第7話 挫折と希望② 「ジェラルド」
エトワールがラスティの家に戻ったのは、東の空がぼうっと明るくなり、朝の清々しい潮風が、よどんだ空気を爽やかにかえているころだった。
「……ただいま」
「おかえり。温かいスープがあるよ。飲む?」
カルデニアが起きていた。
泣き腫らした顔でうなずくと、カルデニアはエトワールをやさしく抱きしめて、いつものように頭をなでた。
「なにがあったのか知らないけど、これ」
カルデニアが差し出したのは、やぶり捨てたはずの資格証明書。おかしなことに、やぶったあとはなく、キレイなままだった。不思議に思ったが、エトワールは医術師の夢をあきらめたことと、かえりが遅くなったことを、頭をさげて謝った。
「応援してくれたのに、ごめんなさい。わたし、この国のことをなにも知らなかった」
ペリックの屋敷にいた負傷兵は、女中に手あつく看護してもらえる騎士と、地下室に押し込められた傭兵。
この国には差別や偏見がまかり通っているけど、命の選別まであるとは思いもよらなかった。
医術師は命を救うだけではない。ときには見捨てることも。そんなことを考えだすと、命をあつかうことが怖くなった。
「十六歳になって浮かれていたけど、まだまだ……だった」
「医術師の資格はあるんだから、これからエトワールらしい道を見つければいいよ。アタシはいつでも応援するから、元気出して」
「ありがとう。カルデニア」
胸のうちを聞いてもらい、温かいスープで心もお腹も満たされると、急激な眠気におそわれた。
徹夜でエトワールのかえりを待っていたカルデニアも、眠たさに目をこすると、ふたりでおなじ布団にもぐり込み、眠った。
カルデニアの温もりと鼓動が、命の不思議さと、理不尽さを思い出させたが、ギュッと抱きしめられると、エトワールの心は落ち着き、深い眠りにおちた。
いつも太陽が高くあがると、大声でふたりを起こすフレムだったが、その日は目が覚めるまで、そっとしてくれた。
本当にみんなやさしくて、心地良い居場所を与えてくれる。このままずっとラスティの家にいれば良いはずだけど、エトワールはやはり家を出た。
なつかしい森をゆっくりと歩いて、再びアニスたちと暮らした小屋に引っ越した。それからラメルが集まる酒場で働きはじめる。店主の許可を取って、病気やケガの相談を受けたり、薬が欲しい人に売ったりしていた。
しかし、いつの間にか傭兵の数が増して、よくトラブルを起こす。
治安が悪くなるにつれて、貴族への不満を耳にするようになった。
国がじわじわと傾くような、不穏な空気をだれもが感じていたが、みてみぬふりをする。
そして、エトワールはジェラルドと出会った。
安い酒の匂いと、汗臭い、男たちのムワッとした匂いがこもる酒場で、傭兵に絡まれたとき、彼はあらわれた。
サラサラと流れるような金色の髪と、煌めく宝石のような、空色の瞳。
エトワールは、はじめて男の人をキレイだと思った。
不埒者には容赦なく、鋭い目で剣を抜いたけど、エトワールを見つめる眼差しはやわからい、不思議な人。そして、死神の黒を濡羽色の美しい髪だとほめ、頬をなでながら、「どうか、オレの妻に」といった。
もちろん、その場で断った。
その日の出来事をカルデニアに話すと、カルデニアは激怒して、エトワールの肩をつよく握る。
「だまされちゃダメよ。金色の髪は貴族だ。貴族は町の人をたぶらかして、ボロ雑巾のように捨てるのよッ!」
「でも、そんなに悪い人にはみえなかったよ」
「ダメ、ダメッ。しっかりして、エトワール。ジェラルド・シエル・ファビウスっていえば、軍事強化ばかりを進めるフェザードの息子よ。危険人物に違いないッ」
力強く説得するカルデニアの話を、そばで聞いていたラスティは、笑い出した。
「最近のジェラルドはむしろ、フェザードの反発している骨のあるヤツだ。エトワールの破った証明書を家に届けたのも、ジェラルドだぞ」
「え?」
「今度あったら、礼のひとつやふたつしてやってもいいと思うぞ」
「な、なにいってるの。エトワールが誘拐されたら、どうするの」
「落ち着けカルデニア。ジェラルドは――」
「落ち着いていられるかッ! ちょっといってくる」
「いくって、どこに? おいッ、カルデニアー」
放たれた矢のように飛び出したカルデニアの姿は、あっという間にみえなくなった。
「ったく、エトワールのこととなると、すぐ頭に血がのぼりやがって。でもまあ、あのジェラルドがプロポーズとは。親子そろって……だな」
くくっと笑っているけど、エトワールにはよくわからなかった。
威張り散らす傭兵も、戦いが好きな王国軍も好きじゃない。ジェラルドが身分の高い貴族なら、もう二度と会うことはない。むしろそう考えて安心していた。
ところが、次の日もまたジェラルドは店にいた。
その次の日も。
エトワールの姿を見つけると、人懐っこくにっこりと笑い、カルデニアとよく口喧嘩をする。
仕事が終わると、すこし話がしたいといわれるが、いつも断っていた。
ジェラルドの空色の瞳があまりにもキレイで、そばにいると、ずっとみていたいような気持ちになる。それが怖かった。
「エトワール、すこし話がしたい」
今日もまた、おなじ言葉をかけられる。すると、カルデニアがエトワールの肩からピョンと顔を出した。
「残念でした。エトワールはアタシと一緒にかえるんだから」
いつもなら、ここでため息をついてあきらめる。だが、その日のジェラルドはかえろうとしない。
「オレ、明日からサイ国領の要を攻略しにいく。だから、話しがしたい」
サイ国はエルネストよりも先に軍を強化して、国土をグングンひろげている。
もとから仲の良い国ではなかったが、エルネストの海域にも進行してきたサイ国を、フェザードは許さない。
敵対する巨大な軍事国家を潰し、エルネストが神に守られし国だと全世界に証明する。そのための戦いがはじまろうとしていた。
激しい戦いになることは、カルデニアにだってわかる。
エトワールも戸惑ったけど、捨てられた子犬が心細そうにしているような、そんな悲しい瞳をむけられると、もう断れなかった。
「カルデニア、先にかえってて」
「でも……。エトワール、危ないよ」
「いい加減にオレを信じてくれ。話をするだけだッ!」
キッとカルデニアを睨みつけて、ジェラルドはエトワールの手を取った。
「なんなんだ、あの赤髪の娘は」
愚痴をこぼしつつ、強引に店の外へ連れ出した。




