら、強引にでももらい受けるとしよう」
これ以上聞きだせる情報もないと判断したリューズは、剣を握りしめる右手に力を籠める。どんなことがあっても、この剣を疑うようなことがあってはならない。そう己に課すだけで、不思議と恐怖は遠ざかっていくように思えた。
王国に誓いを立てたあの日から、リューズの命は王国の剣になった。あらゆる災厄から王国を守り、王国に仇為す者を切り伏せるための、慈悲のない剣。―—仮に『赤薔薇姫』の前でも、その日々への信頼は、積み重ねてきた技術への信頼は変わらない。
「故に、貴様に敗北することはない――‼」
何千、何万回と繰り返した剣の軌道を、リューズは己が出来る最速で模倣する。密林の巨木すら軽々と切断して見せた脅威の一撃が、悠々と立つ『赤薔薇姫』の心臓を切り裂かんと迫り――
「ぬるい」
「……は?」
――虚空から伸びた真っ赤な茨に、その一撃は絡めとられた。四方八方から伸びた血の色をしたそれに固定され、剣は一センチたりとも動かない。リューズの研鑽は、退屈そうな呟き一つで打ち砕かれた。
「確かに貴様の研鑽はすさまじいものだ。人としてたどり着ける領域をはるかに超え、わらわたちを追い詰めるに十分な実力を持っていると言っていいだろう。……だが、一歩遅かったな」
「何を、言って――‼」
理解が出来ない。なぜ、ここまであっけなく力量差が逆転しているのか。リューズの研鑽は、結局怪物に届かないのか。だとしたら、なぜ俺はここまで。―—絶対だった信頼が、揺らぐ。彼のもとに初めて訪れた敗北の気配が、リューズのこれまでを全て疑わしいものへと染め上げていく。
そんなリューズの葛藤を知ってか知らずか、『赤薔薇姫』は腕に抱いた少年を愛おしげに抱えて見せる。その姿に視線を奪われた一瞬で、リューズの手足が茨に拘束された。
「わらわの魂は、最早わらわだけのものではない。わらわの命は、最早わらわだけのものではない。―—故に、勝手に失う訳にはいかぬのだ」
「何を、訳の分からないことを――‼」
「分からないならよい。……わらわとルカ以外の誰に理解されずとも、わらわはわらわの存在意義を貫くのみじゃからな。共感など、最初から必要としておらぬわ」
――故に、分からないまま墜ちていけ。
その言葉を聞いた瞬間、リューズは自らの運命を悟る。虚空から伸びた一本の茨が、リューズの腹を、そして命を一直線に刺し貫く未来を彼は幻視して――
「……ダメだ、リーシア‼」
――その運命を否定するような少年の声に、思考が止まった。
条件付きで姿が変わるヒロインっていいですよね……という訳で、リーシアの秘めたる実力、ご覧いただけたでしょうか。ルカの言葉がこの先にどうかかわって来るかも含め、これからの展開を楽しみにしていただけると嬉しいです!
――では、また次回お会いしましょう!




