第一話『俺の嫁は世界一』
――突然だが、俺の嫁は可愛い。そりゃもう世界一可愛い。しょっぱなから何を言ってるんだと思われるかもしれないが、とにかく可愛くてしょうがないのだ。
お世辞にも高いとは言えない俺よりも一回り小さい身長、日差しを受けてキラキラと輝く銀色の長髪。それだけでももうドストライクなのに、そんな嫁がこちらに上目遣いをしてくるのだからたまらない。ただでさえ綺麗な紅色の瞳をしているのに、それを潤ませながら放たれる頼みを誰が断れるだろうか。少なくとも俺にとっては超難題だ。
「のうルカ、やはり日差しは毒じゃ……もう少し日が傾いてから買い出しの時間を設けぬか?」
そんなわけで、今俺の隣を歩く嫁からの頼み事も相当な破壊力を持っている。いつもは元気よくぴんと張っている背中の黒い翼は、まるで彼女の声色のようにぐんにゃりとしおれていた。足取りも重いし、かなり消耗しているのは事実のようだ。
「いーや、それでもこうやって昼間に歩くことは大事だぞ? お前の体調もまだ安定しきった訳じゃないし、しっかり体力づくりはしていかないと」
だが、俺は必死に心を鬼にしてその願いをはねつける。しょんぼりとした顔も可愛い――いや心は痛むが、それでもこれは必要な事なのだ。俺たちには、少しばかり複雑な事情があるからな。
「たしかにわらわの全盛期は日の光などものともせぬし、それに比べればわらわの力が衰えているのは事実じゃが……ここまでわらわに厳しくするのはルカが初めてじゃぞ? せめて血の一滴ぐらいは寄越してくれてもいいではないか」
そんなことを言いながら、嫁は短い手を頑張って伸ばして俺の鎖骨付近へと口を寄せようとする。まるで抱っこをせがんでいるようなその恰好は可愛くて仕方ないし二人きりの場所なら問答無用で抱き寄せていたのだが、生憎ここは商店街のど真ん中だ。
「この街中でそんなことしたら今までの努力が全部パーになっちまうだろ……? それに、日差しがきついっていうなら俺も一緒だ。何もお前だけに苦労させようってわけじゃないさ」
かんかんと照り付ける日差しは外側からだけでなく内側からもじりじりと俺の体力を削ってきているし、立っているだけで自分という存在が削られているかのような倦怠感が俺を包んでいる。こうやって列記すると熱中症どころではない深刻な症状が俺を襲っているわけだが、それにも俺の嫁はしっかりと関わっていた。
「わらわの眷属……いや、夫になってからまだ日が浅いからな。吸血鬼としての体質に適応しきれていないのじゃろうよ。……本当になぜこの日中に買い出しに行くことを選んだんじゃ? もしや自分を痛めつけるような趣味でも持っておるのか?」
俺のことを心配していたはずの嫁の視線は、言葉が進むにつれて次第に呆れたようなジト目へと変わっていく。それはそれで可愛くてとてもよろしいのだが、さも俺が考えなしの馬鹿だという感じで見つめてくるのは少々遠慮してほしかった。うっかりすると新しい扉を開いてしまいそうで非常に良くないから。
「この体質にも慣れていかなくちゃいけねえし、この先旅をするってなったら日の光と無縁ではいられねえだろ? なら、しばらくのんびりできるこの期間にリーシアの体力づくりも兼ねて少しでも体を慣らしておきたくてさ」
嫁―—リーシアの目をしっかりと見つめ、俺はそう説明する。はじめは疑わしげだったその目付きが俺に対する信愛へと変化するまで、三十秒も必要としなかった。
「流石わらわの夫、そこまで考えておったとは……!疑ってすまぬ、そうと決まればその荷物を寄越すのじゃ!」
より体に負荷をかけるためにな!と胸を張りながら、リーシアは俺に向かって腕を伸ばす。比較的軽めな買い物袋を腕にかけてやると、満足げに目を細めてとてとてと俺の方にすり寄ってきた。俺の嫁、マジでちょろ可愛い。お菓子とかでつられて怪しい大人に連れ去られないかが心配なくらいだ。
「……ルカ、今少し無礼なことを考えていたじゃろう。表情を見れば権能を使わずとも分かるぞ?」
「んなことねえよ、素直でかわいいなあって思ってただけだ。ほんと、俺は良い縁に恵まれたなって」
可愛さを噛みしめているとふと飛んできた疑わしげな視線に、俺はとっさに腕をひらひらと振って弁明する。明らかな年上に俺は今幼さを感じていたのは事実だが、それだけで無礼とはならない……はずだ。それに、今リーシアに話したことも本当のことだしな。
「……まあ、ルカが幸運なことは事実じゃな。『赤薔薇姫』たるわらわの封印を解いただけではなく、その夫となる事すら果たして見せたのじゃから」
「ああ、受け入れてくれてありがとうな。お前が居なきゃ、俺は間違いなくもう一回死ぬところだった。ほんと、姫様には頭が上がらねえよ」
えっへんと胸を張ったリーシアに、俺は深々と頭を下げる。『赤薔薇姫』がどうこうというのは当時あまり気にしていなかった――というか今もそんなに気にしていないのだが、リーシアと出会った俺が凄まじく幸運なのは間違いない事実だった。
リーシア・ベルカザーク・シュミット。それが俺の隣を歩く美少女のフルネームであり、この異世界に長く伝わる『赤薔薇姫』の異名を持った吸血鬼だ。……そして、今現在は俺の主兼嫁でもある。途轍もなく数奇な縁ではあったが、それだけは俺たちの間で変わることのない共通認識だった。
「うむうむ、わらわとともに在れる幸運を噛みしめているようで何よりじゃ。……じゃが、世界一幸運なのはわらわじゃぞ?」
「お、めちゃくちゃ断言するじゃねえか。ということは、ちゃんとした根拠があるんだな?」
少し顔を赤らめたリーシアに、俺はすかさず追及する。これは嫁の可愛いところを拝むチャンスだと、俺の本能が全力で叫んでいた。
「無論じゃ。長い間眠りにつき、あらぬ誤解で周囲から恐れられていたわらわの封印を解いたのがルカであったことが何より幸運な状況じゃからな。感謝するのはわらわも同じ、ルカがよく言うところの『お互い様』というやつじゃ」
「お、よく覚えてた。勉強するの好きじゃないはずなのに、やっぱりリーシアは天才だな」
軽くワシワシとリーシアを撫でてやると、まるで猫のように目を細め、もっとやれと言わんばかりにリーシアは頭をこちらにこすりつけてくる。なんだこの吸血鬼、めっちゃ可愛い。こんな人を嫁にできる人は幸せ者だな……って、そういやこいつ俺の嫁だった。マジで最高。
「やべ、このままだとリーシアに夢中で体力が尽きちまうな……とりあえず屋敷に戻ろうぜ、幸運話はそこで続きと行こう」
「そうじゃな、わらわもまだまだ讃えられたりぬ。わらわが満足するまで眠れると思うなよ?」
「それじゃあ一晩中褒め称えなきゃな。どれだけ言葉を尽くしてもリーシアを満足させるにはまだまだ足りないし」
俺の提案に対して楽しそうな笑みを浮かべるリーシアを見て、俺たちの徹夜ルートが決定する。と言ってもそれは全然苦じゃないし、むしろご褒美だ。なんせ吸血鬼は夜が本番、徹夜なんて日常茶飯事だからな。
……っと、ここいらで俺の自己紹介もしておかなきゃな。俺の名前はルカ・ベルカザーク・シュミット。旧姓は篠原。家名で察しがついたかもしれないが、リーシアの血族に婿入りした眷属兼夫だ。俺はとあるきっかけで異世界に転生し、こんなにも可愛い嫁と一緒に過ごしている。そこに至るまでには、俺の前世含め中々に紆余曲折があったのだが――
「ルカ、何をぐずぐずしておる! 時間がもったいないではないかー!」
「ああ、すぐ追いつく!」
一刻も早く家に帰りたくて仕方がない嫁もいることだし、その事情説明は手短に済ませるとしよう。俺の転生、そしてリーシアとの出会い。夫婦のなれそめは、二週間くらい前に遡る――
始めまして、あるいはご無沙汰しております。紅葉 紅羽と申します。
ヒロインの可愛さ、そしてちょっとちらつく謎などなど、楽しんでいただけたでしょうか。ここから少しずつそれを解き明かしつつ、ルカとリーシアのほのぼのとした夫婦の日常を楽しんでいただければ嬉しいです。更新ペースは自分でも測りかねますが、他作品含めできる限り更新頑張っていきますので応援していただけると幸いです!
――では、また次回でお会いしましょう!