マホちゃんはゆり組の年中さん
「マホちゃんおはよー」
「あ、セイちゃん!おはよう!」
教室に入ってすぐに、少し顔色が悪いすみれ組のヤマグチ先生からパパが渡し忘れた体操着袋を受け取り、自分の荷物置きの棚に鞄と帽子と一緒に仕舞った。制服のブレザーからお遊戯着に着替えると横から声を掛けられた。ユメマチ幼稚園でとっても仲良しのセイちゃんだ。
セイちゃんはマホちゃんと同じゆり組の年中さんだけど、どこか大人びた雰囲気のする女の子だ。それに頭も良くて礼儀正しくて、他の子達のお手本になっている。
少し切れ長の涼しげな目元で、真っ直ぐで背中の真ん中まである黒い髪はツヤツヤ。だから余計に他の子達よりもお姉さんぽく見える。まん丸な目をしていてクルクル栗色の髪の毛をしているマホちゃんは密かに憧れている。
でも「マホちゃんのかみの毛、がいこくのお姫様みたいでいいな」と他ではないセイちゃんに言われたことがあるので、マホちゃんは自分の髪だって大好きだ。
「ミノリちゃんは~?」
「ミノちゃんはお外おさんぽしてるよ」
マホちゃんにはセイちゃんの他にもう一人、特に仲良くしているお友達がいる。
親御さんの仕事の都合か、いつも妙に早い時間に登園しているミノリちゃんは誰もいない園庭をお散歩することを日課としている女の子だ。
マホちゃんが登園する時間に時々お散歩をしている姿を見かけるが、後ろに手を組んでゆっくり散策している姿に田舎のおばあちゃんを思い出す。
ミノリちゃんは黒いショートボブの髪の毛で、少し厚めのぽってりとした唇、眠たげな垂れ目をしてぽやぽやした印象の子だ。
ちょっとぽっちゃりめで、意地悪な男の子に「デーブ!」と短絡的すぎる暴言を吐かれることもあるが本人は全く怒らない。度量が大きいのかマイペースなのか、それとも「ミノリちゃんは大きくなったらばけるよ」というセイちゃんの謎のフォローによるものなのかは分からない。
でもマホちゃんはそんな穏やかなミノリちゃんが大好きである。
あさの会が始まるまで子供達は自由時間だ。それまでマホちゃんはセイちゃんと、お散歩からちょうど帰って来たミノリちゃんとヌイグルミで遊ぶことにした。
教室に置いてあるおもちゃの箱をいくつか引っ張り出して早速ヌイグルミ遊びのスタンバイだ。
彼女達の最近のお気に入りは、それぞれヌイグルミに役割を与えてそのキャラクターになりきる遊びだ。毎日代わりばんこでその日の「テーマ」を決めている。昨日はミノリちゃんのリクエストで『ときめき!きららんラブリン♡』だった。『ときめき!きららんラブリン♡』は可愛らしい女の子が変身して悪者を倒す、という王道の女の子向けアニメだ。かつて女の子だった親世代のアニメのパロディもそれとなく取り入れていて、大人のファンも獲得している手堅いアニメである。
昨日のマホちゃん達のごっこ遊びは主要キャラクターのみで悪役無しの平和なやりとりだったが、途中で乱入してきた同じゆり組の男の子、ダイチくんが図らずもボス役になった。
空気を読まず、本能と直感で生きているダイチくんは楽しい時間に水を差された女の子達の容赦無い口撃でコテンパンにやっつけられて涙目になっていた。特にセイちゃんからの一撃は大変重かったようである。
しかしダイチくんは何の前触れも無く突然パンツごとズボンを脱いでチ○コを大公開する幼稚園~小学校低学年のクラスにだいたい1人はいるアホタイプの男児だ。10分後には倒されたことを忘れ去って、よく分からない雄叫びを上げながら外を走り回っていた。
今朝のテーマを決めるのはマホちゃんだ。今日はマホちゃんの順番だったので昨日の夕方からずっと考えていたのだ。
「今日はねー、まほう使える魔女のおんなのこの話にしよー!おとこのこの魔女はつくらないでね!」
「マホちゃん、魔法が使えなかったらただのおんなのこだよ。あともともと魔女はおんなのこしかいないよ」
「わたしまほう使えるメス猫にする」
まだマホちゃんは一般的には魔女は女性の魔法使いに分類されることを理解していない模様だ。冷静にツッコミを入れるセイちゃんである。そしてミノリちゃんはテーマの趣旨を大筋で理解はするものの、ややズレた設定にしてしまうのはいつものことだ。
セイちゃんの説得で猫耳が生えた魔女、ということになったミノリちゃん(ねこのヌイグルミ使用)以外の魔女っ娘は、マホちゃんは動物や花とお話が出来るメルヘンな魔女(女の子のヌイグルミ使用)、セイちゃんは深くローブ(ハンカチで再現)を被り素顔を見せない醜い姿だが実はその正体はある国の美しいお姫様(恐竜のヌイグルミ使用)…とやけに凝った設定だ。詳細なキャラ設定はあさの会が始まるまでの短い時間では活かし切ることはできないだろう。
テーマは毎日変わるが、だいたいマホちゃんとミノリちゃん中心に物語が進み、セイちゃんはツッコミと設定ミスおよび脱線修正を担っている。
それぞれのヌイグルミのキャラ設定が終わると、早速『願いが叶うお花』を探しに行くとマホちゃんが宣言した。それと同時に本日のヌイグルミ遊びがスタートする。
特に開始の合図も詳細な打ち合わせも無いままストーリーが始まり展開する幼児達の以心伝心ぶりは、ベテランの芸人が唐突に始めるコントさながらである。
「わたしのいもうとがしにそうな病気なの。いっしょに『ねがいが叶うお花』を探して!」
「それはたいへんにゃ~!『ねがいがかなうお花』を探しにいこうにゃ~!きっとまちのお花屋さんにあるよ!…にゃ~」
「ミノリちゃん、お花屋さんにはないと思うよ。…まぼろしの山にあるって聞いたことがあるよ」
ミノリちゃんは『花=お花屋さんで手に入れるもの』という認識らしい。さすがにお花屋さんには無いかな…と思ったが、伝説級の花の在処を冷静に訂正したセイちゃんにマホちゃんは惚れぼれとした。
「まもろしの山かぁ。じゃああっちだね!」
セイちゃんのツッコミを物ともせず、ミノリちゃんは片手で素早く製作した『まぼろしの山(材料:積み木とブロックなど)』に突撃していった。ミノリちゃんの切り替えの良さをマホちゃんは好きだと思っている。
でも猫耳の魔女設定で語尾に付けていた「にゃ~」を忘れているあたり、多少の動揺はあったのかもしれない。
『願いが叶うお花』を求めて魔女っ娘3人は『まぼろしの山』を進む。
途中、地震が起きて山が崩れたり(原因は側を駆け抜けたダイチくん)、お花を独り占めするドラゴンが立ち塞がったりとなかなかの盛り上がりをみせた。ちなみにドラゴンはセイちゃんによる一人二役によるものである。
「ドラゴンさん!いじわるしないで『お花』をわけてちょうだい!『お花』さんもたすけてって言ってるわ!」
「ことわる!これは全部わたしのものだ(※セイちゃん低声)――― しりしよくのためにひとりじめするのならただでは済まないわよ(※セイちゃん地声)」
「…1本くらいひゃくまんえんで買えないかなぴょん」
「え、ドラゴンさんはお花売ってるの?」
「…おかねなんぞいらぬわ!(※セイちゃん低声)」
いよいよ物語は佳境に入ったようだ。三人の演技にも熱が入る。
マホちゃんは花と会話ができる設定を忘れずに取り入れて、物語に緊迫感を乗せる。セイちゃんはなんだか難しい言葉を使っているが、なんとなく良い意味ではなさそうなのでマホちゃんは気にせず物語を進めることにした。
ドラゴン(※セイちゃん)の「ただでは」を「無料では」と解釈したミノリちゃんは金銭で解決しようとしている。不条理に独占されている花をお金で取引するのは正当かと言われれば腑に落ちない部分もあるが、暴力に頼らない割と平和的な解決方法だ。聡いセイちゃんは一瞬判断に迷ってしまった。
なお、いつの間にかミノリちゃんの猫はウサギの魔女に変わっていたが些細なことである。
結局ドラゴンは『願いが叶うお花』を世界征服に使おうとしている(セイちゃんがねじ込んだ設定)ことが暴かれ、3人の合体技で倒されるに至った。
そして幾多の困難を乗り越えた魔女っ娘たちはついに『願いが叶うお花』を手に入れることができた。
ちなみに『願いが叶うお花』は昔懐かしのサングラスを掛けた踊るフラワーである。何故年代物のそれがこの幼稚園に未だ存在しているかは誰も分からないが、故障して数年経ち、本来の機能を失ったそのおもちゃの実態をマホちゃん達が知る日は来ない。
と、マホちゃん達がフラワーを囲んで達成感に浸っていると、教室のスピーカーから軽快な音楽が流れ始める。9時から始まるあさの会の始まり5分前の合図だ。
それを聞いた途端、教室内の子達はおもちゃや絵本を一斉に片付け始め、外を走り回っていた子達もそれぞれの教室に向かって駆け出す。ほとんど条件反射だ。
こうして日本人は協調性と集団行動を洗の…身に付けていくのである。
マホちゃん達も音楽を聴いてすぐ魔女っ娘を解除し、ヌイグルミや積み木を元のおもちゃ箱に片付け始めた。まさにスイッチを切り替えたような動きぶりである。
時間切れで『しにそうな妹をたすける』という最終目標までは到達出来なかったが、きゃあきゃあ賑やかに笑いながらのお片付けは理由は分からないがなんだか楽しいと思うマホちゃんである。
お片付けを済ませて、それぞれの班のテーブルの席に座るとお外で遊んでいた子達も次々に教室に戻ってきた。
勢いよく教室に駆け込んできた子供達の一人はハヤトくんだ。その勢いのままマホちゃんが座る班テーブルの椅子にぶつかるように腰を掛ける。二人は同じ班だがあまり話をしない。
何故なら照れちゃうからだ。お互い「好き」な感情を持っているが、素直に好意を表すことが出来ない、そんな可愛らしい恋心を抱いている。ちょっと目が合うとすぐに反らしてお互い無関心を装っちゃうレベルである。
そんな甘酸っぱい雰囲気を敏感に読み取るのはゆり組の担任であるミシマ先生だ。経験豊かな(意味深)ミシマ先生は毎日微笑ましく幼い恋を陰ながら応援している。
残念ながら今朝はお外をかけずり回り続ける園児を捕獲しに行って不在であるが。
ちなみに女の子達にちょっかいをかけまくるダイチくんは、好きな子に意地悪をして嫌われるタイプである。あと、移り気が割と激しい。ミシマ先生はダイチくんの将来がちょっぴり心配だ。
ハヤトくんは同じ班の男の子と先日放送の『甲冑戦隊ボーグジャー』の話をしている。この特撮ヒーロー番組はスタンダートに5人のメンバーで構成される戦隊ものである。5人メンバーの中で最推しが違う2人はギャアギャアやかましく言い合っている。
ハヤトくんが好きなマホちゃんは行儀良くあさの会が始まる時間を待つフリをしながら、その耳はハヤトくんの言葉に向けられている。ハヤトくんもマホちゃんにカッコいいところを見せようと、一番好きなメンバーの「いいところ」を主張して言い負かそうとますます頑張る。
こうしてマホちゃんはハヤトくんの事を知りながら、図らずもあまり視ない『甲冑戦隊ボーグジャー』の知識を得ているのである。
あと隣の班テーブルからニマニマしながら訳知り顔で2人の様子を観察するのはセイちゃんである。おませさんだ。あとでミシマ先生に報告しに行こうと思う。
教室の黒板の真上にある時計がちょうど9時を指したとき、ミシマ先生が最後まで園庭を走り回っていた園児を無事に捕獲して教室に入ってきた。
まだ朝の自由時間の余韻が抜けきらない教室であるが、ミシマ先生が大きな声で「みなさん、おはようございます」と言えば皆一斉に先生の方向へと顔を向けて「ミシマ先生、おはよーございます!」と元気にお返事をする。日本の幼児は基本的に皆お行儀がいい。
マホちゃんも例に漏れず大きな声でお返事をした。
それだけなのにとっても嬉しく思うのは、何でだかは分からない。
分からないけれど、今日も大好きな幼稚園の時間が始まる。
セイちゃん「ミノリちゃんは将来むちむち豊満な婀娜っぽいの女の人になると思う」
ミシマ先生「どこでそんな言葉覚えてくるの…?(連絡帳に書いた方がいいかな…)」