6
アドルフは、広い城内を迷うことなく進み、城の外を目指す。その速さは、結月には優しくなかった。
部屋から出た時には、確かに腰に回されていた手が、今は彼女の左手を掴み、何を急いでいるのか、男の歩幅で進んでいく。もちろん少女は駆け足でないと付いていけない。
角を何度か曲がり、階段を下る。
息も上がり、歩く速さで髪がなびく。
そして城の外へ。
城から出てくる人影を発見し、馬車の扉を開こうと待機していた従者を無視し、そのまま歩き続けるアドルフ。
会話もないまま。
このまま、このペースでどこまで行くのだろう。
まだ城壁の外へ出ていない鳥籠の中。
来る時は騎士たちに囲まれて断片しか見れなかった庭。
帰りは帰りで、駆け足すぎて、じっくり観察できない。
風をかき分けるように早足で歩く男の後ろを、彼に引っ張られ着いて行く。その前を行く彼の後頭部をくっと見上げると、お日様の光で黒い髪がやはり緑に揺れている。
貴方は誰?
聞きたいけれど、尋ねる時間を与えてくれずに、強引にあの場から連れ出された。
高く聳え立つ城壁の門を潜り、今度は心なしか下り道になっていくようだ。
巨人も通れそうな程大きい門を抜けた先には、街まで続く森の道。
馬車がすれ違いできるように多少人の手が加えられ整備されている。
と、突然目の前の男が足を止めたので、結月はその背にぶつかりそうになるのを、寸でのところで堪えた。
「僕はもう少し君と話がしたい」
アドルフが後ろに向き直り、金色の目が真っ直ぐ少女を捉えるので、その真剣な声を聞いた彼女はドキッとしてしまう。
それは、自分の息が上がっているからか、他の理由からか……。
離された手が寂しいと感じてしまうのは何故だろう。
結月は帰りの道中を考える。
やって来た時、馬車に揺られていたのはどれ程の時間だったか。
初めて乗った時の乗り心地の悪さとお尻の痛さを思い出すと、またあれにお世話になりたいとは思えない。
「わたしもです」
聞きたいこと、知りたいことは結月にもたくさんあった。
「そうですね」
アドルフは何を察したのか、優しく微笑み、今度はゆっくり、結月の隣に並び、歩き始めた。
***
アドルフは自分を魔法遣いだと言った。
結月と話が出来るのは、自分が君の言葉を話しているからで、ここの人間には伝わらないから、安心して内緒話もできるね、と悪戯っぽい笑みを浮かべる。
話してみると、意外と波長があって、ふたりは度々笑いながら歩いた。
結月は17歳で、何故か分からないけれど、気付いたらここにいて、と、お互いの事をぽつりぽつりと話しながら、ゆっくりゆっくり街へ向かう。
舗装されていない道を歩くのにももう慣れた。
城を出てから離されてしまった左手が手持ち無沙汰で、結月は腕を不自然に振りながら歩く。
久しぶりに他人と交わした会話。
多少不便ではあるが、しっかり生活できていること。街のみんなは全員いい人で、会話以外特に困っていることはないことを伝える。
「そういえば、わたしはどうしてあそこに呼ばれたんですか?」
お城に呼ばれて、何をするでもなく、何もないまま、手を取られるままに出てきてしまったので、気になっていた。
アドルフなら、彼らと話していたので理由を知っているのだろう。
「……」
歩調はお互いそのままに、魔法遣いは少し思案する。
結月は次の言葉を待った。
「最近この街に来た貴女のことを知りたかったみたいですよ」
「……」
その言葉が事実を述べているのか、顔を見上げて探ってみるも、その横顔からはなかなか真意が掴めない。
「歌を歌っていると……」
「えっ」
アドルフの発言に、結月の顔が頬だけでなく耳まで真っ赤に色付く。
そして自分を見下ろす彼と視線がぶつかると、更にしどろもどろになってしまう。
「歌っていうか……。話すことを忘れない為に自己満足でやってるだけで、決して人様に聴かせられるようなものなんかじゃないけど、みんな優しいから聴いてくれてるだけであって」
言葉を知っている人間に会えると思っていなかった少女は、悪いことをして言い訳を述べる子供みたいに早口で言葉を継ぐ。
「そうなの?」
純粋な投げかけに、結月は口を閉じた。
「結月が魅力的だから、みんな集まってくるんじゃない?」
さも当たり前、かとでも言いたげな言葉に、結月はもうこれ以上赤くなりようがないくらい、全身を赤くさせ、恥ずかしさに身をよじりたくなる。
「今度聴かせて?」
「あ……」
恥ずかしいけれど、優しく尋ねる様に問われてしまうと、「もちろんです」と首が取れんばかりに頷きたくなってしまう。
「ふふっ」
アドルフがそんな少女を見て楽しそうに笑う。
「なっ……」
「着きましたよ」
「……」
ここで、寂しそうな顔を見せたらずるいかしら。
途端に現実に引き戻される。
不満ばかりではないが、口を噤むばかりの現実に。
促されて右に視線をやると、結月がお世話になっているパン屋が建つ。
後ろをみやると、さっきまで身を置いていた筈のお城が精巧なフィギュアの様に存在する。
楽しかった。
見慣れた街に着いたのも忘れるくらいに。
「えーと……」
このまま「ありがとうございました」と別れるのも名残惜しく、少しでも一緒にいる時間を延ばそうと話題を探す。
このまま時が止まればいいのに、と。
「アドルフさんのお家は?」
その願いが口から言葉となって現れる。
離れがたかった。
お願い。
何か答えて。
結月はそう願う。
叶うことならば、もう少し同じ時間を。
「来ますか?」
優しく微笑むアドルフに、結月は素直に一度頷いた。
犬の尻尾が付いてたら、絶対嬉しそうに振ってるんだろうな、と何かに例えてしまう程、気持ちが昂ぶる。
彼は少女の言葉に応えると、「行こうか」と誘う。
パン屋の奥さんが外に出てなくて良かった。
面倒見のいい彼女は、実は、城に連れて行かれた少女のことが心配で、いつ帰ってくるかいつ帰ってくるか外の様子を度々伺っていたが、タイミングよく、今はいない。
2人は並んで街を歩き始める。
先程までのおしゃべりはどこへ消えたのか、今は静かに。
街を下り、木々を切り開いた道へと変わり、若干足場も悪くなる。
どこまで行くのだろう。
魔法遣いだから、やはり人から離れた場所に住んでいるのだろうか。
結月が頭の中でいろいろ考えていると、道のない場所でアドルフは立ち止まった。
「こっち」
知らなければ絶対に足を踏み入れないような、獣道に近い道。
差し出される手に視線をやり、おずおずと重ねると、アドルフはきゅっと力を込めて握った。
「小さいですね」
まるで愛でるような声に、引いたはずの熱が舞い戻ってくる。
照れてしまって言葉を出せないまま、結月は後に続く。
彼女にとっては道なき道。
彼にとっては通り慣れた道。
あまり人の手が入れられていない森の中を知っている唯一の人物は、後ろに回した手、つまり、結月と繋いだ手を今度は離さぬよう大切に握る。
木から落ちた小枝を踏んだり、地面から盛り上がる木の根に躓いて転ばぬよう、少女は足元に注意しながら魔法遣いについて行く。
端から見ると、手を繋いでいる方が転びやすく思うのだが、この2人は気にはならないらしい。
節ばった大きな手に包まれる柔らかくて細い手。
半ば乱暴に連れてきてしまったことを、この魔法遣いは後悔なんてしていなかった。
ただ、こんなに細くて小さいのに、力任せに連れてきてしまったことは、正解だったのだろうか、もっと優しくしてあげれば良かっただろうかと、結月が無言なのを幸に、モヤモヤ考え始めていた。
アドルフも結月に対してどんな自分で接すればいいのか、まだ距離を見計らっている最中で、そういえば、謁見の間にいた時、平手打ちされたな……と、既に頭のひいた左の頬に触れる。
異世界からやって来た人間は、この魔法遣いにとっては初めてで、長い年月の中、一応知識としては、いろいろ取り込んだ。
ただでさえ、先程の城に呼び出されたのは魔法遣いは生き字引のように扱われたりする。
彼らの知らない範疇になると、権限を利用して頼ってくる。
彼らが結月のことを知る前より早く、僕は彼女のことを知っていた。
だから、存在を感じた時に、こうなることは予測していた。
叩かれるようなことでも自分はしたのだろうか……と思いあぐねても、答えには決して辿り着かない。
「おっ……と」
結月が何かに躓いたのか、右手に重みが掛かり、そのまま背中に彼女の体温を感じる。
アドルフは足を止め、結月が姿勢を整えるのを待った。
「大丈夫ですか? 森の中なので、足元に気を付けてくださいね」
「ごめんなさい」
再び2人の手が離れてしまったが、今度はその手はお互い自由にならず、彼が少女の手を自ら握り直しにいく。
「もう少しで着きますから」
「はい」
結月は繋がれた手に視線を向け、頬を染める
先程よりも、少しスピードを落とし歩き続けると、木々が開ける場所に辿り着く。
「ここです」
颯爽と生い茂る緑の木々の隙間から、陽の光が漏れ出て、魔法遣いを照らす。
少女は少し眉をしかめた。
木漏れ日の向こう側には、小さな小屋。
「森の色」
結月は呟く。
「ん?」
その呟きにアドルフは首を傾げ応える。
「アドルフさんの髪の色は、深い森の色なんですね」
「……」
そんな台詞を恥ずかしげもなく告げる結月は、自分の言葉に振り向いた彼の髪と、大きく見開かれた金色の瞳を真っ直ぐに見つめる。
「ここは、アドルフさんの匂いがします」
言いながら結月は彼の左頬に手を伸ばす。
「ごめんなさい。痛かったですよね」
「……」
優しく触れる。
その柔らかい手に、魔法遣いの身体が一瞬ビクッと反応した。
出会ってすぐあの場で言えなかった謝罪を素直に口に出来たのは、しばらく歩きながら彼と会話が出来て気が抜けたからかもしれない。
叩いてしまったアドルフの頬が赤くなってしまっているのは、顔を見上げながら歩いていたから、ずっと気になっていた。
ただ、今、目の前の魔法遣いの顔が紅くなっているのは、お城での出来事だけが原因ではない。
真っ直ぐに言葉を投げかけられ、自分の姿を捉える結月に照れてしまったから。
その瞳に自分を映してくれたから。
「もう大丈夫だから」
アドルフは自分に触れる結月の手に自分の左手を重ね合わせる。
「入ってみるかい?」
結月の瞳いっぱいにアドルフの姿が映る。
もちろんアドルフの瞳にもそれは同じように。
こくりとわずかに頷いた動作を確認し、魔法遣いは自分のテリトリー内に招き入れる。
ギ、ギ、ギギ、ギ……
と、木でできた扉が擦れる音がした先には、魔法使いの生活があった。
ひとりで静かに暮らしている小屋の中は、ほぼ仕事で使う物しか置いておらず、娯楽と呼べそうな物は存在しなさそうで。
「見ても面白いものは何もないよ」
アドルフは自嘲気味に笑い、その辺の椅子に座るよう促す。
見回すと、古い本が並べられていたり、何に使うのか乾燥した植物や干された何か。
中身の入った瓶が所狭しと置かれている。
「なに……?」
結月が呟くと「一応魔法遣いだからね」とアドルフが家の中でゴソゴソ動きながら答える。
「面白いものも、君の興味のありそうな物も何もないけれど」
前置きした上で、アドルフは告げた。
「もし、お話したいことがあれば、いつでも来てください」