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真実の愛などと笑わせますわ

悪役になりきれなかった人の話。

 --------

 ライナス・フォン・デュラン第一王子が急に婚約者を蔑ろにし始めたのは実に御年15歳の頃。成人を迎え、学園に入学した年。

 その日、学園の教室で、二人のやんごとなき身分の男女が向かい合っていた。その一人は私なんですけどもね。


「ヴァレリー!どうしてお前はシドニー嬢に対して悪し様に振る舞うのだ!それでもお前は――」

「ええ、公爵令嬢ですわ。ちなみに殿下の婚約者で、卒業後には結婚することになる王妃候補です」


 全く殿下の強すぎる正義感にも困ったものだ。恐らく先日からの諍いのことを咎めているのだろう。




『髪が乱れてますわ、みっともない。少しは身だしなみにお気をつけなさい。』

『は、はい…!す、すみませんでした…!』


『どうして教科書を忘れますの?勉強をする気ありまして?さっさと借りてくるなりしてきなさい。』

『う、うう…!ごめんなさい…ぐすっ…。』


『口を開けて食べるのはやめなさい。汚いわ。』

『ふぁ、ふぁい…。』

『口に物を入れたまま喋るのもよ。』

『……っ。』


『通り過ぎる際に会釈もしないの?歩く音も煩いわよ。』

『…はい、申し訳ありませんでした。』




 たしかにちょっと小言が過ぎたかもしれないけども、概ね正論のつもりだし、必要以上に責めたつもりもない。殿下のこういう優しい所は嫌いじゃないけども、最近はちょっと行き過ぎてる気がする。

 この日もまだ生徒が残っているというのに公爵令嬢の私に対してお説教をしていた。おかげで私のほうが悪者みたいになってしまっている。


「君がこれ以上彼女に辛辣な態度を取るなら、僕にも考えがある!心しておくことだな!」


 そう捨て台詞を吐いて教室を出ていく殿下の背中には、王族としての威厳がイマイチ感じられなかった。




 だけど私は知っている。殿下が真実の愛とやらに目覚め、私との婚約を破棄しようとしていると周囲に漏らしていることを。教室にいる生徒だけではインパクトに欠けると見て、周囲にアピールだけを重ねてもっと劇的な舞台を用意しようとしていることも。


 ですが考えがあるのは私もですわよ、殿下。




 --------

 ここは貴族のみに許された貴族専門の学園で平民は入れない。もちろん平民にも入学が許されている学園もいくつか存在するのだが、そちらは万民学園と呼ばれ、貴族作法を重視しない幅広い教育を行う傾向にある。


 どちらが劣っているという話ではなく、専門学園なら貴族教育に重点が置かれ、万民学園では戦闘や商売といった庶民でも役立つ総合教育が重視されるのだ。もちろん王族の中にも敢えて万民学園を選ぶケースもある。例えば王族でありながら騎士団に所属しているような武将はそちらに入ることが多い。


 その点、専門学園に通うのは、今後政治に深く関わる予定があったり、前線指揮を取る予定の無いより高位な貴族に限られる。それ故にこの学校ではより貴族然としているものが優等生として尊ばれ、公的な場所であると認知される。


「…では、また後ほど伺います。ご機嫌麗しゅう存じます。ヴァレリー様」

「ええ、ご機嫌よう」


 友人同士の会話でも身分の差は重視される。先程の子は幼馴染とも言える私の旧い友人の一人で、学園の外では結構フランクな関係だが、侯爵令嬢であるため学園では敬語を外さない。私も侯爵家に対する礼で接している。


「またね、ヴァレリー…!」

「ええ、テレーズ…後でね…!」


 だから、こうやって去り際に本音で耳打ちをするに留める。間違ってもそうしたプライベートな話し方をここでは聞かれてはいけない。のだが…。


「ライナス様ー!お疲れさまでしたー!」

「やあ、シドニーもお疲れ様。今日も一日頑張ったね」

「えへへ♪ライナス様の為ならどんなことでも頑張ります!」

「ああ、期待しているよ。後で僕の部屋でお茶でもしよう」

「はーい!」


 見よ、この堂々たる光景を。まるで屋敷の中で兄妹が語り合うかのような有様だ。しかも、殿下の方は公爵家の婚約者が居るというのに堂々と二人きりでのお茶会に誘っている。これでは私とシドニー、どちらが本当の婚約者かわからないではないか。…いずれにせよ、シドニーは王族の婚約者らしくは見えないが。


 友人のテレーズも作法を忘れて唖然としている。わかりますわ。何度見ても慣れませんわよね、これ。


「殿下。婚約者との結婚を前にして、未婚の女性を居室へ連れ込むのはおよし下さいませ」

「ヴァレリーか…未婚の女性とは大袈裟な。彼女は僕の()()()()()()友人だ。友人付き合いにまで口を挟むのか?差し出がましいぞ」


 とても大切な、という部分を強調する辺りなかなか露骨だわ。誰に対抗しているつもりなのかしらね?


「差し出がましいことは承知しております。しかし――」

「しかし、ではない。君は僕の婚約者なのだろう?ならば僕のことを信用して任せるべきではないか。それとも君は僕のことが信用できないのか?」


 できませんわ。


 …危ない。危うく口にするところだった。だが実際、今の殿下を信用することは難しい。

 本当に喉まで出かかったあたり、私も結構ストレスを感じているのだろう。

 そして、次の一言が私にとある決意を新たにさせた。


「子爵令嬢相手に嫉妬するとはな。見苦しいぞ、ヴァレリー」


 殿下が私を公然と侮辱し、その横でシドニーが嗤った。


 これ以上にはないほどの激情は、逆に私から表情を奪い去った。

 違う。断じて嫉妬心からの進言ではない。子爵令嬢如きに気持ちが揺らいでいては王妃教育など進められない。

 あなたが王族としての立場を忘れて色に狂えば、王家の格が落ちるのだ。戯れが戯れではなくなったとき、身の破滅を呼ぶのは自分自身だと何故わからない。


 この場でそのことを激情のまま指摘してやろうかとも思ったが、ふとテレーズの手が怒りのあまり震えているのを見て冷静さを取り戻した。友が私のために怒ってくれているなら、私はまだ戦える。


「決して嫉妬ではありませんが、私の気持ちが殿下のお心に届かないのであれば是非もありませんわ。お二人でどうぞ、楽しんでらしてください。では、失礼いたします」


 それでも声が少し震えたのは、怒りからか、悲しさからか。恐らく私の表情が曇ったのを見た二人は、私が悔しかったのだと誤解しただろう。もはやそれを訂正する気持ちも湧かなかった。

 いちゃつく二人が学園の外に停めてあった馬車に乗り込んでいくのを見下ろしてから、失意のまま私は帰路へ就いた。




 --------

「全く、ヴァレリーには困ったものだ。君はこんなにも頑張っているというのに…嫉妬心から辛く当たるなどあってはならないことだ。やはり、婚約者を君に変える方針に変更はないな」

「もったいないお言葉です、ライナス様…」


 ライナス様の豪華なお部屋の中で、高価なお茶の香りと調度品に囲まれながら、私は幸せなひと時を過ごしていた。アモン子爵家と言えばこの国の端で農業を中心に営む程度の小さな一貴族に過ぎないが、ライナス様…この国の第一王子のお心と寵愛を一番に受けているのは、間違いなく私シドニー・アモンだ。


 地位と権力ではなく、人柄と努力を認めてもらったからこその寵愛であることが誇らしくて、これまでに無いほどの優越感に浸れていた。真実の愛があるとするなら、この身分差を大きく乗り越えた先にこそあるのだと思う。


「シドニー。母上のお許しが頂けたよ」

「え…?そ、それって、もしかして!?」

「ああ。明日からシドニーにも王妃教育を受けてもらえることになった。これで君を僕の正妃に迎え入れる準備を整えることができる」


 頬を染めて私を見つめる殿下の瞳に、熱い炎が宿るのが見て取れた。心の中が歓喜の嵐に包まれる。やった…!やった!

 王妃教育を受けるということは、婚約者として内定されたのと同義だ。国の歴史や淑女教育と言った()()()()()()()は求められるが、それこそ勉強は学園で慣れている。子爵邸で進めている経営学の勉強をこちらに当て込めば問題無い。


 もはや私の未来に障害など一つもない。

 殿下との幸せな未来を築くまでの道は完全に舗装され、何者であろうとも阻むことができないように思えた。




「そう、王妃教育を…試されているわね」


 ヴァレリー・クザン公爵令嬢がその報を聞いて、憐れむように呟いていることなど知る由もなかった。




 --------

 暗くなった公爵邸の自室で、私は殿下のことを一人思い返していた。


 ライナス第一王子殿下は、決して凡庸な方ではない。子供の頃から情に厚く、礼を重んじる美少年だった。政治的な見識も幼少の頃から持ち合わせていて、同年代とはとても思えないその見識の広さには何度も驚かされた。


 特に驚いたのは去年殿下が直々にご提案された税制の一つで、民から予め診療院の診療代を税として納めさせ、それを診療の際に充てて病人の負担を減らすという案だった。

 これにより働けない病人が抱える負担が減り、平民たちでもある程度診療を受ける余裕が生まれた。結果的に税は身分を問わず一律重くなったものの、平民からは病気を治す機会を得られやすくなるとあって受け入れられ、領主としても平民が皆健康であれば単に税収を上げられるとあって受け入れやすく、まさに万民にとって最良の税制の一つとされた。


 その聡明な殿下があそこまでお心変わりをしたのは…殿下にとっての初恋が、あのシドニーだったからだろう。何が殿下のお心を射止めたのかはわからない。そんなものがわかるなら、ここまで苦悩しなかった。自惚れではなく、美貌にせよ、佇まいにせよ、私がシドニーに劣っているとは思えない。だが、それこそが恋なのかもしれない。


『はじめまして。ライナス・フォン・デュランです。』

『あ…あの…ヴァレリー・クザンと申します、殿下。』


 5歳の頃に政略結婚の婚約をして初めての顔合わせで、殿下は私にとても優しげな笑みを浮かべていた。その天使のような美貌と、誰であろうと変わらずに向けられるとされる微笑みは、まさに話に聞いていた通りだった。


 それが話に聞いていた通り、私だけに向けられたものではなかったことに気付いたのは10歳の時。殿下が私に向ける笑みは、平民に向けるものと同じ、慈悲深くも憐れみ深い笑みだったのだ。


 当時幼かった私は、優しさとは何なのだろう、誰にでも優しいということが本当に優しさと言えるのかと自問自答し、誰かとは違う特別な優しさを求めている自分は卑しいのかと真剣に悩んだ。考えてもわからなかった私は、万民に平等であることは王としての器としては間違いではあるまいと自分を納得させていたのだが。


「シドニーに向けられた瞳には熱があった。あんなに頬を赤く染めることなんて今までなかった。つまり殿下はようやく恋というものを知ったのね。15歳になってから恋を覚えて、恋に溺れて、きっと今一番幸せなのだわ」


 喜ばしいことだわ。ようやく殿下に春が来たのだから。


 本当に喜ばしい。


「…殿…下…っ!どうして…っ!殿下ぁ…っ!」


 だからこの涙はきっと、歓喜の涙に違いなかった。

 そう思わないと、公爵令嬢としての自分を保てなかった。殿下のことを想い、幸せを願うことこそが、正妃となることを求められた婚約者に必要なことだった。でもそれ以上に、心から殿下のことをお慕いしていたのだ。どうしようもなく、狂おしいほどに殿下を愛していた自分を否定することなんてできなかった。




「…シドニー。もしあなたが本当に私に代わって殿下を支えてくれると言うなら、例えこの心が裂けて血が噴きでようともあなたを祝福してみせますわ。でも、もしも甘い汁を吸いたい一心で殿下と結ばれようとするならば…」




 私はきっと、あなたを呪うわ。シドニー・アモン。




 --------

 シドニーに対する王妃教育が非公式に始められた時から、私は殿下から少しずつ距離を取るようになった。単純に初恋に狂う殿下を見ていると惨めで仕方がなかったというのもあるが、殿下自身も私と距離を取りたがっているみたいであまり声を掛けられなくなった。


 そして私と関わっていた時間のほぼ全てをシドニーと過ごすようになった。まるでこれまでの時間がいかに無駄であったかと主張するかのように、殿下とシドニーは常に一緒に過ごすことに努めていた。


 一方の私も、友人のテレーズと一緒にお茶を飲む機会が増えた。これまでは殿下と過ごす時間に取られていたので痛し痒し…と言うには、痛みのほうが強い。


「…ヴァレリー、このままでいいの?」

「いいのよ、テレーズ。今の殿下は一時の夢に酔っているだけ。ご卒業までにはお心を取り戻されるわ」


 本当にそうかしら。わからない。

 誰にでもお優しい殿下が私に向けた敵意は、私の気持ちを迷わせる。

 わからない。お優しい殿下に戻った後もお慕いすることができるかどうかさえ。


「…とにかく、やるべきことをやりましょう。テレーズ、王家の影は今も動いてくれてる?」

「常に監視と記録を続けています。今の所、情報の整合性は取れています」


 テレーズには王家の影と合意のもと、学園における殿下の監視と記録をお願いしている。婚約破棄を言い渡された際、私だけに原因があるかのようにされるのを避けるためだ。もちろん、私に対しても王家の影による監視と記録をお願いしてある。

 どちらかがどちらかを庇わないよう、公平を期すための処置だ。以前の殿下ならここまでする必要はなかったのだが、今のお姿を見ると用心に越したことはないと思った。


 テレーズの家は、表向きは貿易を担う侯爵家ではあるが、王家の影にも劣らない諜報員も管理している、情報の元締めだ。尤も、それを知ったのは友人付き合いを続けて5年が経った今年になってからだが。


「それは万が一の際の切り札になるわ。引き続きお願い。あくまで公平に、そして客観的にね」

「御意のままに。…ですが…」

「…テレーズ?」

「友人としてはあなたに加担したいわ。諜報員としては失格ね」


 テレーズがいるおかげで、私は人でいられるんじゃないか。そんな思いが胸に去来する。ならば、殿下のおかげで私は何者になれたのだろう?




 殿下たちの様子が変わったのは、それからさらに半年程が経ってからだ。


「…ああ、ヴァレリー。おはよう」

「おはようございます、殿下」


 いつもの事務的な挨拶。会えばするし、会わなければ一度もしない程度になった儀式だ。確か、最後にしたのは三日前だったか。

 ただいつもの殿下ならそこですぐ目線を他に向けてシドニーを探すのに、何故かその日は私を見続けていた。別にすぐに私も立ち去ったところで不敬には当たらないのだが、その微妙な変化が気になった。


「あの、なにか御用ですか?」

「いや…なんでもない。また会おう」


 奇妙な違和感を感じた理由はすぐにはわからなかったが、殿下が歩き去ってしばらく後に気付いた。私が殿下から「また会おう」と言われたのは、実に半年ぶりのことだったんだ。


 心がざわついた。これは嬉しい…のだろうか?ただその割には殿下とまたお話ししたいと思えない。むしろ、帰り際に会うのではと構えている自分がいた。私の10年を超える恋心など、たった数ヶ月で冷める程度の底の浅い物だったのかと自嘲してしまう。これでは殿下のお心変わりを嘆く資格など、私には無いのではないか。


 この時は殿下の変化もそうだったが、私自身の変化が気になって、最近シドニーの姿を学園であまり見かけなくなったことにも気付けなかった。




 --------

「シドニー様、また間違えていますよ。奴隷保護法の制定は683年、立案者はリヒテル・フォン・クローデルです。奴隷保護法は他国には無い制度ですから、しっかり記憶してください」

「あっ…!申し訳ありません…」


 非公式ではあったが、シドニーを僕の正妃候補としてから数ヶ月が経った。だが、その後はあまり順調とは言えない。


 シドニー自身は王妃教育に対して当初並々ならぬやる気を見せていたが、教書を見ただけで表情が凍りついていた。


『え…?こ、これは?』

『王妃教育に使う教書です。』

『こんなに厚いんですか!?』

『これは10部あるうちの1部です。これを3年以内に全て覚えていただきます。』

『そん――!?』

『ヴァレリー・クザン公爵令嬢は既に修了され、外交業務に備えて外国語習得と国外情勢の把握に取り掛かっております。』


 ヴァレリーが既に終わらせていると聞いて、対抗心からか多少やる気を復活させてくれたものの、王妃教育はやる気だけで習得できるほど甘いものではなかった。ヴァレリーなら独力で修得できた内容を何度も教師に尋ね、それでもなかなか理解するのに時間を要した。


 ヴァレリーならこうはならない…どうしても二人を比較してしまう自分がいた。


「先生、もう一度奴隷保護法の成り立ちを教えて下さい!」

「またですか…何度言えば――」

「ごめんなさい!今度こそ覚えますからお願いします!」


 それでもシドニーは諦めなかった。

 自分の頭の出来を嘆きながらも勉強を続け、最近では学園にいる時間も最小限にして取り組んでいる。その姿に胸を打たれた僕は、公務の傍らで彼女の勉強に付き合いもしたが…予想以上に覚えるのに難航していて、教えるのに疲労を感じるほどだった。


 僕はシドニーの教育期間について、母上と何度も交渉した。初め母上からは「教書の習得はヴァレリー嬢と同じく2年で済ませよ」と命じられていた。

 だがシドニーは決して頭が悪いわけではないが、ヴァレリーほど優れているわけでもない。凡庸よりは優れている程度だ。そこで子爵令嬢という王族から遠い立場だったことをなんとか考慮して頂いて、1年追加して頂いたのだ。それが譲歩の限界だった。コストが掛かるという問題もあったが、基礎教養にそれ以上の時間を要する女を王族に連ねさせるわけにはいかなかった。


「ならばその3年に心血を注ぎ、真実の愛とやらが本物かどうか、二人で証明してみせなさい」

 母上はほんの僅かな温かさも感じられない目と声色でそう言った。だがそれは当然だった。




 母上は元平民だった。

 真実の愛の体現者である母からの言葉はあまりにも重く、誰によっても跳ね除けられるものではなかった。




 --------

「ヴァレリー様。こちらが定時報告書でございます」

「ありがとう、テレーズ。………これは……予想以上に難航してるわね」


 案の定だが、シドニーへの王妃教育は捗っていないらしい。無理もない。あの量のテキストをすべて覚えろと言われても、はじめは何から手を付けたらいいかすらわからない。城の講師もあまり優秀とは言えなかったし、さぞ苦労していることだろう。


 一方で私に対するライナス殿下の対応は日に日に中途半端になっていった。数日に一度だった挨拶が一応毎日に改善された一方、態度はそっけないままで会話らしい会話がない。

 昼食には週に一、二度ほど誘われるようになったが、別に何か話すでもない。同席するシドニーもあまり話さない。


 中途半端なのはそのシドニーとの距離もだった。

 あれほどベタベタと二人で愛をささやきあってたはずなのに、今は一緒に同じ馬車で登下校するくらいで、目立った恋模様を見せなくなった。どこかぎこちなく、事務的に見えるときもあった。二人に何かあったのだろうか?


 だが、シドニーの目は明らかに変わっていた。あれは覚悟を決めた女の目だ。私がまだ殿下を全身全霊をもって支えようと決意していた時と同じ目。恋ではなく、愛のために戦う女の目をしている。私のことを嘲笑するのではなく、嫉妬するのでもなく、一人の女として意識して見つめ返してきた。


 困った。私はこういう目をする人間は嫌いではない。かつてのふわふわしたシドニーとは違い、今の彼女にはどこか芯があった。そしてその芯の中心となる部分はかつての私にあったもので、今の私には無い。目つきだけで彼女を評価することはできないが、少なくとも数ヶ月前と同じシドニーではないことは認めるしかなかった。




 ある日、初めてシドニーから誘われて食堂で二人で話すことになった。疲れ切った目をしているが、不思議と覇気が感じられた。そして驚くべきことが起きた。


「ヴァレリー様。本日はお忙しい中、私の招きに応じてくださり、ありがとうございます」


 あのシドニーが、私に対して見事な礼をとったのだ。公爵家に対する礼に相応しい角度と声量で、子爵令嬢としてなら申し分のないレベルの礼節だ。


「…いいえ、礼には及びません。しかし、どのようなご用件でしょうか?」

「もちろん、殿下に関してでございます」


 彼女が殿下を名前で呼ばないのを見るのも初めてだ。

 この女は誰だ?本当にあのシドニーなのだろうか?


「殿下は最近、ヴァレリー様を見ることが増えているように思います。私と共に居る時でも、視線は誰かを探すように泳いでいます。そして、朝の挨拶を欠かさぬよう、早くに学園へ来てはヴァレリー様を待ち受けているようです」


 次から次へと新情報が舞い込んできてめまいすら起きた。殿下が私を見ている?挨拶を欠かさないように何をしているって?しかし、それを私に言ってどうするというの?


「つまり、私が殿下のお心を奪ったとお思いなのね?」

 そうとしか思えなかった。が…。


「違います。あれは殿下自身の迷いだと思います。王妃教育が進まない私に不安を覚え、ヴァレリー様との縁を切ることを躊躇されているのです。…お心を迷わせているのは、私自身の不甲斐なさからです」


 シドニーはどうやら、私に対して嫉妬心を燃やしに来たわけでも無いらしい。ここまではあくまで現状の報告に留めている。そして…何度目かの驚きだが、原因が自分だと客観的に認めている。盲目な恋する乙女にできる分析ではない。既に彼女は、恋心を超えているというのか。


「…それで、それを聞いた私に何をしてほしいの?」

「お願いします」


 シドニーは、テーブルに額が付くのではないかというくらい深く頭を下げた。


「私に王妃教育を教えて下さい」

「なんですって!?」


 流石に驚いた私は、公爵令嬢としての仮面をうっかり付け忘れてしまった。周囲から眉をひそめられてしまい、恥ずかしくなる。だが、シドニーは至極真面目だった。私の狼狽に驚いた様子もない。


「これまでのヴァレリー様への非礼の数々、深くお詫び申し上げます。…勝手なお願いであることは承知しているのですが…私はヴァレリー様よりも出来が悪く、このままでは2年後の期限までに王妃教育の基礎を修了できません。どうか、お願いします。学園に居るときだけで構いません。私に王妃教育についてご指導くださいますよう、お願い致します」


 かつての非を認め、頭を下げる彼女を見ることになるなんて、本当に思わなかった。だが、感銘を受けるのと実際にやるかは別問題だ。私は彼の婚約者なのだ。彼を譲る理由なんて一つもない。ましてや横恋慕したこの女のために教えることなど。


 そのはずなのに、頭とは別に口が動いた。


「そんなことをして私になんの得があるの?」

「…今の私がヴァレリー様へ払える対価はありません。ですが、ヴァレリー様から殿下を奪う以上は、ヴァレリー様以上に完璧な王妃となることをお約束します。私が持つ全てを賭して殿下を支えます」

「安易な言葉だわ。それでよく殿下の婚約者たる私に頼めますわね?あなたにプライドと常識は無いのかしら?」


 考えるより先に言葉が出てくる。脳ではなく体が何かを求めているようだ。


「真実の愛を貫くためなら、安いプライドなど捨ててなんでも致します」

「…!?」

「私が知る限り、ヴァレリー様が最も王妃に近く、相応しいお方なのです。そのお方からご鞭撻頂けるのであれば、私は捧げられるものはなんでも捧げる所存です」

「………どうして、そこまでできるの…」

「決まっています。殿下のためです」


 ズキリと胸を刺された気がした。今の私にその言葉は多分言えない。


「私は殿下に相応しい王妃になりたいのです。お願いします…!」


 あまりにも身勝手な申し出だ。私のことを馬鹿にしてるのかと罵声を浴びせたかった。不敬だと罵ってやりたかった。でも…その目はあまりに真剣で、一途だった。…だからこそ言わねばならない。


 誰かに教わるだけでは…表面だけ覚えようとしても何も覚えられないということを。


「あなたが本気なのはわかりました。ですが、いくつか間違いを訂正させて頂きます。まず、あなたが私個人にした非礼などたかが知れています。身だしなみにせよ、忘れ物にせよ、あなたが真に非礼を詫びるべき相手はこの学校と、この学校を建設し、維持するために税を納めた庶民たちによ。あなたはここにあるものが全て血税によって用意されたものという認識が欠けている。王族に連なりたいなら、まずはそこを正しなさい」


「…っ!は、はい…!」


「もう一つは、あなたは自分が思っているほど不出来ではないということよ。記憶力が無いことを認め、現状に不満があってもそれを誰かのせいにせず、物事を相談してどうにかしようとした点は褒めてあげてもいいわ。相談相手に私を選んだのはどうかと思うけど…発想としては間違ってない。大変失礼ではあるけどもね」


「…ヴァレリー様?」


 いくら覚悟があろうと、私が手を貸すなどということは絶対にあり得ない。だが…わざわざ恋敵第一号になってくれるというなら、せめて相応しい偉大な敵手になってもらわないと困る。私が負けたとしても殿下を支えられるように。


「いい?あの分厚い教本が何を伝えたいのかを理解なさい。ただ書いてあることを覚えるのではなく、あの教本…つまりこの国があなたに何を伝えたいのかを考えるの。殿下の恋人としてではなく、国の母となる未来を想像なさい。そうすれば自ずと理解できるようになるわ」


 恐らくこんなことを言っても、前のシドニーには伝わらなかっただろうけども。


「あ…ああ…っ!ヴァレリー様…っ!ありがとうございます…っ!」


 今の彼女には十分だったようだ。やはり彼女は変わった。変わってしまっていた。僅か数ヶ月でこの私がライバルだと認めてしまうほどに。そしてそれを嬉しく思ってしまったことで、私は自分の気持ちが完全に定まったことを認めざるを得なかった。




 --------

 その日から、シドニーの様子はさらに劇的に変わっていった。かつて殿下の寵愛を受けた優越感で嘲笑を浮かべていた彼女とはまるで別人のように勉学に打ち込み、表情もフワフワしなくなった。


「おはようございます、ヴァレリー様」


 シドニーは毎朝の挨拶を欠かさなくなった。立ち止まり、丁寧に、しかし重くなりすぎない浅い角度で腰を真っ直ぐに折り曲げ、私が返答をするまで頭を上げずに黙って待っている。


「ええ、おはようシドニー。…会釈の方はもう大丈夫ね」

「ありがとうございます。ヴァレリー様のご指導の賜物です」


 ご指導らしいご指導なんて、私はしていない。彼女は城で学んだマナーを私に披露していただけだ。公的な貴族社会そのものである学園では、貴族としての礼節が尊ばれる。その意味で言えば、彼女は既に優等生の一人と言えた。テレーズからすれば面白くは無いみたいで、その目は路傍の石か豚を見るように冷たかったが。


 だが私は、一日毎に必ず一つ改善させていくシドニーを見るのが面白かった。昨日はパンの食べ方とナイフの使い方が美しくなっていた。その前は歩き方がより静かになった。既にライバルとしてではなく、王妃教育を受ける後輩として彼女を見るようになってしまっていた。

 それは殿下から私の心が離れていることの証左でもあった。




 勉学に励み私と並ぶ成績優秀者となったシドニーに満足する私と、それを少し離れた位置から見守る殿下と、その殿下を観察して記録するテレーズ。

 そんな奇妙な関係は1年が経ち、2年が経っても変わらなかった。ただ成長を続けるシドニーだけが、前を進んでいるように見えた。




 そんな奇妙な日々があっという間に過ぎ去って、もうすぐ卒業という時期のことだった。


「ヴァレリー。ちょっと話がある」

「え?…はい、殿下」


 ある日の時間となり廊下を歩いていると、唐突に横から話しかけられた。やや失礼ではあったが、相手が遥か上の立場…王族であるなら、指摘もできない。


 私は殿下の前にいても心動かなくなっていた。今は殿下よりも、日々成長を見せるシドニーや、それを徹頭徹尾冷たく見つめるテレーズといた方が楽しいほどだった。

 私は空き教室へと誘導され、真剣な表情を浮かべる殿下を窓際から見つめた。


「ヴァレリー…僕は学園での3年間でわかったことがある」

「…何をですか?」

「シドニー嬢と過ごしてわかった。君ほどではないが聡明なあのシドニーがあれほど修了に手間取る王妃教育を、君は僕の協力もなく独りで完璧に修了していたのだな。君がどれほど僕のことを愛してくれていたのか、シドニー嬢を通じてわかったよ」


 礼節を忘れ、眉間にシワが寄ってしまった。今殿下はなんと言った?

 シドニーを通じて私の愛を知ったと言ったのか?

 私が殿下を見ていた時は微塵も気付かなかったというのに?


 気持ち悪い。不愉快だ。

 これほど殿下に悪感情を抱いたことが今まであっただろうか。そんなことはわかったとしても黙っていてほしかった。


 だが、さらに私を不快にさせる言葉を殿下は重ね続けた。


「それに…君は恋敵とも言えるシドニー嬢の手助けまでして見せたね。とても立派だ…まさに国母の器と言っていい。僕はもしかしたら、誤解していたのかもしれない」


 国母の器とは片腹痛い。それこそ誤解だ。そんな大層な物じゃない。私の代理が生半可な女では困るだけだ。


「…おっしゃっている意味がわかりませんわ」

「真実の愛とは、もっと身近にあったのではないかとね」


 目の前が真っ赤に染まった。夕陽ではなく血の色をしていた。

 よせ。それ以上言うな。

 私の腹の中に収めていたものが溢れ出てしまうではないか。












「好きだ、ヴァレリー。君を愛している。きっと10年前から、ずっと君のことを愛していたんだ」














「……くっふふふ…あっははははは!!あーっはははははは!!」


 唖然とする殿下を無視して誰かが嗤った。こんなはしたない笑い方をする人が学園にいただろうか。誰だろう?しかし教室にいるのは私と殿下だけだ。


 嗤っていたのは私だった。その笑声は底知れない悪意に満ちていた。


「そうですか…殿下は私を愛していたのですか…ふふふ…」


 許せない。この男を許せない。

 私の恋心を踏みにじり、シドニーの努力を踏みにじったこの男を許せない。

 絶対に後悔させてやる。


「…え…ヴァレリー?」

「身に余る光栄にございますわ、殿下。では、私は失礼させて頂きます。シドニーが馬車の前で待っているのではありませんか?」

「ま、待ってくれ!僕は本当に…っ!?」


 追い縋ろうとする殿下を無視して教室を出れば、少し離れた所にシドニーが立っていた。その目には涙が流れていた。辛い王妃教育を受けている間でも流さなかったであろう、私の前でも流さなかった涙が。


「…あなたは間違ってないわ、シドニー」

「…っ!!」


 すれ違い様に声を掛けた。学園での礼節通り、シドニーにしか聞こえない声量で。

 嗚咽が背後から聞こえてくる。

 愚かだわ。王子も、シドニーも、私も。





 --------

 学園の卒業パーティーの日がやってきた。城のホールを利用した盛大なパーティーだ。

 だが案の定というべきか、私は誰のエスコートを得ることもなくパーティー会場に踏み込んだ。


 周りの生徒たちは、1年目の殿下の地道な悪女アピールによってすっかり私と距離を置いてしまっていた。少なくとも私を好意的に捉えようとする人物は少なくなっていた。テレーズ以外では、皮肉にもシドニーが一番私に対して好意的だった。私も私で、もはや彼女を敵ではなく、戦友の一人として考えるようになってしまった。


「ヴァレリー様、申し訳ありません。卒業までに名誉を回復させようと努力はしたのですが…」

 1年目とはすっかり人が変わってしまったシドニーの目は揺れながらも、強い決意の光があった。王妃教育は2年でほぼ完了しており、この調子で行けば期限までには十分修了できそうだった。


 真実の愛とはかくも強きものだったのか。それとも。


「いいわ。在校中あなたに小言を言ってたのは確かよ。それに、あの程度の風評で私やあなたの価値が揺らぐものでもないでしょ?」

「…ヴァレリー様。私は学べば学ぶほど、ヴァレリー様の強さを実感させられました。こんなにも辛く孤独な戦いを続けてらしたのですね。…私にはヴァレリー様がいましたが…」


 王妃教育には義務と責任だけでなく、政治の暗部や、妬み嫉みといった薄汚い物にも触れ、関わり、消化する必要がある。田舎の子爵令嬢に過ぎなかったシドニーにはそれが一番堪えたに違いない。


「…シドニー。もしこれから何があったとしても、あなたの努力は無駄にはならないわ。何かあれば私を頼りなさい」

「ヴァレリー様…」


 シドニーの目は、既に悲哀で満ちていた。

 彼女の努力にちゃんと報いてあげられないことが悔やまれる。




 パーティーが佳境に入る頃、殿下の美しい声が壇上から響いた。


「諸君!学園での3年間を共に過ごせたことを心より嬉しく思う!今日はこの卒業パーティーという記念の舞台で、皆に発表させてもらいたいことがある!…ヴァレリー・クザン公爵令嬢!そしてシドニー・アモン子爵令嬢!壇上に上がってくれ!」


 なるほど、面白い。わざわざ一番目立つところでやろうといいますのね?

 これから起こることを予感して不安そうにしているシドニーに笑いかけ、私を先頭に壇上まで上がっていった。殿下にとっては晴れの舞台だろうが、私には首を斬り飛ばす土壇場に見える。シドニーには何に見えているだろう?


「お招きに与りまして参上いたしました。ヴァレリー・クザンです」

「シドニー・アモンです」

 見事なカーテシーよ、シドニー。流石だわ。


「学園での3年間、君たちには特に世話になった。礼を言わせてくれ。特に…ヴァレリー。君は婚約してからの13年間、よくぞ僕を見捨てずに付いてきてくれた。改めて礼を言う」

「勿体無きお言葉です。殿下」


 勿体ないから豚にでも食わせておけばいい。


「シドニー。君にも礼を言わせてくれ。君のおかげで、僕は真実の愛に気付くことができた」

「………大変、光栄に存じます」


 シドニーの体は震えていた。それは感動の震えではないことを私は知っている。おそらくは、今も冷たい目を殿下に向けているテレーズも。


「今、この場において宣言する!!ヴァレリー・クザン公爵令嬢、君を僕の正妃とし――」

「ライナス・フォン・デュラン第一王子殿下。あなたとの婚約が破棄されたことをここに宣言いたしますわ」




 殿下の声に被せ、特別良く響く声を選んで宣言した。

 会場がしんと静まり返った。何が起きているのか、貴族である彼らでも理解が追いつかなかったのだろう。

 シドニーですら驚愕で目を見開いている。


「な…に…!?」

「聞こえませんでしたでしょうか?婚約は破棄されたと言ったのです。既に王妃様にはご了解を頂き、書面にも残して頂いてます」

「何故だ!?君は僕の婚約者で、これまでずっと一緒に過ごしてきたじゃないか!!一体何故今になって!?」

「そのずっと一緒だったという考えがすでにずれていますのよ」


 シドニーには申し訳ないけども、私はもう殿下の戯れに付き合うのは疲れたの。

 だから、この場で全部片付けさせてもらうわ。

 私の恋心の残滓も、全部今ここで。


「あなたは学園に入学してから婚約者である私を蔑ろにして、私が悪女であるかのように喧伝しましたわね。そして私が何をしても評価することなく、私との時間を全てシドニーに使い続けていましたわ。挙げ句の果てには二人きりで何度もお茶会をしていましたわね」

「そんなことはない!」

「あら、()()を改ざんするつもりですの?しかし()()は改ざんできませんわよ。テレーズ、あの記録を持ってきて」


 そこには殿下の動向を記録した2冊の分厚い書類があった。王家の影が記録したものと、テレーズが記録したものだ。


「左にあるものが王家の影が殿下の身の安全を確保するために日々動向を記録したもの。もう一つは私が友人に頼んで記録させたものですわ。どちらも整合性が取れていると裁判所で認められています。少し読み上げましょうか?」


 私はテレーズが記録したものから1年目の物を何枚か抜き取った。


「6月5日。ヴァレリー公爵令嬢がライナス第一王子へ、結婚前に未婚の女性と二人きりでお茶会をすることを諌めるも、嫉妬からかと鼻で笑って無視する」

「…っ!」

「7月7日。ヴァレリー公爵令嬢がライナス第一王子へ、周囲へ見せつけるようにシドニー子爵令嬢と親密に話すのは止めるように忠告。友人と過ごすことがそんなに悪いのかと逆上。シドニー子爵令嬢の肩を抱く」

「よ…よせ…!」

「9月16日。ライナス第一王子とシドニー嬢が空き教室で抱擁を交わす。そして――」

「やめろッ!!」


「――君が婚約者なら良かったのにと、愛を囁く。まあ、面白いのはこの辺りまでですわね。その後のあなたは私達になんとも中途半端な態度しか取りませんでしたから。でも、この一件だけでは当然決め手に欠けましたわ。政略結婚ですから、好き嫌いで破棄できるほど簡単ではありませんの」


 殿下は顔面を蒼白にしながらも、私の言葉に糸口を見出したようだ。


「そ、そうだ!政略結婚だ!ならば家の繋がりを強くするためにも、形だけでも結婚すべきじゃないのか!」


 殿下は自分が何を言ってるのか、きっとよくわかってないのでしょうね。シドニーがそれを聞いてどう思うかしら。


「ええ。ですが、王妃様は婚約の破棄を認めてくださいました。それはシドニーの努力によるものですわ」

「シドニーの…!?」

「シドニーは時間こそ掛かったものの、非公式ながら王妃教育を見事に身に付けましたわ。何より紆余曲折はあったけども、()()()婚約者である私の協力を取り付けた姿勢を王妃様は高く評価されましたの。政治において、敵を味方に引き込めるカリスマ性は知識だけでは得られませんから」


 さり気なくシドニーが秘密裏に王妃教育を受けていたことを暴露した形になってしまったが、既に私は婚約破棄した訳だし構うものかとたかをくくる。

 …私は先日婚約破棄のご相談を王妃様にした時に、如何にシドニーが殿下を愛し努力を重ねてきたかを語ったのだ。私よりもシドニーこそがふさわしいと。でも、もしかしたらその必要は無かったかもしれない。




『…ヴァレリー。あなたを義娘にできなかったことが残念でならないわ。でも、あなたがそこまで言うのなら、私もそれを信じましょう。それに、あの子に()()()()()は勿体なさすぎるわ。…ねえ、もし卒業の日にあの子が暴走するようなら、私の代わりに聞いてほしいことがあるのだけども。』




 王妃様の目は、既に諦めの色が濃かった。

 シドニーに対してではなく、殿下に対して。


「殿下、王妃様よりご質問をお預かりしています。…殿下の言う"真実の愛"とは一体なんですか?」

「なに…とは…?」

「殿下は本当に昔から私を愛していたのですか?確かに殿下は婚約当初から入学までは私に優しかったですわね。周りと平等に微笑みかけ、周りと平等に接し、何事にも不公平にならないようにしてきましたわ。でも同時に私を特別なものとは思ってなかったはずです。それは本当に愛なのですか?」

「それ…は…」

「そして入学すればシドニーに夢中になって、私を邪魔者扱いして。シドニーがあなたのために王妃教育を頑張ってくれているのに、進捗が遅いと見れば優秀だった私に未練を見せる。そしてやっとのことで彼女が王妃教育を修了できるとなったら、今度は真実の愛を誤解していたですって?笑わせないで頂きたいですわね。そんな軽い言葉でシドニーの努力を片付けないでほしいですわ」


 私は震えながら静かに泣くシドニーの手を握った。その手はとても冷たくなっていた。


「殿下。あなたは愛を、女を馬鹿にしすぎですわ。シドニーがどんな思いで3年間を過ごしてきたと思う?どんな思いでここに立っていると思うの?私はずっと彼女を見てきたからわかるわ。彼女はあなたに真実の愛を見出していたのよ。だから私は彼女を恋敵として認めたのに…あなたが相手では、その甲斐も無かったようですわね」


 シドニー。哀れな娘。

 不慣れな環境の中、好きな人のためにここまで自分を磨き上げたというのに、完成する寸前になって見てもらえなくなるなんて。なんだか私達はどこか似ていますわね。




「王妃様よりもう一つ、伝言をお預かりしています。あなたに真実の愛を語る資格などありません。あなたはただ、初恋が遅かっただけの浮気者に過ぎません。もう一度自分を見つめ直し、研鑽し直しなさい。……では、失礼いたします」


 私は泣きじゃくるシドニーの手を引いて、王城から出ていった。テレーズも黙って会場を出て、馬車を手配してくれた。

 呆然として会場に残された殿下などどうでもいい。失恋により深く傷ついたシドニーのことがただ哀れだった。




 --------

 殿下は本当はあの場で私を正妃にし、シドニーを愛妾とすることを宣言するつもりだったらしい。貴族だけが集まる卒業パーティーでそれを宣言することで私達を囲い、在学中に確たるものにできなかった愛を結婚後に育もうとしていた。それは政略結婚であればさほど珍しいことではなく、発表の仕方に是非はあったとしても非難されるものではない。


 もし入学して以降、殿下が恋に狂うことなく私達を平等に愛していたならば、そういった未来もあったかもしれない。それなら私もシドニーに嫉妬こそすれ、なんとか呑み込めただろう。だが殿下のあまりにも不誠実な態度は、もはやそれを実現不可能にしていた。


 シドニーと殿下の結婚については、現在一時保留されている。

 元々政略的な意味が薄く、王妃様の慈悲により身分差を超えた結婚を認められていたのだが、その前提条件となる"真実の愛"が肝心な殿下に見られず、シドニーもこの一件で深く傷ついていた為だ。恐らく、破談になるだろうと見られている。


 誰も幸せになれなかったこの恋物語で、一体これ以上私に何ができたのだろう。

 もしかしたら、徹頭徹尾シドニーを苛め抜いていれば、二人はちゃんと結ばれたのだろうか。私があの子に美点を見出したばかりに、半端な希望を与えてしまったのだろうか。

 それとも、もっと幼い頃なら、殿下に何かできたのだろうか。

 全てが終わった今となっては、ただ虚しいだけだった。




「テレーズ。あなたには随分と迷惑をかけたわね」

「…あまり力になれなくてごめんね」

「そんなこと無いわ。あなたが私の代わりに怒りを覚えててくれたから、私は冷静になれたのよ」

「…ヴァレリーは、今後どうするの?結婚はまだしないのよね?」

「そうねえ…ちょっと国外旅行でもしてみようかと思ってるわ」

「え…旅行?」

「王妃教育で国外のことを学んで、興味が湧いたの。きっとこの国には無い物がたくさんあるに違いないわ。そうそう、シドニーも破談になったら一緒に来るらしいわ。振られた女二人、傷心旅行ってやつよ」


 たぶん、楽しい旅行になるだろう。過去の男など忘れて、国外で新しい恋を見つけてみるのも良いかもしれない。

 国母とならなくて良くなったことで、私達の腰は随分と軽くなっていた。


 だが思いも寄らない叫びが真横から響いた。


「………ずっっっるい!!だったら私も連れてけ!!」

「テ、テレーズ!?」

「先に私が友達になってたはずなのに、なんであいつと親友ヅラしてるわけ!?気に入らないわ!!どこまでもついて行って恋路の邪魔をしてくれる!!そして今度こそ私も恋をするんだ!!」


 テレーズが壊れた!?

 いや、そういえば在校中に誰かと交際しているのを見たことがない…違う、私が殿下の監視をお願いしてたからできなかったのか!?

 ごめん、テレーズ…!!一番の被害者はあなただったかもしれないわ!!


「わ、わかったわ…!旅費は持つから、その…絶対にいい旅にしましょうね?」

「もちろんよ!私だけの王子様を見つけてみせるんだから!うおー燃えてきたぁー!!貿易業と諜報で鍛えた外国語をフル活用してくれるわー!!」


 底抜けに明るいテレーズを見ていると、本当にすぐに新しい恋物語が始まりそうな気がしてくる。




 失恋と婚約破棄で終わった学園生活。

 親友が二人に増えた私は、王妃ではない未来を探すため、国を出て新しい一歩を踏み出そうとしていた。




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私達の旅はこれからだ!!

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[良い点] ヴァレリーは素晴らしいですね。 そして目を開いたシドニーもまた素晴らしい。 ラストで全部持って行く勢いのテレーズも。 3人は今後がどうなるにせよ、親友になっていく気がします。 一方でアホ王…
[良い点] シドニーが強いのがすき
[一言] テレーズさんが最後に持ってったw 人の応援ばっかりしてて自分のほう疎かそうで好きです
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