第3話 エトワールの記憶① 「濡羽色の髪」
そう、それは光が届かない闇の色。
カラスのように黒い……色。
黒が嫌い。
カラスと呼ばれて心を痛めている女の子がみえる。
だれだろう?
わたしは学校にいたはずなのに、白い石畳が並ぶ夢の世界にいる。
遠くにはエメラルドグリーンの美しい海がひろがり、さわやかな風が吹き抜けている。
潮の香りが心地好いのに、女の子は泣いていた。
声をかけてあげてくても、声が出ない。
気がつくと、金色に近い茶色の髪をしたおさない男の子たちが、道をふさいでいる。
「ほら、あっちにいけよ。カラスの子」
はやし立てながら、折れた木の枝を振りかざして、歩くのを邪魔してくる。
仕方がないから回り道しようと背を向けると、ドンと、強く押されて、水たまりの中に。両手をバシャンついて、倒れた。
水紋がひろがり、やがてそれが落ち着いても、水たまりに両手をつけたまま動けないでいる。
黒い髪が、サラサラとフードの隙間からこぼれ、垂れさがっている。
澄んだ青空をうつす水たまりは、黒い髪と黒い瞳をしたあどけない顔のエトワールをもうつしていた。
長い黒髪をみた男の子たちは、さらに声をあげる。
「うわッ。きったねぇ、黒髪だ」
男の子たちは足もとに転がる石を素早くひろい、投げつけた。
石はこめかみにガツンとあたり、真っ赤な血が透き通った水たまりにおちる。
エトワールは慌ててフードの中に黒髪を隠し、顔がみえないように深くかぶった。
すると、水たまりに赤い髪をした女の子がうつる。
「くぉらァー、てめェーら、エトワールをいじめるなァッ!」
「ぅうわぁッ、カルデニアが来た」
「赤い髪のクソ女だァーッ。逃げろォォー」
クモの子を散らすように逃げ出した男の子たち。でも、カルデニアは逃げ遅れた男の子の首根をつかむと、背中を蹴っ飛ばした。
ズシャッと石畳に倒れた男の子は「うわーん」と、大きな声で泣きながら、よろよろと立ちあがり、逃げていく。
「エトワール、大丈夫? 血が出てるよ」
カルデニアはエトワールのこめかみに、石鹸のいい香りがする白いハンカチをあてて、しばらくギュッと抑える。
左手で止血をして、右手で頬をなでる。心配そうな顔をして、「もう大丈夫だからね」と。
「ありが……と……う」
カルデニアのやさしさに、ボロボロと大粒の涙をこぼすエトワール。
カラスと呼ばれた悲しみと、石をぶつけられた恐怖。カルデニアが助けてくれたうれしさ。たくさんの感情が小さな胸にはおさまりきれずに、涙となってこぼれおちている。
この国の人々は、茶色を帯びたブロンドの髪と、うすい茶色の目が多い。次に多いのは、ラメルという赤い髪の一族。そして、金色の色を持つ貴族。
他国の商人が行きかう港町では、さまざまな色を持つ人がいる。でも、黒はいない。ひとりもみかけない。
白すぎる町並みに、エトワールの姿はとても目立っていた。
港町で暮らす大人からは、あからさまな差別を受けることはないけど、一部の子供たちからは「カラス」と呼ばれて嫌われていた。
カルデニアにお礼をいって別れたあと、エトワールは港町からすこし離れた森に入る。
新緑がまぶしい森の中にある粗末な小屋。そこがエトワールの住まい。
家の中には粗末な家具しかなく、どこか寂しい。だけど、町中でカラスと呼ばれたこと、カルデニアが助けてくれたことなどを、身振り手振りで話すエトワールの元気さが、森の静けさをかき消していた。
たくさんしゃべってのどが渇いたエトワールは、血色のいい頬をふくらませて、ようやく昼食のスープに手をのばす。
「ねぇ、アニスぅ。どうして、わたしの髪は黒いの?」
木のテーブルに並んだやわらかそうな丸いパンや、瑞々しいサラダを一緒に食べているアニスが、困ったような顔をしている。
満月のように輝く金色の瞳と、金糸を束ねたような金色の髪。
クリーム色のワンピースドレスがすこし古めかしくみえたけど、白い肌におちる金色の髪は、ぞくっとするほど美しい。
エトワールは、母アニスの髪色と瞳の色を、とてもうらやましがっていた。
「エト、あなたのお父さま、フォンセも濡羽色の髪をしていたのよ」
アニスの声はとてもやわらかく、そっとやさしく抱きしめられているような心地がする。「濡羽色ってなあに?」
「艶のある黒髪のことよ。まっすぐで健康的な黒髪には、光のあたり方によって、さまざまな色をみせてくれるの」
「みんな、わたしのことをカラスって呼ぶよ?」
涙ぐみながら、エプロンドレスを握る手に力が入ると、白く細い手がヒョイとエトワールを持ちあげた。そして、ふわりとやわらかい膝の上にのせる。
「そうね、濡羽色って、カラスさんの羽のような艶のある黒色だから……。エトはカラスさんの羽をみたことある?」
「……ない。アニスはみたことあるの?」
「あるわよ。カラスさんの羽は真っ黒にみえるけど、よぉくみると、青や紫、緑などの色があるのよ。とってもキレイなんだから」
「キレイなの?」
パッと花が咲いたみたいに、明るい表情になったエトワールの頭を、やさしくなでる細い指。
アニスは金色の瞳を細める。
「えぇ、とても綺麗よ。エトの髪と瞳は、大好きなフォンセと同じ色をしているんだから。この世にこれほど愛しいものはないわ」
慈愛のこもった眼差しに、痛んだ心が温かくなるのを感じた。でも、よろこびに満ちた笑顔で、無邪気に抱きつくエトワールは気がついていない。
うっすらと涙が浮かび、うるんでいる金色の瞳。
お皿もコップもふたつしかない食器棚をみると、エトワールの父親はもうこの家にはいない気がして、わたしは目を伏せた。
身を切られるような思いに耐えられなくなったけど、幼いエトワールは違う。
黒い瞳に輝きを取り戻し、いそいで昼食を食べると、元気よく外に飛び出した。
「カルデニアとあそんでくるぅー」
その日から、エトワールは黒い髪と瞳を好きになっている。
カルデニアの燃えるような赤い髪も、月のように輝くアニスの金色の髪も大好きで、うらやましく思っている。だけど、アニスが愛する父、フォンセと同じ色という言葉が、なによりもエトワールをよろこばせていた。
わたしは――。
くりっとしたの天然パーマ。茶色すぎる髪の色。
なにもいじっていないのに、学校の先生には怒られる。
エトワールのように、この髪を好きになる日が来るのかな?
ここでハッと気がついた。
この夢は、うんざりするほど嫌な思いをしているわたしを、応援しようとしている?
それとも、エトワールは「人を見た目で判断するなんて、ひっどいよねぇー」と、ガールズトークでもしたかったのだろうか。
そんなことを考えていると、真鈴に会いたくなった。
学校に戻りたくなった。
どうやって戻ればいいのかわからないけど、わたしは心を静めた。
そのうちにまた、意識がすぅっと遠のいていく。