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星の声 空の想い  作者: 江田 吏来
第2章 エルネストの悲劇
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第6話 別れとはじまり① 「おにいちゃん」

 リララックの家の前で立ち止まってしまった。

 ここまで休まず走って来たものの、ラスティはどんな顔をしてアニスに会えばいいのか、わからない。

 アニスの容態が悪くなったのは、フォンセを守れなかったから。罪悪感が胸の中にひろがると、目の前の扉を開けることができなくなった。しかし、家の中からバタバタと走る音が聞こえ、木の扉が開く。

「らすてぃー」

 扉から元気に飛び出したのは、クセのある赤い髪のカルデニアだった。両手をひろげてピョン、ピョンと跳ねるから、ヒョイと持ちあげ、肩にのせた。すると、カルデニアはキャッ、キャッと笑い、エトワールが「ずるい!」といって、ラスティの足もとにまとわりつく。

「おいおい、危ないぞ」

 カルデニアをおろし、今度はエトワールを肩にのせると、懐かしい声が耳に届いた。

「やっぱり、あの大きな足音はラスティだったのね。うるさすぎて、ここにいてもわかったわ。エト、これからラスティと海にいくの。カルデニアと、お留守番しててくれる?」

 エトワールはキョトンとした顔で、大きくうなずくと、ラスティの肩からするするとおりた。

「えらいわね。エト」

 ふわふわの布団から白く細い手を伸ばすと、エトワールがアニスの腕の中にポンと飛び込んだ。

「忘れないで、エト。私も、フォンセも、あなたのことが大好きよ」

 頭をなで、やさしく頬にキスをすると、エトワールは幸福にみちた顔で、にっこりと笑った。そして、するりとアニスの腕の中から抜け出し、カルデニアのもとへ走っていった。

 カルデニアにも頭をなでられて、子犬のようにはしゃぐエトワール。アニスはエトワールの姿を目に焼きつけるかのように、じっとみていた。

 どんな宝石よりも高貴に輝く金色の瞳が、力なく曇っている。

 ラスティは、生命力というものを感じられないアニスに心を痛めながらも、いつも通り話しかけた。

「そんな身体で、大丈夫か? エトワールのそばにいたほうが、いいんじゃないか?」

「大丈夫。約束があるの。岬へ、連れていって」 

 アニスのいつものわがままに、深いため息をつく。そして、漁で鍛えられた太い腕でアニスを抱きかかえると、そのまま海へとむかった。

 神の国の入り口といわれる聖なる岬は、緑に透きとおった海の上に突き出し、すこし振りかえると海岸線がよくみえた。

 ぐっと弓なりに曲がった白い砂浜にそって、どこまでも続く港町も一望できる。

 潮の香りをふくんだ重い風が、ねっとりとまとわりつくように流れたが、アニスの顔は穏やかだった。

「フォンセは私の願いを、なんでも叶えてくれたわ。でも、一番私のわがままを聞いてくれたのは、ラスティだったわね。ありがとう」

「なにいってるんだ、アニスらしくない」

「これをフレムにかえして」

「これは……」

 アニスから受け取ったのは、フレムにあげたはずの願い石。

「長く生きれるように願えば、エルネロスさまが叶えてくれるって、フレムがいっていたのに、ダメね、私。……ずっとフォンセに会うことだけを願ったわ」

 弱々しく微笑むと、アニスはひどくせき込んだ。唇からブドウ酒のような血がしたたると、細い身体を包む毛織物を赤く染めた。

 このままでは危険だと判断したラスティは、家に戻ろうとしたが、アニスは拒む。

「今日、エルネロスさまが願いを叶えてくれるの。だから、お願い。このままで」

 ラスティにしがみつくアニスの手に、もう力はない。これが最期と覚悟するしかなかった。

 ラスティのやさしさを受け取ったアニスは、金色の目を細める。

「大人になれないはずが、お母さんにまでなれたのよ。ほんと、すごいわ。夢をみてるみたい。……でもね、今度は、私、エトワールとお友達になりたいの。カルデニアと一緒におままごとしたり、おやつを食べたり」

「なんだ、ままごとって。ずいぶん幼稚なことをいうな」

「だって、私、同じ年の子供と遊んだことがないのよ。ずっと部屋に閉じこもって……。あ、でも、ラメルの人たちはみんなやさしかった。あなたは口が悪かったけどね」

 かすかにほほ笑むけど、呼吸が荒くなる。もう息をするのもつらいはずなのに、苦しそうに顔を歪めても、アニスは話すのをやめない。

「今日はね、ここでフォンセと会う約束をしたの」

 陽のひかりがすこし西へと傾き、やさしいオレンジ色の空に、アニスは手を伸ばす。そこには岬に激しくぶつかる波の音と、海鳥の鳴き声しかない。それでもアニスは話しかける。

 慈愛のこもった眼差しで、うっとりしながら唇を震わせ、フォンセを呼ぶ。

「やっと……会えた。……会いたかったわ、フォン……セ」

 金色の瞳から大粒の涙がこぼれると、ケホ、ケホとまた激しくせき込んだ。

「大丈夫か、アニス」

 声をかけても、金色の瞳にラスティはうつっていない。華奢な身体で、ずっと手を伸ばす。その痛々しいほど白く細い腕に目をそらした。

 はじめて出会ったのは、ラスティがフレムと結婚した一七歳のころ。アニスはまだ十歳だった。

 疎まれて育ったアニスはまるで人形のように、表情ひとつかえることがない。ずっと小さな窓から海をみていた。

 この子を笑わせてみたい。

 もともと明るい性格のラスティは、なんとかしてアニスを笑わせてみようと、肩車をしてよく港町を歩いた。はじめは強張った顔をしていたアニスだったが、いつの間にか、鈴の音のようなかわいい声で笑ってくれた。

 今度はすこし怒らせてみたい。

 世話になっているという遠慮からか、アニスはいつもだれかに気を使っていた。そんな堅苦しいことから解放してやりたくて、ラスティはわざとアニスを怒らせた。それからのアニスは、よく笑い、泣き、怒る。普通の女の子とかわらない、キラキラとした感情をみせるようになった。

 そんなときに、フォンセがあらわれた。

 死神の色と呼ばれる黒い髪と瞳。子供のような顔つきだが、目をそらしてしまうほどの傷や手術にも、顔色ひとつかえずに淡々とこなす。度胸があるヤツかと思えば、海を怖がり、酒に弱い。でも、アニスを一番幸せにした。

 エルネストの神のように、海からきて海に消えたフォンセ。ラスティは顔をあげ、アニスが見つめる海に目をむける。

 そこにはだれもいないけど、アニスが手を伸ばすなら、フォンセが立っているような気がした。 

「アニス、フォンセ。エトワールのことは心配するな。今度こそ、俺が必ず守ってやる」

 下をむくと泣き出しそうだったから、海にむかって誓いを立てた。すると、アニスの白く細い指が、ラスティの頬をなでる。

「ありがとう……、おにいちゃん」

 それはパッと花が咲いたような、アニスの明るい笑顔。

 いつも見せてくれた、ラスティを頼りにする、大好きな――。

「アニス?」

 伸ばした手がパタリと落ちて、もう動かなかった。

 それでも、アニスは笑っている。

 ラスティの手にグッと力が入った。

 アニスはいつもキラキラと輝いていた。でも、小さくて細くて、力を入れると簡単に壊れてしまうガラス細工のような身体。だから、一度も抱きしめることができなかった。でもいまは、どんなにつよく抱きしめてもアニスはもう痛がることもない。

 激しく打ち付ける波の音にまぎれて、ラスティの慟哭が響いた。


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