第五話 過去
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スフィアの生まれはアルディス大陸から西に存在するクロノ・フォード大陸の水都エスワードの生まれである。エスワードは水に恵まれ、水産資源はここから各大陸が輸入している。名産は『水』でできた水晶である。エスワード周辺の『スティール魔鉱』からとれる『浄化ノ魔水晶』というものから作られているそうだ。この水晶はこのままだと濁った紫の色が混ざっているので、中に入っている『魔力』を取り除くことで、純粋な『浄化水』、言い方を変えると『聖水』となる。白くひかった『浄化ノ水晶』は他国もに気があり、価値が非常に高いものといえる。
そんなスフィアの家はアルテミス公爵家の娘で、エスワードの中でも最上級クラスの公爵家であった。そんなスフィアの祖父、ルディス・アルテミスは学者でもあった。
「スフィアよ、こっちおいで」
「お爺様、今日はどんなお話を聞かせてくれるの?」
スフィアは毎日のようにルディスの話を聞いていた。昔のお話や、星のこと、なんでもルディスは知っていていた。ある時は絵本を読み聞かせてくれたり、ある時は一緒に散歩に出かけたりしていた。スフィアの父と母は各国の軍法会議などに参加しているので夕方から晩にかけてまで帰っては来ない。それでは可哀想だとルディスは自分の研究部屋で預かっている、ということになる。
「そうだね・・・今日は私の施設を見せてあげよう」
「ホントに!やったー!」
このときスフィアは12歳。まだまだ活気があり、元気な年ごろだ。
「外に行こうか。散歩がてら見に行くとしよう」
「はーい!」
スフィアは元気よく返事をして支度を始めた。
ルディスが向かう先は、最先端事業『テクス・リジャーノ』という会社だ。
新たな発見やその発見の採掘など、さまざまに展開している大企業である。ルディスはその社長でもあるのだ。
ルディスは車でスフィアと一緒に会社に向かう。その途中に見えるのは、きれいな湖や観光名所ともなっている「グロレスティア滝』の一望を堪能しながら向かった。
***
「ほーら、ついたぞ」
「うわあ、おおきいね!」
高さ50mほどの高層ビル。テクス・リジャーノの入り口前。
「社長、おいでになっていたのですか」
「おお、シュディ君か。お疲れ様だ」
声をかけてきたのはヒョロっとした細身ある男性。しかし何気に髪型が赤いのは心に熱い思いがあるのだろうか。
「こんにちは、お嬢ちゃん」
「こ、こんにちは・・・」
スフィアはこの時少し人見知りなところがあった。ルディスの後ろに隠れてじーっと見ていた。
「こらこら、シュディ君に失礼じゃろ」
「いいんですよ、社長。僕もあまりいい印象はないですし」
控えめなシュディという男は、コホンと咳ばらいをし、改めて話を始める。
「社長。この前の話は本当なんですか、僕がこの会社の社長代理なんて」
「ははは。そう緊張するんでない。私がない時だけで構わんから」
この会話にスフィアはあまりついてこれてはいなかったが、なんとなくこれは大切な話なんだとスフィアは察した。
「しかし・・・長年働かせては頂いてますが、いきなり社長やれなんて・・・ぶっ飛んでますよ」
「おまえもこの子と同じくらいの子がいるんだろう。せめて子供と長くいられるようにしなさい。・・・ほかの会社員だってそうだぞ。家族が待っている家なんて何万人もウチにはいる。忙しくない時くらい早く返してやりなさいな」
「社長・・・」
ルディスはとても温厚な方で、『人』を大切にする世に中々存在しない人材である。
前社長もそこに気に入れられただろう。
そして温厚なだけでない。もともとこのテクス・リジャーノ自体が不景気で倒産寸前だったところをたった一人で立て直すという偉業を果たしている。
「それに、私もそろそろ年だ。新たな世代に交代するべきなんだろうと思っておぬしなら託せる、と思って言うてみた次第じゃよ」
「ありがたいお言葉、痛み入ります」
するとルディスはあることに気付いた。それはスフィアがすごく退屈そうにしている事だ。
これはいかん、と言いまいにルディスはスフィアに話しかけた。
「スフィア、すまないね。さあ、中に入ろうか」
「うん」
返事の反応が薄かった。ルディスは機嫌を損ねてしまったのではないかと、アワアワとしている。
「ああ・・・どうしよう、どうしよう、どうしよう」
「社長・・・落ち着いてください」
シュディは慌てるルディスを落ち着かせようとする。
「お爺様、私は大丈夫です。大事なお話しだったのでしょう?気にしないで」
「ああ・・・スフィア、ありがとう」
ルディスは「スフィアはこんなに立派に育ってくれて本当に・・・」とボソッと言いながら目から大量の涙を流す。それはまさにグロレスティア滝のようだった。
「さあ、中は私が説明しながらご案内するね、スフィアちゃん」
「よ、宜しくお願いします・・・」
シュディはスフィアの行動を見て、あまりよく思われてないなと思った。その場からまたルディスの後ろに隠れたのである。
ははは、とは言いながらも「はぁ・・」と残念な溜息をつく。
***
「まずはここからだね、研究室」
「わあ・・・」
広がるは、本だけの空間。ものは研究道具も置いているが、あとはすべて本で埋め尽くされている。本の資料は難しい文字ばかりでスフィアには解らなかった。
「・・・これは?」
スフィアが近くで本を取ったのは、分厚い本。絵に描かれていたのは魔王らしき怪物の絵と一人の人間が剣をかざしているものであった。
「ああ、『紅い悪魔と聖王伝説』か。懐かしいのう、よく読んでおったわ」
「おもしろいの?」
シュディはその話になると途端に二人から視線をそらした。ルディスは彼の事情を唯一知っており、察したようにこうスフィアに言った。
「おとぎ話じゃよ。聖王様が紅い悪魔を倒すお話じゃ」
「へぇー。でも・・・」
スフィアはこの頃からも勘が良かったため、シュディに大打撃を喰らわせる。
「この紅い悪魔って人間だったんじゃないの?」
「!」
分厚い本をスフィアはパラパラと読む。彼女は本が好きであるが故に、早く済ませるときはページをパラパラと開いていき、高速で読み解く。彼女の『分析』という能力である。
「このお話、なんかつまらない」
「えぇ・・・」
ルディスはこれ以上スフィアに勘つかれてはシュディの精神が保てないと思い、別の場所へ移動することをシュディに提案する。
「・・・そうですね、移動しましょうか」
「スフィア、移動するぞい。次はご飯を食べよう」
「はーい」
ルディスはシュディに近寄り、ささやく。
「大丈夫か、シュディ君よ」
「社長・・・ありがとうございます、心配してくださり」
「いいってもんよ、君も大変なもんだ。名前が名前だしのう、シュディ・シューベルト君」
シュディも母セリア・シューベルトと結婚して、シューベルトのを名を持つという地獄を、この時すでに知っていた。『紅い悪魔』など呼ばれ、面接は名前を名乗っただけで即座に退室、不採用というものであった。
彷徨っていたところでルディスと出会い、この会社に入社したということだ。
「妻は本当に自分のことを心配してくれていました。この名前は中途半端では背負っていけないから、って。私もそのくらいの覚悟はあったんですが・・・いざそうなると竦んでしますんですよね・・・」
「ははは、君の性格上ってやつだな」
スフィアと共に研究室を後にし、食堂へと向かう。
「私ハンバーグが食べたい」
「ああ、そうしよう」
にこにこ顔な二人をみてシュディは何かを思い出している。
「シュディ君」
「ふぁいっ!?」
唐突だった出来事にシュディはビクッ、と体を振動させる。
「そんなに驚くことかい・・・」
「い、いやあ。すみません、どうもうちの子供を思い出したもので」
「そうか、スフィアと変わらない子がいるのだっけか」
「そうなんです。すごくやんちゃですがいい子なんです」
ルディスはフフ、と笑いシュディの肩をポン、と叩く。
「頑張りたまえ。発表会までもうすぐだろう?子供のために頑張るんだぞ」
「ええ。もちろんです社長」
そうして話をしているうちに食堂へと到着した。
「さあ、ここが食堂です」
「ひろーい!本当に食べていいの?」
「はい、もちろんですよ」
「わーい!」
スフィアは喜んで食堂の中に走りこんでいった。
「こりゃ、まいったな。スフィアもやんちゃっ子じゃったわ」
「ははは、社長も大変ですね」
「まったくだ。わはははははは!」
二人で大笑いしながら、スフィアと主に食事を共にした。
***
スフィアは疲れてぐっすり眠りについた。
休憩室に運び、毛布をルディスがかけた。ルディスは誰も聞かれていないか確認し、シュディに真剣なまなざしで語り始めた。
「・・・シュディ君、大事な話があるんじゃ」
「なんでしょうか」
シュディが見たルディスの眼は、今までに見たことのないくらいの威圧。シュディはその圧倒に思わず唾を飲み込む。
「・・・わしは多分、いや百パーセント『災禍』を世に公開せねばならん。理由は・・・なんとなくわかるじゃろ」
「・・・思いたくもないですが『軍事』で絡んできましたか」
「そう、それなんじゃ。わしが若いころに新たな『可能性』を発見したのが大きな過ちだった、ということじゃ」
「そんな、過ちだなんて・・・社長は『可能性』をかけたんでしょう?」
「軍事なんてものが絡まなければ・・・これは大いなる『革新』じゃった。だが、それを『兵器』に使うなど・・・一体何を考えておるのじゃ」
「・・・」
シュディは十分な理解を得ていた。
『可能性』というのは、ルディスは20歳前半期に『魔力』の存在を明らかにしていた。だがこれでは悪用しかねない、という思いで『魔力ノ全テ』を一切公開しなった。
そして現在、研究を密かに続けていることが、実の娘に見つかり、『魔力ノ全テ』を公開せざるを得なくなったのであった。
「そこで頼みがあるんじゃ、シュディ君」
「え・・・僕に、ですか」
シュディはルディスのお願いなど、数々にこなしてはきた。しかし、こんな真剣なお願いをされるのは初めてだった。
「スフィアはこれから様々に狙われることになるじゃろう。わしの身に何かあったらスフィアを頼みたいんじゃ」
「何故・・・私なんですか、家族に頼めばいいんじゃ」
「いいや、あやつらには頼めん。もし仮にそうしたらスフィアを『兵器』にしかねん。だからこそのおぬしなんじゃ」
人の子を預かるなど、シュディは考えられなかった。
「がっつり、とは言わん。影から見守ってほしいということじゃ。あの子が一人前になるまではわしが面倒を見る。その後でもよい。支えてやってほしいんじゃ」
スフィアはまだ幼い。今から頼むとなってもシュディに家族はいる。だからこそ、何かの頼み綱としてルディスは欲しかったのだ。可愛い孫のためにも。
「それなら何とかできそうですが・・・具体的に何をやればいいのですか」
影から、とは言えども実際何をすればよいのかシュディにはわからなかった。ルディスはうーん、と頭を悩ませる。
「そうじゃのう・・・あまりそういう場面に出くわしたことがないからのう、その場での臨機応変じゃな。わははははは!」
「しゃ、社長・・・」
シュディは分かってはいたが何気に溜息は自然に出ていた。「これが社長の器か」と思ってしまう自分に、何かが足りないとひしひしにシュディは感じていた。
「明日、わしは軍法会議に出る。明日は親もおらんから預かってくれんか」
「それは構いませんが・・・」
スフィアは少しばかりか意識があり、話を聞いていたのだ。どの所まで聞いていたかというと。
「・・・お爺様、どこか行かれるのですか」
「おお、起きておったのかスフィア」
スフィアは覚醒したばかりで、あまり思考能力がなってない。大事な話をしていたので記憶が鮮明に残っている。そしてスフィアははっきりと話した。
「私、お爺様と離れたくない」
「・・・!」
ルディスは完全に心を読まれたようだった。ルディスと離れ離れになること、これからのこと、そしてシュディのこと。嫌なわけではないが、知らないところに行って迷惑をかけるかもしれない。
「・・・ふふふ。大丈夫じゃ、心配するでない。スフィア、わしがおらんでも立派に一人で歩けるようにシュディで練習せい」
「僕で練習ですか!?」
予想外のことを言われたシュディは非常に驚く。わははは、とルディスは大笑いする。
「お爺様、ちゃんと帰ってきてくださいね!」
「まかせておけい!このルディス、まだまだ死ねぬわ!」
どん、と手を胸に打ち付ける。その後ごほっ、と咳はむせてしまうが。
「スフィアちゃん。ルディス社長は必ず無事に帰ってくる。それまで僕と一緒に待っていようか」
シュディはスフィアの視線に合わせて、スフィアを見つめる。その目は「信じて待っていよう」と言わんばかりの視線だった。
「・・・わかりました」
不安を抱きながら、スフィアは窓辺の空を見あげていた。
***
「ここは・・・」
意識がかなりうろ覚えている。景色が映るは、昔のあの会社だった。
「そうだ、私はここから始まったんだ」
遠い距離から見えるのは、懐かしい自分の姿。そして、今亡き祖父の姿と今もお世話になっている人の姿もああった。
「お爺様・・・私は約束を果たせなかったのでしょうか」
そう呟くが、「何か」を掴むためにここに来たのだろう、とそう信じ自分の姿を追うのであった。