7ー1
「アドルフ来たよぉ」
お昼時。
広場での演奏を終えた結月が、彼の家へおしゃべりがてら通う様になって、どれ程だろう。
背中に楽器を背負い、手にはバスケット。
中にはふたりで食べる為の食事が入っている。
結月を認めたアドルフは、「また来たのか」と言わんばかり視線でその姿を一瞥し、仕事を続ける。
「だって、遊びに来ていいって言った」
「毎日とは言ってない」
お互い気楽なやり取りを交わすくらいには距離を詰めたふたり。
初めは森の中で迷子になってしまった結月だったが、毎回、来る時も帰る時も何故かそうなるので、アドルフは仕方なく対策を講じ、結月がこの森へ来た時は必ず魔法遣いの小屋まで来れる様、彼女に印をつける。
「何してるの?」
「仕事」
と、こんなやり取りを昨日もその前もしていて、アドルフが机に向かっている時、結月は静かにしていた。
勝手に家の中をうろつき回り、お茶を入れたりお皿の準備をしたりして、支度が終わると椅子に座って静かに待っている。
彼の仕事が終わるのを。
彼の背中を見ながら。
それはまるで懐いた犬のように。
尻尾ふりふり「待て」をしている。
一方アドルフは、といえば、何か唱えながら薬を調合したり、どれ程読み込んだのか、装丁がほつれてしまっている本を読み返していたり……。
何かしらの仕事をたくさん抱えているらしく、魔法遣いは結月の知る限り、あの日から一歩もこの小屋から出ていない。
「……」
そんな彼のことをいくら見つめても飽きずにいられる。
綺麗な金色の瞳を全て隠してしまうくらい長く伸びた前髪を耳にかける仕草。
考えている時に指で耳の付け根辺りを揉む癖。
話しかけると面倒くさそうに一度眉間に皺を寄せる仕草。
仕事に集中している時の真剣な顔。
集中し過ぎて、食事なんて後回しでまともに摂っていないこと。
なんだかんだ言いつつ結月に居場所を与えてくれたアドルフは、面倒見もいい。
この胸に灯り始めた小さな火種はなんなのか。
結月は机に臥したまま、時折髪を掻き上げる仕草をするその背中をぼーっと見つめる。
このままどうなっちゃうのかな。
ふ、と。
余計な考えが頭を過ぎる。
このまま、この人の側に居られればそれでもいい。
初めは言葉も通じない、何をしていいか分からない現実から逃避したくて、口にはしなかったが、元いた所に帰りたかった。
でも今は、逞しくもギター一本で頑張っている。
生活出来るまでにはいかないが、お世話になったパン屋の夫婦に恩返しするのを目標に、今は貯められるだけ貯めている最中で。
何がしたいんだろう。
結月は考え事に集中し過ぎて、アドルフが動いたことに気付かない。
お昼の支度が整って、あとは結月の前に彼が座れば、一緒にご飯が食べられる。
この机の上だって、ふたりが一緒に食事を摂るようになって、スペースが生まれた。
それまでは、雪崩を起こさんばかりに積まれた本の山。
直接触れるのを躊躇ってしまうような、乾燥した何かたち。
小屋を改めて見回すと、人が暮らす空間ではなかった。
それに顔を顰めた結月が、アドルフの元を訪れる度、少しずつ整理整頓を始め、本は本、薬は薬、何か分からないものはそれなりに、と、まとめられた。
初めは騒がしいものでも見るような目つきをしていたアドルフも、好き勝手させていたら、人が生活出来る場所が出来上がっていた。
机でそのまま寝落ちすることが多かった為、出番のなかったベッドも。
窓を開け換気もするので、その度に新鮮な空気が中に流れる。
外の木々がカサカサ擦れ、少し強めの風が、「おきて」と、伏していた少女の髪を撫でつける。
「アドルフ?」
結月は身を起こした。
彼の背中がない。
慌てた彼女が立ち上がろうとした、その時。
「呼びましたか?」
小さな肩に乗る心地よい重み。
香る森の匂い。
首をくすぐる深緑の髪。
「アドルフ」
結月は彼の匂いを感じつつ、後ろから抱きついてきた魔法遣いを見遣る。
「お待たせしました。いただきましょうか」
つっけんどんな口調だったと思えば、今みたいに柔らかい態度になったりするアドルフ。
結月から離れ、身を起こす少女の前の席に彼は座る。
赤くなったの、気付かれてないかな。と、結月は頬を擦り、高鳴る心臓に気付いていない振りをし、バスケットに入れた、ふたり分のサンドイッチを、彼と自分のお皿に乗せる。
「いただきます」
「いただきます」
手を合わせ、薄くスライスした肉と野菜をパンで挟んだそれを口に運ぶ。意識して中身のボリュームを増やしたのは、栄養を摂ることに目の前の魔法遣いがあまりにも無頓着だから。
初めは彼の前で大きな口を開けて食べるのを躊躇った。が、それだと、1日の栄養を昼食だけで済ます彼には明らかにいろいろ足りない。
ただでさえ線が細いのに。
かといって、魔法遣いだけ量を増やして結月の分を少なくしたら、無理矢理自分の分を少女に与えようとしてくる。
結果。いろいろ試行錯誤を繰り返し、今の状況に落ち着いたのだ。
それに大きな口を開けてサンドイッチを食べるアドルフの姿はとてもそそられる。
欲を満たすその姿に。
「……」
結月は顔を赤らめるのを止められずに、だが、そちらに向いてしまう意識を振り払わねばならない、と、手に持つパンを頬張り始める。
魔法遣いと比べて口の小さな少女は、当たり前ながら食べるスピードが遅い。
結月は気付かなかったが、アドルフはもう食事をし終えていて、頬杖をついて一生懸命彼女が食事し始めた姿を眺めている。
***
「……」
じっと。
背中に熱視線を向けられるのは、嫌ではなかった。
むしろ心地いい。
それは僕だけに気持ちを向けられているのを感じるから。
だけれど、こうして向かい合わせで眺めるのはもっといい。
真正面から君を眺めることができるから。
「ついてる」
結月の口元に手を伸ばし、口からはみ出たクリームを拭った。
こうして伸ばせば手の届く所にいる。
「え?」
今は、まだ一挙手一動に顔を赤らめているだけでいい。
だけどその瞳に捉えてから、もう我慢できなくなっているのも事実で。
魔法遣いは拭ったそれを自分の舌でペロリと舐めた。