第1話 黒い髪のアシェ人② 「神の子? アニス」
浜辺からすこし急な坂をのぼると、港町が広がっている。
白亜の壁がたち並ぶ四角い家々は、どれもおなじ形にみえたが、町でただひとりの医術師、リララックの家だけは違った。
手垢で黒ずんだ木の扉には似合わない、黄金色の呼び鈴がひと際大きく、目立つようにかけられている。これは医術師協会から授かる、とても大切な呼び鈴。
アシェ人の男を背負うラスティは、輝く呼び鈴には目もくれず、白亜の壁にはりつく木のドアをおもいっきり蹴り開けた。
「ばあさん、急患だッ」
扉は大きな音をたてて勢いよく開いたが、白髪で腰のまがったリララックの姿はない。かわりに、丸い木のイスにすわって朝食のパンをくわえた、金色の長い髪の娘が、金色の目を丸々とさせて、ラスティをみているだけだった。
「なんだ、アニスしかいないのか。今日は、ずいぶんと早起きだな」
「あいかわらず乱暴な人ね。呼び鈴の使い方もわからないの? リララックなら、昨日から王都へいって留守よ。急患って……。黒い髪? めずらしいわね」
温かい湯気がたつミルクをコクッと飲んで、アニスは立ちあがった。
はじめてみる黒髪のアシェ人に、アニスの金色の双眸が好奇心でいっぱいになる。
ラスティは部屋を見渡し、草わらの上に白いシーツをかぶせたベッドをみつけると、アニスを押しのけた。
「浜辺に倒れていたんだ。そこのベッドを借りるぞ」
アシェ人の男をベッドに放り投げると、眉間にシワを寄せて苦しそうな声を出すので、アニスは慌てた。
「ラスティ、そんな乱暴にしちゃダメよ。ちょっとみせて」
「みせてって、子供に診察ができるのか?」
「失礼ね。これでもリララックの手伝いをしているのよ。それに、あと半年で一六歳になるのよ。もう子供じゃないわ」
金色の長い髪をひとつに束ねながら睨みつけたが、ラスティは赤い髪をかきながら、からかうように笑う。
「俺よりも七つも年下じゃないか。まだまだ子供だよ」
「……そうよね。私は、大人になれないんだった」
「あっ、いや。そういう意味じゃなくて。……すまん、アニス」
気まずい空気が流れた。
アシェ人の手足を持ちあげ、骨折などのケガがないか、やさしく丁寧に調べるアニスの腕は、枯れた細枝のようで、いまにも折れそうだった。
日焼けをしていない肌も、透き通るほど白くて、澄んでいる。
背もたれのない丸イスにドガッとすわったラスティは、太い腕を組み、ふぅっと鼻で息をした。
穏やかだが陽のひかりと、海の輝きが肌を焼く港町で暮らしていても、白さを失わない金色の髪と瞳をもつアニス。一部の貴族からは、神の子と呼ばれている。
そして神の子は、一六歳の誕生日に海へ帰る。
エルネロスが最初にあらわれた神聖な岬から海に飛び込み、エルネストの現状を神に伝え、国民の願いを叶えてもらうという使命を背負わされていた。
しかし、それは建前。
アニスは病弱で、幼い頃から寝込むことが多く、大人になれないといわれていた。
病は穢れという考えから、いくら神とおなじ金色の髪と瞳をもつ子共でも、立派な屋敷から追い出され、リララック医術師のもとに身を寄せている。
ところが、神とおなじ色をもつすぐれた人間が、港町でみじめに死んでいくのは威厳にかかわると、貴族のひとりが言い出す。
その声は小さなものだったが、やがて大きく広がる。いつの間にかアニスは病という穢れを抱える者ではなく、神の子として敬われるべき存在になった。
そして、その身を海に投げ入れろ……と。
「この人、熱があるわ。ラスティ、部屋を暖めて。私は神さまにお祈りをするわ」
「神頼みってわけか?」
「そうよ。この人が生きる価値のある人間なら、神さまが助けてくれるはずよ」
「アニス、俺は生贄を差し出さないと話を聞いてくれない、そんな神を信じちゃいない。祈りよりも、温かい食べ物を作ってくれ」
「生贄? ひどい言い方をするのね。ラメルの民が祈りをささげて、エルネロスを呼んだのよ? 族長なのに、その恩恵を忘れたの?」
怒りのこもった甲高い声が、部屋に響いた。
小さな手を握りしめて、肩を震わすアニスにラスティはつめたい。
「そんな何百年も昔の話をされても、俺には関係ない」
ぶっきら棒に答えてそっぽをむき、アシェ人の男の服を脱がせる。
アニスはパッと頬を赤らめて、となりの部屋に消えた。
「……信じられるわけないだろ。アニス、おまえは殺されるんだぞ」
絞り出すような声でつぶやきながら、アシェ人のぬれた身体を拭くと、男の目がゆっくりと開く。
「お、気が付いたか。俺はラスティ、ラメル族の……って、おまえ、俺の言葉がわかるか?」
アシェ人の男は大きくうなずくと、真っ黒な双眸を右へ左へとせわしなく動かした。そして起きあがろうとしたが、また目をつぶり、ベッドにふせる。
「熱があるそうだ。ここは安全な場所だから、いまは大人しく寝てろ。えっと、あんたの名は?」
「僕は……フォンセ、ここは?」
「ここはエルネストだ。まあ詳しいことはあとだ。ゆっくり休め」
布団をかけなおしたが、フォンセの腹がぐぅぅっとなる。気が付けば、アニスが消えたとなりの部屋から、胃を刺激するうまそうな匂いが迷い込んでいた。
「休めといっても、腹がへったか。アニスッ、着替えは終わった。入ってきていいぞ」
「いいぞって、なに、その言い方は。ここは、私とリララックが暮らす場所よ。ほんっと、図々しくて、デリカシーのかけらもない人ね」
イライラした様子で部屋に入ってきたが、アニスの手には小さなお盆が。いつも小言や文句をいいながらも、しっかりといいつけを守るアニスの姿に、ラスティの口元がゆるんだ。
しかし、フォンセは蒼ざめている。
「僕は……死んだのか?」
「は?」
「楽園の絵に出てくる、天の使いがいる」
おそるおそるフォンセは、アニスを指差した。
「楽園の絵って……。まあ、あなた、神々の絵をご存じなの? そうよ、私はアニス。神の子なの」
ふふんっと鼻をならして、アニスは仔猫のような笑みを浮かべた。




