7話 大きな……
今宵、那月にはピンクのウサギがいた。
左側の髪に留められた、十センチほどの大きさをしたアクセサリーだが、その耳は三十センチほどもあり、上へ伸びたまま、那月の歩みにあわせて揺れている。
アニメ調ながら、見逃さねえぜ、と言わんばかりに凶悪な顔をしている。
「あの男だな」
呪神が静かに言った。
「うん、けっこうヤバイ」
那月も頷きながら、その目で確認した。
いま那月の目には、拡張現実よろしく視覚にフィルターが施されいる。
アクセサリーの効果で、異常を探知し、色づけをする。
重度が高い、赤で色づけされた人間がいる……。
夜七時過ぎ、街の中央通り。
商業施設の多い大通りと違い、オフィスとしてあるビルが建ちならんでいる。
それゆえ帰路につくスーツ姿の人間が何人か見える程度だが、代わりのように片側二車線の車道には乗用車が往来していた。
そんななか、呪神が声で指した男が一人、こちらへ向かって歩いてきた。
年齢は三十前後か。
やはりスーツ姿で、何らかの事務職であろうことは窺えるが、様子はかなり異様だった。
ワイシャツのボタンは掛け違え、ズボンから中途半端にはみだし、右足にはサンダルが履かれていた。
メガネも傾いてかけられ、顔の左半分は赤紫に変色していて、まさに感染者という言葉が適当な状態であった。
無表情で前を見据えたまま、ゆっくりと歩みを進めている。
那月との距離、およそ十メートル。
「はーい、治療しまーす」
そう言うと那月は、左脇のホルスターからスピールを取り出した。
グリップとトリガーだけがある形の魔法を撃つ銃・スピール。
いつもとは違うスピールを片手で構え、那月は引き金を引いた。
心地よい明るく弾ける銃声と同時に、桃色に包まれた黄色い光が男を撃ち抜いた。
同時に、パーンと割れたガラスの破片を思わせるものが男の後方へ飛散。
赤紫のそれは、そのまま路面に落ちることなく消滅した。
「あ……、あれ? 俺はいったい……、え? ええぇー?」
顔を含め身体から赤紫のものが消え、正気に戻った男は違和感の一つ一つに驚いていた。
それに構わず、那月は男に背を向けて歩き出した。
「はい、治療完了」
「お疲れ様です」
ひと仕事終えた那月に、惣神が頬笑みながら労いの言葉をかけた。
「桃福弾、やっぱり効果は絶大ね」
右手のスピールを見ながら那月は感心して言った。
「ああ、陰気や邪気の一切を祓う、陽気、笑福の魔法だからね。夜獣の汚染を取り除くには一番手っ取り早い」
「東洋の観点からできた魔法だが、素早く目的を達成できるのだ。良いものは取り入れるべきだ」
銃神、呪神の言葉に那月は頷いて答えた。
「でも那月、気をつけて。病み上がりなんだし、身体を慣らすための仕事でもあるんだから」
「そうでッス。無理をしておいしいものが食べられなくなったら大変でッス」
「ガーッハハハ、那月なら夜獣の一つや二つ出くわしたところで何とでもなるわい」
「ちょっとシショウ、いけませんよ」
心配する衣神と宅神をよそに、武神が勢いづかせる発言をするが、惣神がそれを諌めた。
「本当は、効果筒一つあれば事足りるんだがな……」
商神が、やれやれといったかんじで呟いた。
「場合によっては攻撃と回復を行う、二丁撃ちをする可能性もあるし、悪い買い物ではないと僕は思うよ。何より使用者の意見を尊重しないとね」
「うん、これは夜獣用だから人に向けて撃ちたくない」
銃神の言葉から、那月は右腰のホルスターに収まっているスピールをポンと叩いた。
いつも使用している回転式と自動拳銃を足した形状のスピールだが、商神の言うとおり、そのシリンダーに効果筒を入れて使用すれば同様に魔法が撃てるし、安価ですむ。
しかし那月は、同じスピールの括りにある物でも用途と対象を専門化して、これは人へ向けて撃って良い安心安全なもの、としたいのだった。
「心配するなキンジイ。そいつは効果筒の交換もできる。戦いや仕事の方法が増えるだけだ。損はせん」
「ガーッハハハ、そのとおり。新しい戦い方を身につければ、那月は更に強くなる」
「そうそう。那月、カッコヨクなるわー」
「大丈夫。那月ならすぐに元が取れまッス」
呪神と武神、そして衣神と宅神も、商神を納得させるべく、その有用性を改めて説いた。
「分かってる。那月なら元を取るなんざ、あっという間だ。更なる稼ぎ、楽しみにしてるぜ」
「了解」
四柱の神の言い分を飲み込み、期待する商神に、那月が敬礼をした。
「さあ、気を取り直していきましょう」
「はい、センセー」
惣神が促し、那月が元気に答えた。
────そして那月が改めて歩き出したとき、事態は急変する。
突如、ウサギ型アクセサリーの両目が赤く点滅し、耳が激しく前後した。
そして、その反応は那月の視覚にも表れた。
「え、ちょっと、すごい数!」
隣の大通りから、重度が黄色に色づけされた人間が次々と現れ、その一帯が塗りつぶされてしまった。
「汚染が低いとはいえ、この数は異常だ。確認しろ」
「うん」
呪神の声を聞きながら那月は駆けだした。
大通りに出ると、人々はそれを中心に立ち止まっていた。
「うわ、でかっ……」
そこにいたのは、二本足で立つ漆黒のスーツを着た、象であった。
それも動物園からそのまま来たかのように、四メートル程の大きさがあった。
体重五トンといって納得できる立派な肉付き。
目つき鋭く、圧倒する体型と威圧感は、まさに首領・ドンといったものを感じさせた。
「あれ……、夜獣なの?」
衣神が驚きながら言った。
するとドンは、その太くて長い鼻を高く上げると、その先から人間の精神を汚染させる負素を、シャワーのようにして撒いた。
それぞれ進行方向を向いたままで立った人々は、黒い影のような雨を浴び、その肌が薄い赤紫になった。
那月の目に表されていた黄色がオレンジ色に変化し、重度が高くなった事を示した。
「間違いなく夜獣だ。仕留めないと」
治療用を収め、いつものスピールを取り出し両手で構える那月。
だが、象型の夜獣は鼻を静かに下げると、そのままスッと消えていった。