寒い中
「ああ、寒いなぁ」
私は寒さに震えていた。ここは北海道の倶知安町にある比羅夫だ。別荘や観光客のための飲食店などが軒を連ねている。
今は二月だ。雪のせいでただでさえ狭い道が普通自動車一台分しか通れなくなる。
私の仕事は警備員だ。ロータリーで排泄した雪を10トンダンプで運搬していくのを誘導する仕事だ。
この時期はスキー客でいっぱいだ。コロナウィルスで外国人の数は少ないが、国内の客が多いのだ。
彼等は好き勝手に車で移動したがる。警備員が通行止めの合図をすれば快く応じる者もいれば、露骨に顔をしかめる者もいる。自分だって好きで止めているわけじゃないのに、なんで嫌な顔をされなきゃいけないのと思う時もある。
けど私にはちょうどいい。嫌な思いをしても毎日顔を合わせるわけじゃない。
警備員の仕事は毎日コロコロ配置が換わるし、相方も仕事次第では変わるのだ。
もっとも女の私が警備員をやるのは珍しいと言われるけどね。
「ふぅ、やっと終わったな」
最後の運搬ダンプが出ていき、業者が撤収すると、上司に当たる大原邦衛さんが無線機で撤収の指示を出した。
この人は30歳でがっしりした体格の持ち主だ。交通誘導検定2級と言う国家資格を持っている。非常にしっかりした人だ。警備員は割とぼんやりしている人が多く、誘導灯を振っているだけと揶揄されてもおかしくない人もいる。
この私、田中麗子もそうだ。20代の若い女だからてきぱきしてそうと言われるが、実際はあまり頭の回転が速いとは言えないのだ。
「田中さん、もう少し無線のやり取りを聞いた方がいい。何度もこちらは通せないのに、車を通したじゃないか。運転手にどこにいくかと尋ねたのかい?」
「……尋ねました。でもあいつ嘘をついたんです。手前の家に曲がると言ったくせに、まっすぐ突っ切ろうとしたんです」
「ああ、そういう奴は多いからな。まあ仕方ないさ」
大原さんはとても優しい人だ。ただ年上と言うだけで怒鳴り散らす老害とは大違いだ。
私たちは雪山の近くに止めた車に戻る。黒い軽自動車だ。警備員は長距離を走るから燃費の良い軽自動車が好まれる。もっとも同僚では車の改造が好きで、ガソリン代を圧迫している人がいるけどね。
「そういえば田中さんはなんで警備員になったのかな? 女だとトイレに行くのが難儀だろう?」
私は大原さんが運転する車の助手席に乗った。業者から警備報告書のサインをもらい、会社に戻る。所長に報告書を渡して初めて仕事が終わるのだ。
「……デリカシーがないですね。私は人間関係が苦手なんですよ」
「なるほどね」
そう私は人づきあいが苦手なのだ。大学を卒業した後町役場に努めたことがある。だけど毎日上司や同僚と顔を突き合わせると、嫌な奴と毎日顔を合わせなくてはならなくなる。
結局一年も持たずに退職した後、伯父さんの勧めで警備職に就いたのだ。お母さんは身体がきついのに安月給だからやめたほうがいいというが、精神的疲労より、肉体的疲労の方がましだ。
「実を言えば私もそうなんだよ。うちにも嫌いな奴はいるけど、毎日顔を合わせるわけではないからね。安月給だけど交通誘導検定1級を取れば、会社を経営することができるんだ。私はそれを目指しているんだよ」
そう言えば昼食の時もおにぎりを食べながら教本とにらめっこしていたっけ。
「君はどうなんだい? 可愛いんだからうちではモテモテだろう」
「冗談でしょう。私みたいな色気のない女なんかみんな相手にしませんよ」
実際私は色気がない。髪は長いと邪魔だから短くしているし、身体つきも筋肉が発達している。さすがに男みたいとは言われていないが。
「他の人たちはスナックのお姉さんが好きなんですよ。もしくはパチンコですかね」
「みんな、結婚には無関心だからなぁ」
安月給だから結婚できないというより、今は結婚することに意義を感じない人が多いようだ。
特に北海道では家名を継ぐ気がない。本州では家名を継ぐことを重要視しているらしいが、これは北海道ならではだろう。独身の方だと気が楽なのだ。食事などコンビニかスーパーで弁当を買えばいいから。
「けど、見てみろよ」
「なんですか?」
私は外を見た。雪が降っており前が見えにくい。それでも観光客などが歩道を歩いている。家族連れも多いがカップルも目立つ。
「こんな寒い中、よく歩けるものだな。私たちみたいに仕事で歩くならともかくさ」
「比羅夫って、日本なのに外国に来ている気分になりますからね」
春になればホテルや別荘の建築で建設業者が増えるだろう。車がやたらと多いとうんざりしてくる。
☆
私は大原さんとの仕事が多くなった。まあ、同じ建設会社の排雪作業だから仕方がない。大抵役場の委託で建設会社が町の排雪を担当するのだ。
私の能力では国道の誘導など無理なので、比羅夫のような道道に回される。
ちなみに道道は北海道の作った道路だ。県だと県道と呼ばれているね。
「昼だな。コンビニに行こうか」
大原さんは昼になるたびにコンビニへ行く。私がトイレに行くためにだ。これが他の同僚だと立ち小便でもしてろと言わんばかりだ。さすがにセクハラ発言になるので直接は言わない。私が頼めばコンビニに行ってくれるが、いい顔はしないな。
「大原さんはなんで私に気遣うんですか?」
私は大原さんに尋ねた。もっともこの人は他の同僚たちにも気遣っている。私だけが特別ではないが、気になった。
「……私は自己中心的でね。人に嫌われていたんだ」
「そうなんですか?」
「ああ、人に何かしたわけではないが、何もしたことがないんだよ。面倒なことは他人任せだった。だからこそ嫌われたんだろうな」
何もしなくても嫌われる。理不尽な話だ。だが何もしてくれない人間がいたら私だって腹が立ってくる。
「前の会社もそれでやめてしまったんだ。だから私は気遣うことにしたのだよ。人から嫌われないためにね。自分の為に気遣っているのだよ」
なんとも不思議な人である。あまり現実的な考えではないな。
でも私も似たようなものかもしれない。思えば私も同僚から白い目で見られているが、自己中心的なのが原因なのだろう。
「……あの」
私は運転する大原さんの手を握った。
「明日休みですよね。仕事が終わったら大原さんの家に行っていいですか? 寒い部屋で暖め合いませんか」
その日、私たちはエゾフクロウのように暖め合った。
次の日、他の同僚たちが私を見て顔つきが変わったねと言われた。鏡を見ると私の顔が赤くなった。
大原邦衛と田中麗子は、俳優の田中邦衛さんと大原麗子さんから取りました。
コミック快楽天に掲載されそうな恋愛物にしました。
さすがに本番そのものはさらっとしましたね。