第2話 波瀾のスタート① 「カルデニアってなに?」
神さまって案外ちかくにいて、ちょちょいのちょいッと、不可能を可能にかえているのかもしれない。
玄関のドアを開けると、早朝なのに陽射しがすこし暖かく感じる。ぼたぼたと落ちてくる水っぽい雪が、身も心も凍りつかせた入試のときとは違い、今日は空気も軽い。
「いってきまぁーす」
雲ひとつない澄みきった青空が、わたしの門出を祝ってくれている。
さまざまなことに心がみだれて、入学試験の出来はひどかった。それなのに、こうしてあこがれの制服を着ているのがなんだか不思議で、どこかむずがゆい。
合格発表の日は、足が鉛のように重くなり、番号が張り出された掲示板をみるのが怖かった。
きっと、泣きそうな顔をしていたと思う。
でも、わたしの番号があった。
一生懸命がんばってきたことの成果が、志望校合格という形になり、あのときの喜びは、忘れられない。
胸を張って、城南高校の生徒になったわたし。なにもかもが色鮮やかにみえて、とろけるような幸福感につつまれる。
「江藤さん、おっはよー」
ふたつ結のおさげ姿の女の子が、わたしの名前を呼びながら、ポンと肩に手をのせた。ほのかに潮風を感じて、顔がほころぶ。
「羽野さん、おはよう」
羽野さんは、バスの中でおもいっきり肩をたたいてしまった女の子。でも、この大失敗のおかげで、仲良くなれた。
しかも、不思議な夢の中だと、羽野さんはわたしのお母さん、アニス。
ちょっと複雑な気がするけど、ありのままの自分で接することができる。
「そうだ。わたしのことは蓮夏って呼んで。中学のときもそう呼ばれてたから」
「じゃあ、私のことは真鈴って呼んでね」
ファーストネームで呼びあうなんて、グッと距離が縮まった友だち同士のようで、お互い照れながらも笑顔になった。
小学生から中学生になるときと違い、城南高校には知っている人がひとりもいないから、真鈴に出会うまでとても不安だった。
ひとりでも仲良くできる人がいるのは心強い。
そしてもうひとり、知っている人がいるはずだけど……、どこにもいない。
夢の中で、わたしの大親友だったカルデニア。
男になってたけど、懐かしい潮の香りと、ちょっぴり目立つ赤い髪。
あの人はカルデニアに間違いない。そう思って、合格発表の日も教科書販売の日も、ずっとその姿をさがしたけど、会えなかった。
不合格になったのかな……。
普通科と教養学科のふたつがある城南高校。
あの日は、偏差値の高い教養学科の入学試験だったから、倍率も高く、半分近くの生徒が不合格になっている。
わたしは運よく合格できたけど、これだけさがしてもみつからないとなると……。
カサを借りたままだし、名前を聞いておけばよかった。
軽くため息をつくと、真鈴が眉間にシワを寄せて、うつむいたわたしの顔を覗き込んだ。
「蓮夏ちゃん、どうしたの? ため息なんかついちゃって」
「あっ、えっとぉ……。ほら、アレよ、アレ」
カルデニアがいないから、ガッカリしてます。なんて言えるはずもなく、わたしはうろたえながら、なんとかごまかそうとしたけど、言葉が思いつかない。
すがるような目で真鈴をみると、人差し指と親指でアゴを挟み、「うーん」と、うなっている。そして、パッと目を輝かせた。
「わかった。アレって、新しいクラスのことだよね」
「そ、それッ! それよ。真鈴と同じクラスならうれしいけど、さすがにそこまでうまくはいかないよねぇ」
うまくごまかせて、わたしはホッとした。でも、正解を言い当てたと思っている真鈴は、得意げな顔をして、ピンッと人差し指で軽くわたしのオデコをはじいた。
「大丈夫だよ。私は蓮夏ちゃんと同じクラスになると思ってるよ」
「どうして?」
「だって、私たちは普通科じゃなくて、教養学科だから、二クラスしかないもん。二分の一の確率なら、当たりそうじゃない?」
ピースサインをして笑う真鈴。
その明るい笑顔をみていると、本当に同じクラスになれる気がした。
そう、神さまは意外とちかくにいて、やさしい……はず。
「よしッ! はやく見にいこう」
真鈴の肩をおすようにして走った。
新品の匂いがする制服を着た生徒たちをかきわけ、ズラリと名前がならぶ掲示板のどまんなかに立つ。
そして、わたしたちは、華やかに顔をほころばせる。
真鈴の予想どおり、一緒のクラスになれた。
高校生活はじめの第一歩は、出来すぎなぐらい順調なスタート。
どこをさがしても、カルデニアはいないけど……。
「一年五組、いちご組だね」
真鈴に話しかけながら教室の扉を開けたのに、ドンッとなにかに、おもいっきりぶつかった。
「ぃ、いったぁ……」
「蓮夏ちゃん、大丈夫?」
ジンジン痛む鼻を押さえて、下をむき、涙が出そうな目をギュッとつぶる。
「あ、わりぃ。……なんだ、オマエか」
ちょっと面倒くさそうにしゃべる、低く落ち着いた声が耳にはいると、わたしの心臓がドキンッとはねた。
入学試験の前に、すこしだけ一緒に歩いた程度でも、わたしはこの声をおぼえている。
バッと勢いよく顔をあげて、叫んだ。
「カ、カルデニアッ!!」
騒がしかった教室が、しんっと静まりかえった。
しまったッ! と思ったけど、クラスメイトの視線がわたしの身体をつらぬき、赤毛の男子生徒が、目を丸くしている。
「……は? オレ、一条新太だけど?」
「あ……、えっとォ……。ごめんなさいッ!!」
ブンブンと何度も頭をさげてから、自分の席に逃げた。
恥ずかしくて顔が、耳が、とにかく熱い。冷たい机にぐでっと頬をのせ、顔を伏せた。でも、ざわざわと、いや、ヒソヒソと話す声がする。突然、叫び出したわたしを、異様な眼差しでみているに違いない。
額からヘンな汗をにじませ、泣きそうになっていると、誰かが頭をチョン、チョンと、突いた。
「な、なに?」
顔をあげると真鈴がいる。
「カルデニアってなに?」
身を乗り出して、好奇心の塊のような双眸でジッとわたしをみる真鈴。
チラッと、一条新太と名乗った男子生徒をみる。
間違いなく、カサを貸してくれた人で、カルデニア。
「……バカにしたり、呆れたり、笑ったりしない?」
か細い声で、おそるおそるたずねると、真鈴は口角をあげてニッと笑う。
わたしは「はぁー」っと大きなため息をつき、心を決めた。
真鈴の耳元で、幼い頃からみている不思議な夢のことを話しはじめると、どこからか潮の香りがした。
すこし席が離れていたけど、一条君が……、いや、カルデニアがわたしの話を聞いているような……、そんな気がした。