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「街の広場に歌姫がいる」
と、街中で話題になるのに、そこまで日にちは要さなかった。
結月がギターに似た楽器を手にした日、その音色を聴いていた夫妻が、初めはびっくりした顔で部屋の扉を開け、すぐ笑顔になると、それを彼女の胸に託してくれた。
そしてそのまま少女の腕を掴み、パン屋の外に椅子を用意し、再び弾くよう促す。
言葉が通じないのに……
という戸惑いを胸に抱え、テレビの向こうやラジオ、ネットから聴こえてきていたメロディを掻き鳴らす。
見様見真似で。
歌詞もきっと正しくないし、コードだって適当に。
だけれど、ここにはそれを知る人はひとりもいない。
だから、自由に弾けた。
人前で弾くのは初めてで、恥ずかしかったけれど。
家の中でこっそり弾いてた父のクラシックギター。
でも、家は防音じゃなかったから、きっとみんなに下手くそな音は聴こえてたと思う。気付いたらひとつひとつの音がしっかり繋がり、メロディになっていた。
はじめは動かなかった指たちが思うように動かせるようになって知った、音を奏でる楽しみ。家にピアノがなかったから、ギターを弾いてみただけ。
始まりはただそれだけ。
でも、楽しかった。
恥ずかしかったから、人の前で弾いたことはないけれど。
そして、ふ……と、歌いながら、音を鳴らしながら、頭をよぎるのは両親の顔。
お父さんとお母さんに聴いてもらいたかったなぁ……
うまくないけど。
家族を考えてしまったら、溢れてしまう。
涙。
結月はこの世界に来て初めて……いや。ようやく泣けた。
泣くことができた。
「わぁぁぁぁぁぁ」
歌が止み、メロディーが止まり、溢れ出す叫び声のような鳴き声。
ここまで大っきくなったのに、こんな風に、赤ちゃんみたいに、子どもみたいに泣けるんだ。
結月は自分が鳴らしたメロディーで引き寄せられた人々の視線も気にせず、大声で叫び続けた。
ずっと泣きたかった。
頭の中で、胸の中でごちゃごちゃ絡まる感情を吐き出したかったのだ。
言葉が通じないが故に、張り付いてしまった作り物の笑顔。
何処の誰かも分からない人間を優しく迎えてくれた夫妻に感謝はしつつも、自分より小さい子たちでさえ、大人の手伝いをしているのに、何もできない自分がもどかしくて、でも、誰にも頼れなくて……。
大声でわんわん泣いた翌日。
恥ずかしさも何もかも捨て去り、いろいろすっきりしたのか、結月はその日以来、パン屋の前でたびたび演奏するようになった。
人前で弾くのにもだいぶ慣れてきた頃、硬貨を貰うことが増えてきた。
しかし、それを目的で歌い始めたわけではない。
話せないが故に、表情でそのことを分かってもらえるよう、眉毛を寄せて首を振るも、その硬貨を両手でぎゅっと握らせてくれる。
「ありがとう」と伝えたくても、伝える言葉を持たず、ひたすら頭を下げるしかなかった。
頂いたものを奥さんにみせると、顔を綻ばせ、そのまま結月に「持っていなさい」という動作をみせる。
言葉が通じないのに、ここの街の人は皆優しかった。
見ず知らずの人間の歌に耳を傾けてくれる。
気付けば誰に手を引かれたのか、街の広場で歌うようになっていた。
ギター一本と身ひとつで路上演奏をしつつ、決して多くはないが、お金を稼ぐようになるまで、時間はかからなかった。
結月の奏でる知らない国のメロディーに、言葉に耳を奪われ、立ち止まる人の中には見慣れた顔も徐々に多くなり、彼女は流れるまま歌を歌った。
稼いだ硬貨を渡そうとしても、夫婦は一度も受け取ってくれず、かといって使い道のないそれは、溜まっていく一方で、結月はどうしたらいいか考えあぐねていた。