第8話 心に決めた① 「同じ想い」
夜風がジェラルドの頭を冷やすと、海へ行こう、と微笑んだ。
とてもきれいな空色の目をしているから、エトワールはこくんとうなずいてふたりは歩いた。
いつもと同じ、強い潮の香りに包まれても、人気のない夜の海はどこまでも黒く続いていた。気を抜けば飲みこまれそうで、すこし怖い。
得体のしれない不安が身を包む。
――やはり、黒は死神の色。
そんなことをぼんやりと考えながら、ジェラルドのうしろを歩いていた。
「寒くない?」
パッと振り返ったジェラルド。その瞳はうす暗い闇の中でも青く輝き、昼間の明るさが心に浮かぶ。
「大丈夫です」
同じ人間とは思えないほど、ジェラルドの瞳は美しい。
潮風に揺られる金色の髪も。
エトワールは下をむくことしかできなかった。
ジェラルドを一緒にいると、黒い髪がひどく醜くて、汚く感じる。はやくカルデニアのところへ戻りたくなった。でも、ジェラルドはそんなことには気が付かない。
「エトワールは、この国が好きか?」
「……嫌いじゃないわ」
快く好きとはいえない。
ラメルの人たちはとても良くしてくれるけど、すこし港町から離れると、エトワールをみる目は悪意に満ちていた。すっかり慣れたとはいえ、何年たっても気持ち良いものではない。
「この国はもうダメかもしれない」
空を見あげたまま、つぶやくように吐き捨てたジェラルドの言葉に、耳を疑った。
「サイ国に負けるのですか?」
「それはない。オレは必ず勝つよ」
騎士としての顔になると、目元のやさしさがすっと消えてしまう。明るい空色の瞳が、鋭く凍る氷柱のようにつめたい。
ゾッとするような青い目をしている。
それでも、エトワールはジェラルドをきれいだと思ってしまう。
強張った顔のエトワールに、ようやく気が付いたジェラルドは、口元に笑みを浮かべた。
「ごめん、こんな話をしに来たわけじゃないんだ。ただ、エトワールに聞いてほしかった」
他国から奪った金、銀、財宝に目がくらむ貴族。
使い捨てにされる傭兵たち。
こんな国をつくるために戦っているのではない。と、ジェラルドはいった。
「医術師証明書を破り捨てたエトワールなら、わかってくれそうな気がしたんだ。この国はおかしい」
その言葉は、この国につよい不満をもつ心を見透かされたようで、エトワールをヒヤリとさせた。
国王の名がはいった書類を破るのも、国に不満を抱くのも反逆罪。
貴族がその気になれば、簡単に牢獄行き。
そしてジェラルドは、王国の騎士。おかしな形だけど、エトワールの愛国心を試そうとしているのかと、すこし警戒をした。
しかし、不意にリペックと女中の会話が頭をよぎる。
「あっ……」
女中は「ジェラルドさまが、重傷兵を地下室に運んでました」といっていた。
戦地から負傷兵を運んだのは、ジェラルドの小隊。すべての負傷兵が、傷によく効くヨモの草で応急処置されていた。そのおかげで、彼らを救えるとエトワールは思っていた。おそらく、ジェラルドも。
「覚えている? 地下室にいた人たち。こんなオレでも救える命があると思ったのに……。オレが弱くて、守れなかった」
ジェラルドのくやしくてたまらないという顔つきは、エトワールが憧れよりも、現実の厳しさを知ったときと似ていた。
救えなかった命の重さが、いまも心から離れない。
まったく知らないところで、同じ想いを抱いた人がいた。それがとても不思議で、なにかとても深い結びつきを心の奥底で感じる。
「今回の任務が終わったら、オレは騎士をやめる。だから、一緒にいてくれないか?」
「騎士をやめる?」
「騎士王が約束をした。重要拠点を落としたら、恩賞でオレの願いをひとつだけ叶えてくれるって」
ようやくジェラルドに、やさしい笑みが戻った。
「エトワールの答えは?」
「答えもなにも、身分が……。わたしはカルデニアたちと穏やかに過ごしたいの」
「……オレのこと、そんなにキライ?」
捨てられた子犬のようにしゅんとするから、エトワールは困った。
明日、命を落としてしまうかもしれないジェラルドに、やさしい言葉ひとつかけられない。
つよく惹かれるものがあっても、やはり身分という壁は高い。
「キライもなにも、わたしはあなたのことをよく知らないし……」
「知らなくていい。地下室に響いた歌声を聞いてから、オレはずっとエトワールをみてた。白いひかりを浴びた濡羽色の髪がきれいで、その目が好きだ。どこまでも真っ直ぐで、力強い。とても魅力がある」
「なっ……」
ジェラルドの言葉に、身体がカッと燃えるような、恥ずかしさが湧きあがると、耳たぶまで熱くなった。
あまりにも心臓がうるさく鳴るので、エトワールは胸をおさえてうつむく。カルデニアが「貴族は町の人をたぶらかして、ボロ雑巾のように捨てる」といっていたけど、ふわふわとした気分になっていた。
「オレは、騎士王のようにつよくなりたかったが、違う道を歩みたくなった。フェザードのように、なりたくないんだ。この国に違和感をもつエトワールが一緒にいてくれたら、きっとオレは間違わない。だから――」
いつの間にかつよく手を握られ、前髪がぶつかりそうなほど、顔が近い。
あまりにも真剣な眼差しがちょっと怖くて、エトワールはハッと我にかえる。
「は、離してください」
「あ、ごめん」
あわてて手を離したジェラルドは、エトワールに背をむけ、はぁっと深いため息をついた。
「こんなにてこずるとは思わなかったな。かなりショックだ。どうすればオレのことを好きになってくれるの?」
「え?」
「あー、もうッ。オレ、明日、死ぬかもしれないのにィィ」
とうとう頭をかかえて、しゃがみ込んでしまった。
「これでも小隊長として、人望がある方だし、容姿だってそんなに悪くないと思っていた。でも、エトワールにはもう心に決めた人がいるんだな。それなら、そうといってくれればいいのに……」
人差し指で砂浜に穴を開けだした。
背中を丸めていじけている姿に、エトワールは目をパチパチさせて、驚く。
身体の隅々にまとっていた高貴なオーラはどこにもなく、目の前のジェラルドは普通の青年だった。いや、それどころか、二十歳を過ぎているのに、駄々をこねていじける、幼い子供そのものにもみえた。
また深いため息の音が聞こえると、ジェラルドはすくッと立ちあがる。
「今日はもう遅いから、送るよ。あとは、戻ってから考える。……まさか、もう会ってもくれない?」
あまりにも悲愴な顔をするので、エトワールはとうとう笑い出してしまった。
「待ってます」
今度はエトワールが、ジェラルドの温かくて大きな手を握る。
「だから、どうかご無事で。またお話してください」
「いいの? 心に決めた人は?」
「そんな人、まだいませんよ」
クスクス笑うと、ジェラルドはとてもうれしそうな顔をした。
そのときの笑顔がとても子供っぽくて、エトワールの警戒心を解き、心を動かした。




