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お外でお絵かきではなかった

「お庭の花壇のチューリップが綺麗に咲いているので皆で見に行きますよ。教室に帰ってきたらお花の絵を描くので皆さんよくお花を見てくださいね。それでは帽子を被って、お外の靴に履き替えて教室の前に集まってください」


 はーい!!と元気にお返事をしたゆり組一同は一斉にそれぞれの収納棚に駆け寄り、カラー帽子を取り出した。

 ユメマチ幼稚園のクラスは花の名前が付けられていて、各クラスの帽子はその花の色が割り当てられている。

 さくら組はピンク、すみれ組は水色といった具合であるが「ピンクはおんなのいろだろ!」と憤慨する男児と「ピンクがいい」と泣く女児が出るのは春の風物詩である。


 マホちゃんのゆり組は白だ。全員がそうとは当然いかないが、比較的男女ともに受け入れられやすい色である。ただ汚れが目立ちやすいので洗濯をする親御さんが苦心する色でもある。


 わあわあと各個人の収納棚に殺到するゆり組の面々に負けず棚に駆け寄ったマホちゃんも帽子を手に取り、まだ真っ白な自分の帽子の内側を見てニンマリとした。

 内側には『ササキ マホ』とママがお名前を書いてくれているのだが、名前の横に灰色のオウムがワンポイント刺繍されてあるのだ。ママが目立たないようにこっそり刺してくれた一品である。自分の帽子だけ特別感があってマホちゃんは何だか嬉しい。

 これはまだ仲良しのセイちゃんとミノリちゃんにも見せた事が無いマホちゃんの秘密だ。

 ママは「ハシビロコウだよ!」と言っていたが、どう頑張って見てもオウムである。あとハシビロコウが何なのかマホちゃんには分からなかった。

 何故幼い娘の帽子に渋めの大型鳥類ハシビロコウの刺繍をチョイスしたのか謎だが、悲しい事にママの技量ではかろうじて「嘴が大きい鳥」と認識できる完成度だ。これにより、マホちゃんの中では「ハシビロコウはオウムの仲間」という誤解が生じてしまった。これは彼女が図鑑の解説を正しく理解できる年齢になるまで続くことになる。


 そんな『特別』な帽子をふふん、と鼻を鳴らしながら被り、次に鞄から緑色のチューブを取り出した。ママに「幼稚園でお外に出る前にお顔に塗るのよ」と持たされている子供用の日焼け止めクリームだ。老舗製薬メーカーのロングセラー商品であるそれは『子供用』とは表示されているものの、現代の子供の興味を引こうとは一切考えていないシンプルなデザインである。ママは品質が確かなら外見はそこまでこだわらないタイプである。


 反対にデザインにもこだわるたちなのはパパだ。『ときめき!きららんラブリン♡』の体操着袋しかり、なんでもマホちゃんの好みに合わせようと拘りを見せている。

 そんなパパは今朝の爆走(送迎)ママチャリで交わしたマホちゃんの会話から、日焼け止めを持たせることを忘れたと思っている。

 出社後、本日の仕事は短縮不可能と判断したパパは、今日のお昼ご飯の時間を割いて『ときめき!きららんラブリン♡』仕様の日焼け止めクリームを探し求めることになるが、幼稚園から「週間予定表」をしっかりチェックしているママにより愛娘の日焼けの心配は無用のものだった事は帰宅後に知る事となる。

 ちなみに退勤後に買い物に寄ろうとは思わない。だって早くマイ・スイートホームに帰りたいもん。


 パパの今日の昼食がクッキー型の栄養補助食品とペットボトルの水になるとはつゆ知らず、マホちゃんは手早くクリームをお顔に塗る。

 あまりもたもたしていると、ダイチくんに「けしょうしてる-!」と叫ばれてしまうのだ。それはちょっと恥ずかしい。


 準備が整ったゆり組の面々はお利口に教室のお外扉の前に集合した。ちゃんと決められた『背の順』である。

 ミシマ先生が全員揃っているか確認し、女の子と男の子で2列に並んで先生の引率で園庭の花壇へ向かう。


 幼稚園の用務員さんが手入れを欠かさない花壇にはいつも季節の花が植えられている。今の時期はチューリップが見頃を迎えていて、園庭の南側にある花壇からは花の香りで溢れている。

 ミシマ先生は「お花のいい香りがしますね」と園児達を引率しながら言い、空気読む派の女の子たちは「いいかおり~」とうっとりとした様子で先生に同意しているが、マホちゃんにはいまいち理解出来ない。

 大変素直なダイチくんを筆頭とする幾人かの男の子達は「くせー!」と大声を上げている。マホちゃんも言葉には出さないが実はそう思う。お花は綺麗だと思うが、いい匂いだとは感じない。


「おはなのにおいがいいにおいと思えたとき、おとなになるのよ」


 セイちゃんが何か真理めいた事を言っているが、マホちゃんには良く分からない。

 いい匂いじゃないものがいい匂いになる日が来るのだろうか。それが「おとなになる」こととはこれ如何に。マホちゃんはもやもやと考えてしまう。


「ラーメンのほうがいいにおいだよね」


 マホちゃんより背の高いミノリちゃんが列の後ろの方から何やら呟いているのが聞こえる。マホちゃんも強く強くそう思う。あとイチゴの匂いとか石けんの匂いとか、もっといい匂いのするものは他にいっぱいあるなぁ、と考えると楽しくなってきてさっきのもやもやした気持ちは無くなってしまった。ただ単純に「花の匂い」の一件については忘れたとも言えるが。


 さて歩く事約一分、各々花の香りとその他の匂いに思いを馳せている間に、ゆり組の目的地である花壇に到着した。

 定番の赤、白、黄色に始まり、オレンジ、紫、ピンク、マーブル、花びらの形も丸いものや尖ったもの、フリル状のものまで多種多彩だ。ちょっと幼稚園の花壇のレベルを超えているチューリップのラインナップである。幼稚園の用務員さん渾身の作品とも言えよう。

「子供達には色々な花を見てもらって、感性を養ってもらいたいんです!」という建前のもと、用務員さんは毎年幼稚園の花壇にしては多めの予算をもぎ取っている。一部自費で花の苗や球根、専用の肥料を調達する用務員さんの実状は、ガーデニングオタクやや変態気味(褒め言葉)、自己満足の代物だったりする。


 そんな(変態レベルの)用務員さんこだわりの配置で整えられた花壇の中央には、謎の黒い石が鎮座している。というかぶっ刺さっている。大きさはマホちゃんの腰くらいの高さでサッカーボールくらいの胴回りだろうか。

 真っ黒な石は色とりどりのチューリップの中にあって異質である。景観にうるさそうな用務員さんにいの一番に撤去されてもおかしくないはずだが、その石はしれっと花壇のど真ん中に鎮座している。


 この妙な黒い石以外にも、ユメマチ幼稚園には様々な石像が乱立している。

 幼稚園の創設者の偉い人や、過去の卒園生が寄贈したらしい記念碑、あとお寺とかの庭にありそうな大きな石だ。何代か前の園長先生の趣味で持ち込まれたらしい。


 マホちゃんは全部を見た事はないが、他にも何個かあるそうだ。年少さんからユメマチ幼稚園に通っているミノリちゃんが教えてくれた。


 色とりどりのチューリップの中に佇む無骨な黒い石は何ともミスマッチであるが、そんな事を気にする園児も教職員もいない。

 石はこの幼稚園の中に沢山あるし、珍しくもなんともないからだろうか。セイちゃんすら突っ込まない。

 マホちゃんも入園したばかりの頃に「なんかおおきな石があるな」と思って以来ほとんど意識していない。重量感はあるのに存在感の薄い不思議な石である。

 ただし今日は先生が目を離した隙にチューリップ畑を乗り越えてダイチくんがよじ登っていたので、少なくとも彼にはロックオンされていた模様である。この後ダイチくんは変態気味の用務員さんにしこたま怒られていた。


「では教室に戻って今見たお花の絵を描きましょう」


 チューリップの花壇を中心に、他の花壇も何周か見たあとミシマ先生の号令に「はーい!」と元気よくお返事をしたゆり組面々は再び隊列を組んで教室へと歩き出した。


 お外でお絵かきをすると思っていたマホちゃんは「あれ?」と首を傾げる。どうやら昨日先生が言っていたことをちょっと勘違いしていたようだ。こっそりほっぺを赤くするマホちゃんである。お外に出る前にもミシマ先生は「教室で絵を描く」と発言していたが聞き逃していたようだ。


 お家に帰ったらパパに「おそとでお絵かきじゃなかったの」と報告しなければならない。



 お外から帰ってきたら、教室の前にある手洗い場で手を洗ってから教室に入るお約束になっている。

 マホちゃんも手を洗う順番を待って、ミカンが入っていた網みたいなネットに入って吊されたオレンジ色の石けんを泡立てて、爪の間から手首までしっかりと洗う。

 食中毒やら感染症やらの対策に敏感な幼稚園の方針で入園後に歌付きで真っ先に教わったものだ。

 ポケットに入れていた『こりすのマリン』柄のハンカチ(パパ購入)で手をしっかりと拭き、上履きに履き替えて教室に戻って他の子達が揃うのを待つ。


 次々にクラスの子供達が席に着く中、ハンカチを持つ習慣のないダイチくん(ダイチくんのお母さんは毎朝持たせているはずだが、なぜか必ずお家の玄関に落ちている)が水の付いた手をブンブンさせて最後に入ってきた。駆け足気味に席に着いたので、道中飛んで来た水滴を浴びた女の子達からブーイングを受けたがダイチくんは気にしない。セイちゃんの「きたない。さいあく」という言葉にはダメージを食らっていたようだが。



 全員は席に着いた事を確認し終えた後、ミシマ先生から画用紙をもらいクレヨンを自分の棚から持ってきて、皆思い思いに花の絵を描く。


 マホちゃんはピンクと黄色といろんな色が混ざった(マーブル)のチューリップがとても気に入ったので1本1本丁寧に描いていく。大好きなセイちゃんとミノリちゃんもいたら嬉しいなと思って手を繋いだ女の子も3人登場させる。

 モンシロチョウも飛んでいたから水色に塗った空に飛ばす。…が水色に塗ったお空に白いクレヨンでチョウチョを描いたら全然色が乗らなかった。真っ白なクレヨンに水色がくっついてしまいちょっと悲しいマホちゃんである。


 この次描くときは先にモンシロチョウを描こうと心の中で決意をし、気を取り直して夢中で絵を書き続けていると「そろそろ終わりにしましょう」とミシマ先生から号令がかかった。


「描いた絵を皆さん持って来て下さい。先生に絵を出した人から手を洗って、お弁当の準備をしましょう」


「明日後ろの掲示板に皆の絵を貼りますからね」とミシマ先生は付け加えて、端っこの班の子から順番に絵を提出しに席を立ちだした。マホちゃんの班は3番目だから順番が来るまで書き上がった絵を眺める。本当はもう少し描いていたいけれど、まあまあ満足のいく出来だ。モンシロチョウを描けなかったことが心残りであるが。


 明日セイちゃんとミノリちゃんが描いた絵を見るのもとても楽しみだなぁ、と思いながら順番が来たので絵を先生に出して手を洗いに行った。


 手を洗い終わり、自分の収納棚からお弁当の包みを持って来て席に広げる。他の子達もお弁当の準備が終われば『いただきます』のお歌を歌ってママが作ってくれた色とりどりのお弁当を食べるときだ。

 余談であるが、早く食べたいダイチくんが一人歌の速度を捲いて歌い終わるのはいつものことだ。しかし結局皆が歌い終わらないと食べられないことを理解することはいつになるのだろうか。


 お弁当は皆お行儀良く食べ進めて、特段するハプニングも無いままお弁当の時間は修了する。幼稚園で一番穏やかな時間である。


 お昼ご飯が終われば再び自由時間だ。時々ミシマ先生が「帰りの時間まで○○をしましょう」と言う日もあるが今日はそれぞれ自由に遊べる日だ。

 マホちゃんは今朝の続きのヌイグルミ遊びをやりたかったが、ヌイグルミ達の使用権は他の女の子達が握ったようだ。基本教室のおもちゃ箱は早い物勝ちなのだ。


 仕方が無いので何をして遊ぼうかなとマホちゃんが考えていると、歯磨きが終わったミノリちゃんが「おそとであそうぼう」と誘ってくれた。もちろんセイちゃんも一緒だ。セイちゃんは「ドラゴンをしたがえてがいせんするよていだったのに」とまた難しい言葉を使い呟いていたので、マホちゃんと同じくヌイグルミ遊びに心残りがあったようである。




 帰りはママがお迎えに来てくれる。ママはお仕事が2時までなのだ。仕事の帰りにマホちゃんを迎えに行く事が日課となっている。


 幼稚園の送迎バス待ちのセイちゃんと、親御さんの仕事の都合で幼稚園の時間いっぱいまで残るミノリちゃんにバイバイをしたマホちゃんは正門から手を振りながら歩いてくるママに向かって駆け出した。

 保護者が送り迎えをする園児は、登録された人物に間違い無く引き渡されているかを先生達が直に確認する決まりになっている。世知辛い世の中になったものである。

 しかしマホちゃんのママは遠目に見ても「マホちゃんのママ」と認識される(目立つ小ささだから)のでマホちゃんが猛ダッシュして行っても先生たちは基本そのままマホちゃんを見送っている。

 レアパターンでパパがお迎えにきた時も「マホちゃんのパパ」と認識される(超でかいから)ので同様である。


 なかなかの勢いでママに突進して飛びつくマホちゃん。大人とは言え小柄なママはふらついてしまう…と思いきや、片足は一歩後ろへ、そして腰をやや低く下げ両腕を広げて恙無くマホちゃんをキャッチした。擬音語を付けるとすれば「ガッシィィィ!」という文字が大変合う光景である。


 元気に飛びかかってくる愛娘は平均的な5歳児の体格であり、それなりに体重がある。運動部の経験皆無の小さいママは始めてのお迎えの時、お迎えが嬉しすぎて普段より勢いましましで突撃してくる娘を受け止めようとして、見事に吹っ飛ばされてしまったものだ。

 この突進力はパパの遺伝かしら…と青空を眺めながらうっかり感心してしまった。しかし血相を変えて駆け寄ってくる先生方と何より自分がママを転ばせてしまったと理解したマホちゃんが泣いてしまい、己の筋力をどうにかすることをママは堅く決意した。


 なお「危ないから飛び付かないでね」と娘を諭すことはしない。だって可愛い娘が駆け寄ってきたら全身でキャッチ&ハグしたいじゃない?


 満面の笑みで魚雷の如く突っ込んでくるマホちゃんを確実に受け止めるため、ママはレスリングおよびラグビー経験者であるパパにタックルの受け止め方の指南を願ったのは、マホちゃんが入園してから初めての休日である。

 家族で訪れた休日の公園でパパ(巨漢)を受け止めるママ(子供?)の姿に居合わせた周囲の人々はちょっとハラハラしていた。何やら子供が行き過ぎたスパルタ教育を受けているように見えたらしい。

「ママがんばれー!」と応援するマホちゃん(子供)がいたので通報するには至らなかったのが幸いである。


 どうにか1日でマホちゃんを受け止めるコツを掴むことができたのはパパの教え方が上手だったのか、ママの執念故か。

 パパはママに怪我をさせないように現役時代の20分の1のパワーに抑えたり、普通にやると危険なハイタックル(ラグビーの反則プレイ)に成りかねない身長差なので、現役時代以上に身をかがめたりと精神的・肉体的に疲労困憊であったが…。股関節が軋んだらしい。


 とにかく危なげなくマホちゃんキャッチをマスターしたので、マホちゃんは翌週のお迎えから遠慮なくママに飛び付くようになった。


「マホちゃんお帰り」

「ママもおかえりなさい!」


 本日も安定の娘キャッチを見せたママはマホちゃんを抱っこして、ふくふくのほっぺにちゅうをする。少しくすぐったそうにしたあと、マホちゃんもママのほっぺたにお返しのちゅうをした。えへへ、ふふふ、と顔を見合わせて笑い合う親娘の姿は実に絵になる光景である。

 なんかセイちゃんが遠くて拝んでいるように見えるのは気のせいだと思う。


「きょうはねぇ、おはなのえをかいたの。ミシマ先生がはってくれるって」

「そうなんだ。今度の保護者参観で見るの楽しみだねぇ」


 上手に描けた?うん!と今日の出来事を次々と途切れること無く一生懸命ママに教えるマホちゃん。

 幼稚園の時間はママとパパとはお別れするので悲しいけれど(実際パパも最初の日号泣してたし)、マホちゃんが楽しい話をすればママもパパも嬉しそうに笑うので毎日『よかったこと』を探すのに余念が無いマホちゃんである。


ハシビロコウはペリカンの仲間。

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