第1話 江藤の決断① 「消えない違和感」
消毒液の匂いはあまり好きじゃない。だが、江藤蓮夏がまた倒れて保健室の世話になっている。
狭い保健室で、オレたちは作戦会議をした。
集まったメンバーは、ジェラルドの雰囲気と、声が似ている教育実習生の成宮。
江藤の親友で、エトワールの母親だった羽野。
そして、カルデニアに似ているオレ。
成宮はあと数日でこの学校から消える。教育実習の期間は短いから、ジェラルドの記憶がないうちに「キッパリ忘れる」と、江藤はいったのに――。
「結婚する?」とかいわれて、ぶっ倒れた。からかわれただけなのに……なんかムカつく。
いつものようにオレが江藤を運ぼうとしたら、成宮に止められたことも腹立たしい。
「蓮夏ちゃーん」
倒れた江藤は、羽野の呼びかけにも答えなかった。
はじめて倒れたときは、とにかく焦って動揺したけど、もうすっかり慣れた。
「しゃーないなぁ」
倒れた江藤の身体を持ちあげようとしたら、成宮がオレの手をとめた。
「江藤さんに、さわらないでくれるかな?」
ほがらかな笑みを浮かべて、かるい冗談をいっているような雰囲気だったが、オレの腕に食い込む成宮の手は、冗談をいっていない。
ギリギリと締めあげるように力をいれてくるから、成宮の手をふり払った。
「は? さわるなって、こんな所に置いとけねぇだろ」
「だったら、僕が運ぶよ」
成宮はヒョイッと江藤を持ちあげた。その後ろ姿を見ながら、複雑な気分で保健室までやったきた。
「羽野さん、わるいけど布団をめくってくれる?」
「は、はい」
江藤を寝かせると成宮はそばに座り、頬をなでた。
「江藤さんって、よく倒れるの? 身体が弱いとか?」
「身体は丈夫なんだけど、蓮夏ちゃんは……。ねぇ、一条」
「あ、うん。そうだな、極度の緊張とかに弱いかな」
「緊張?」
きょとんと不思議そうな顔をした成宮をみていると、やはりイライラする。
「オマエがいるから、江藤が倒れたんだよッ」と、いってやりたい衝動にかられたが、グッとこらえた。
それにしても、なんでこんなタイミングで成宮があらわれたんだ?
江藤は「キッパリ忘れる」といっていたのに、すべてが台無し。
じとっと恨めしそうな眼差しをむけていると、羽野が成宮に質問をした。
「センセイは、蓮夏ちゃんのこと好きなんですか?」
直球どまんなかのストレート。
オレが聞きたかったことを、照れもせず堂々と聞き出す羽野はすごいと思った。
成宮はすこし考えて。
「よくわからないけど、すごく惹かれている。いままでこんな気持ちになったこと、ないぐらい。これが、ひとめ惚れってやつなのかな?」
これまた、直球。
聞いていて恥ずかしくなるようなセリフが、ポンポンと飛び出すので、ムカつくを通り越して呆れた。
おなじ男でも、成宮がまったく別の人種にみえる。
「でも、成宮センセイは蓮夏ちゃんのことなにも知らないのに、いきなり結婚はないと思います」
羽野の正論に心から拍手を送った。
「まさか倒れるとは思わなかったから、ちょっと悪ふざけが過ぎたかな。それは反省する。でも、離れたくないなぁ」
江藤を見つめる成宮の目は、やわらかい。本当に大切なものを慈しんでいるようで、なんだかよくわからない敗北感が、胸の中にひろがった。
これ以上、江藤と成宮の姿をみたくなかったから、教室に戻ろうとしたが、羽野がとんでもないことをいい出した。
「そうだ! みんなで遊びに行きませんか?」
ポンッと両手をあわせて、「ナイスアイディアでしょ?」と、いいたそうなドヤ顔。
「みんなって、オレも?」
怪訝な顔で聞いたが、羽野は「あたり前よ」といって腕を引っ張り、さらに小さな声を出す。
「蓮夏ちゃんと成宮センセイをふたりっきりにしたら、蓮夏ちゃん、また倒れちゃうよ」
「倒れたら、成宮に運んでもらえばいいだろ? 頭を打たないように、羽野だけ行ってこいよ。オレは関係ない」
「ふざけないでよ。私だって、もと恋人同士の間に割り込んで、堂々と歩けるほど、神経、図太くできていません。だーから、一条も来て」
「いーやーだ」
ゴチャゴチャと小声でいい争いをしていたが、羽野は腕時計に目をやると、強引に話をまとめはじめた。
「遊びに行くのは、期末テストが終わってからにしましょう。成宮センセイの連絡先を教えてください」
羽野はすごく楽しそうだったが、成宮は困った顔をする。
「教育実習生は、生徒に連絡先を教えちゃいけないんだ。まぁ、付き合うとかも言語道断なんだけどね。そのへん厳しいから、教えられないんだ。ごめんね。あー、結婚のことも秘密で」
「困ったなぁ。一条に教えるのもダメなの? 男同士だし」
「それもダメなような気がするけど、まあ、大丈夫かな」
返事をしなくても、成宮はポケットからスマホを取り出す。
「一条、連絡係ぐらいはやってくれるよね?」
「はいはい、わかりました。じゃ、オレの連絡はココで」
連絡先を交換したとき、成宮が耳元でささやいた。
「本当に、このままでいいの?」
「は?」
いっている意味がわからず聞きかえしたが、成宮は何事もなかったかのように、スマホを片付けている。
「それじゃ、職員室にもどるよ。江藤さんが目を覚ましたら、遊びに行くの楽しみにしてるって伝えて」
爽やかな笑みを残して、いってしまった。
「私たちも教室に戻らないと」
「もうそんな時間か」
ふと眠っている江藤をみた。
「あっ」
泣いていた。
閉じられた目からスッと涙がおちて頬を伝わると、また次の涙がこぼれおちる。
「蓮夏ちゃん、起こしても起きないよね?」
何度か試したことがある。どんなけつよく揺すっても、あの夢をみているときは、決して目を開けない。
「蓮夏ちゃーん、はやく起きて。それは夢だよ。大丈夫だよぅ」
羽野がハンカチを取り出し、江藤の涙を拭いていた。
「……かわいそう。つらい夢でもみてるのかな」
羽野の言葉が、小さな棘となって胸に突き刺さる。
なぜだかわからないけど、急に鼓動がはやくなって、グラッと眩暈がした。
「一条?」
「あ、いや。なんでもない」
つよい眠気に襲われたけど、平静を装って保健室から離れた。すると、眠気はとおのいてくれたが、胸の奥が気持ち悪い。
「なぁ、羽野。成宮のこと、どう思う?」
「チョーカッコいい! 蓮夏ちゃんがうらやましいィィ」
「そんなもんか」
「なに、そのひややかな態度。強力なライバル出現だよ。焦らないの?」
「はあ? オレには関係ないし。……でも、成宮にはすごく違和感があるんだ。エルネストの記憶はないらしいけど、ウソをついている気がする」
「どうして?」
「それがサッパリわからん」
「成宮センセイがウソをついて、得になることなんてあるの?」
「……ないよなぁ」
それでも心の中で、オレじゃないだれかが警戒している。
成宮は、何者なんだ?
そしてその日の夜は、ひときわ大きな満月。
真珠色のにぶいひかりの中で、エルネストの夢をみた。
つよく吹きつける潮風と、なまぐさい血の匂い。
全身ずぶ濡れでケガをしたカルデニアが、泣き叫ぶ。
「アタシは、おまえを許さないッ! エトワールを殺したのは、ジェラルドだッ!!」
いったい、なにが起きた?
どうしてカルデニアが、そこにいる?
はじめてエルネストの夢をみたときも、カルデニアは――。
「このままで、本当にいいの?」
成宮の声がした気がして目が覚めた。
夢はなにかを伝えようとしているが、オレにはわからない。
江藤のことか?
それとも、オレが感じているずっと消えない違和感のことなのか。
まだ憶測にすぎないけど、成宮結人は……ジェラルドじゃない気がする。




