第9話 勝敗の行方② 「勝ったのは――」
フェザードから逃げるように観客席に飛び込んだノワールは、ひどく興奮した状態で暴れまわっていた。しかし、太陽の光を反射させる白石の足場に顔をゆがめて、ギョロギョロと瞳を動かす。
深緑の目に、エトワールの長い黒髪が映った。
「あぶないッ」
カルデニアが、凶暴なノワールに怯えて動けなくなったエトワールに飛びついて、黒い髪をかくした。
ノワールの発達した長い爪が空を切ると、観客席が粉々に砕ける。
エトワールはあやういところで命拾いをしたが、ノワールは一度ねらいを定めると、執拗に獲物を追い回す習性もある。
グルルルルゥと低くうなりながら、深緑色の眼球しきりに動かして、黒い髪をさがしていた。
「あぶないから下がってくださいッ」
観客席の警備にあたっていた傭兵たちが、ようやく駆けつけ剣を抜く。しかし、生臭い唾液がしたたる鋭い牙に、人を丸のみしてしまう大きな口。
ノワールが鋭い爪をふりながら咆えると、傭兵たちは悲鳴をあげて逃げだした。
「おいッ、逃げるなら、その武器を貸せッ!」
ラスティが怒鳴っても、傭兵は剣を離さない。自分の命を守るために、武器は手離せなかった。
もたついている間にノワールは高く跳ねあがり、身体を反転させると、ラスティや傭兵たちをなぎ倒した。
「「ラスティッ」」
カルデニアと共に叫んでしまった。すると、さがしていた獲物をみつけたノワールが、前脚を蹴り、大きく跳ねた。
「エトワァールッ!!」
ジェラルドが、闘技場と観客席を仕切る石壁に槍を投げた。ガツーンッと重い音を立てて刺さると、ジェラルドは槍の上に足をかけ、高く飛んだ。そして、そのまま観客席にのりこむと、傭兵から強引に剣を奪い、驚くようなはやさでノワールの前に立つ。
「ジェラルド、あぶない」
エトワールの声は、ジェラルドには届かなかった。
金色の前髪からすこしみえる空色の瞳が、いつもと違う。ひとかけらのやさしさも感じない瞳は、確実に命を奪いにいく目をしている。
ぞわっと鳥肌が立つような眼光の鋭さに、エトワールは怖くなって、カルデニアにしがみついた。
「いまのうちに安全なところへ行くよ」
「でも、ジェラルドが……」
ジェラルドは身体をひねってノワールの攻撃をかわすと、フェザードが傷をつけたノワールの額をねらう。
ギリギリまでひきつけて、ノワールの鋭い爪が、ジェラルドの前髪をかすめた瞬間、ノワールの眉間に剣が突き刺さる。
「グゥオォーォッ」
雄たけびをあげながら立ちあがり、ノワールは前脚で剣を抜こうと暴れたが、剣がどす黒い血で染まる。
深緑の目からギラギラとしたひかりが、スッと消えると、ズシャァァッと砂ぼこりを巻きあげながら、巨大な四肢が倒れた。
痙攣を起こし、鋭い牙が並ぶ口から泡がふき出すと、ノワールは完全に動かなくなった。
「ジェラルド……、血が」
地べたに座りこみ、カルデニアと抱きあっていたエトワールが、白く細い手をのばすと、ジェラルドはその手をつよくつかんだ。そして、カルデニアからエトワールを奪うように引っ張ると、つよく抱きしめた。
「間に合わないかと思った。無事で、よかった」
「カルデニアが助けてくれたから、大丈夫よ」
恥ずかしさのあまり、ジェラルドの胸から逃げ出そうとした。でも、はっと目が覚めるような、鮮やかな空色の瞳が近づき、エトワールの口をふさぐ。
「んなッ!」
カルデニアの声にならないような悲鳴が聞こえたけど、動けない。やわらかな唇の感触が離れると、ジェラルドはふたたびエトワールをつよく抱きしめた。
「怖かった。間にあってよかった。心臓が止まるかと思ったよ。頼むからオレのそばにいてくれ。エトワールがいなくなったら――」
オレは人の心を失う。
「え?」
驚いて顔をあげたが、ジャーンっと銅鑼の音が響き、闘技場内にひとりの騎士がフェザードの横につく。そして、もういちど銅鑼の音が鳴ると、騎士はフェザードの腕を高く持ちあげ叫んだ。
「ジェラルド・シエル・ファビウス、闘技場外へ出たため、失格。よって、勝者は、騎士王ッ!」
群衆のどよめきが、大きな波のようにひろがる。
ノワールの脱走がなければ、勝ったのはあきらかにジェラルドだった。
「ジェラルド……」
負けたものがどうなるのかを思い出し、オドオドしながら声をかけたが、「大丈夫」といって、エトワールのくびれた腰を、横から抱くようにして引き寄せる。
ジェラルドは、強い視線をフェザードに向けていた。
するとフェザードの口元が緩み、高らかにあげられた手を、振り払うように下げた。
「ノアールの脱走など、あってはならぬこと。傭兵たちはケガ人を運べ。今回の不始末は、この騎士王にある。国民よ、すまなかった。そして、退団試練の勝者は――、なしとするッ」
フェザードの寛大な言葉に、大きな拍手と、大歓声がわきおこった。
「なに? どういうこと?」
あまりの歓声に耳をふさぎながら、カルデニアが立ちあがると、ラスティが「いててて」と、腰をさすりながら説明をしてくれた。
「退団試練の敗者になれば、厳しい罰を受けるが、ジェラルドは敗者でも勝者でもないってことだ。ノワールを倒した功績も認められて、このまま退団できるだろう。よかったな、エトワール」
大きな白い歯をみせながらラスティは笑い、エトワールとジェラルドをギュッとくっつけるように肩をたたいた。
恥ずかしさのあまり顔をあげることができなくなっていたエトワールだが、チラッとジェラルドをみると、そこにはいつものやさしい目をした青い瞳があって、前髪と前髪がふれるほど近い。
顔を紅潮させ、やっぱり恥ずかしくて逃げようとしたけど、ジェラルドの大きな手は、エトワールを離さない。
それどころか――。
「騎士王、フェザァードッ! オレはサイ国討伐の恩賞を使い、エトワールを妻にするッ!!」
ジェラルドの大声に、あたりはしんと静まりかえった。
闘技場内のフェザードは、一瞬だけ驚いたような顔をしたが、片手をあげると、その場から去った。
「な、なにをいってるんですか。大切な恩賞を、そんなことに使うだなんてッ」
静寂を破ったのは、エトワール。続いてカルデニアも「そうだ、そうだ」と、はやし立てる。
「……オレのことキライ?」
どこまでも澄みきった青空のような瞳を、じっと真っ直ぐにむけられると、またエトワールの目は泳ぎだす。
キライなわけがない。だけど、そんなことは恥ずかしくて口に出来なかった。
「乙女の唇を奪いし男は、その生涯をかけて、女を守る。エルネストの神に誓って、オレはエトワールを愛し、ともに歩むと決めた」
誓いの言葉と共に、エトワールの唇はふたたびジェラルドに奪われた。




