店長任命
「いよう、陽介」
昼休み。ニコニコと気持ち悪いくらい清々しい笑顔と共に正雄が現れた。
「お断りだ」
なんとなく用件はわかっているので、俺は正雄を無視して弁当を取り出す。午前中、俺は完全に衆目から見世物として扱われたのだ。休み時間の度に違うクラスの奴が覗きにきて、俺と金田を指差していた。訴えたら勝てるんじゃないかと本気で思ったのはこれが初めての事だ。
「俺はお前の救世主だぞ?」
「……メシア正雄か。芸名にしてはひどいな」
どうもイライラのせいで正雄に当たってしまうが、こうやって直接話してくれるだけ随分とマシだ。もはや正雄と付き合った方が正解だとすら思うくらい、俺の精神は参っている。
「とりあえず、どっかいこーぜ」
教室内の嫌な視線を正雄も感じ取ったのか、気づかないフリをして昼飯を誘ってくれる。
「わかったよ」
俺はいろいろと助かったと思いながら、渋々という演技をして立ち上がる。コミュ力を上げるにはこういう気遣いスキルを身に付けないといけないのか。俺には無理だと思いながら、正雄の後を付いていく。
「さーて、食堂にでも行くか」
正雄は行き先を食堂と定めて、久方ぶりに俺達は廊下を二人で並んで歩いていく。
「待たせたな」
天ぷらうどんをテーブルに置いて正雄は待ちくたびれた俺に軽く手を合わせる。
「お前、うどん好きだよな」
一年前はたまーに正雄と飯を食う機会があったが、うどんかカレーしか食べている姿を見ていない。弁当派の俺としては意見したくなるものの、俺も俺でそんな良い物を食っているわけじゃない。
「色気のない弁当食っている奴に言われたくないな」
「たんぱく質だらけなんだよ……」
正雄が指摘したように親父の弁当は肉と豆がメインなので、野菜は基本的にない。俗に言う茶色い弁当であり、親父も職場に同じ物を持って行っている。一度は普通の手作り弁当を食べてみたい願望があるが、そんな人が訪れるのはいつになることやら。
「それで、俺に何の用事なんだ」
ちょっとナイーブな気持ちになりかけたので、俺はうどんをすすっている正雄に用件を尋ねる。どうせ金田の件についてだと予測がついてるが、一応は話の流れを作っておく。
「陽介に頼み事がある」
「……ん?」
しかし、正雄は俺が予想していた物と違う反応を見せ、箸を丁寧にどんぶりの上に置いた。
「文化祭の手伝いをしてくれ!」
正雄はそのまま手を膝に置くと、頭をテーブルに水平に向けるくらい下げてきた。
「話が全然見えないぞ……」
だが、俺は文化祭の手伝いという単語の意味がよくわからずに首を傾げる。そもそも、正雄は部活に入っていないから、文化祭は参加側で主催側ではなかったはずだぞ……
「実は、有志参加をしているんだが、行き詰っている」
混乱している俺に正雄は頭を上げると、苦笑いを浮かべながら経緯を話し始める。
「有志参加……?」
「文化部じゃなくても申請すれば出展できるんだよ」
あまり……というより全く学校行事に興味のない俺からすると正雄の話は完全に初耳だ。
「その場合、予算とかどうすんだ?」
「有志参加にそんな待遇はない。そこは何とかしたんだけどなー」
ただの思いつき防止なのか、文化部優先なのか有志参加するのはハードルが高いらしい。
「……愚問かもしれないが、なんで参加しようと思ったんだ?」
どっちかと言えば、正雄は学校行事そのものに興味はない奴で、その後の打ち上げを楽しみにするタイプだったはずだ。
「何か自分でやってみたくなったんだ」
「……お前は凄い奴だよ」
情熱だけで行動を起こせる奴は早々いない。しかも、予算の都合もつけているなんて、本気でなければ出来ない事だろう。俺もこういう熱さを見習わないとダメだと思いつつ箸を運ぶ。
「けどよ、オレ以外にやる気がある奴がいないんだよ」
俺は純粋に正雄に感心していたが、ここで楽しそうに話していた正雄の表情が陰る。
「まぁ……わからなくもないな」
さっき正雄が行き詰ったと口にした通り、正雄の思い通りには進んではいないようだ。大体の奴が学校行事は面倒だと思っているだろう。
「みんな手伝ってくれるとは約束してくれるものの……なんつーか、温度差を感じるわけだ」
「手伝ってくれるだけいいんじゃねーの?」
正雄としては当たり前の要望なんだろうが、俺には高望みをしていると感じる。
「これじゃ、オレの目的が達成できないんだ」
俺の言葉を聞くと、ガックリと正雄は肩を落として、大げさにため息をつく。けど……目的って何だ? 正雄は有志参加の成功以外に何かやりたい事でもあるのか?
「よくわからんが、現状だと不完全燃焼って事なんだよな?」
ようは一人で空回りしていて、俺にも協力しろって話なのはなんとなくわかってきたぞ。
「やるからには満足したいだろ? 平均点取れました。それで成功ってのはおかしい。文化祭で一番面白かったと評価されたいだろ? 少なくとも、俺は去年の文化祭は不満だったぞ。もっと面白ければいいのにって思った」
「……悪い、俺は去年サボった」
「あ、そういえばそうだったな」
正雄の言っている事は正論だとは思いつつも、俺自身文化祭に興味がないので距離感を保ちながら相槌を打つ。
「とりあえず、正雄が文化祭に熱意を持っているのはわかったが……俺に何をどう手伝えって言うんだ?」
このままだと正雄が無駄にヒートアップするだけだと思い、俺は話をまとめようと結論を促す。ぶっちゃけ、俺が手伝ったとしても、正雄の悩みの解決には至らないような気がする。とはいっても、ここまで仲良くしてくれる数少ない友人ではある。出来る限りの事はしてやりたいんだが……
「……陽介にオレの代わりをやって欲しい」
「無理だ」
残念だが無理な相談には答えられない。俺は友情は投げ捨てる事にした。
「待て待て待て、そう答えに焦るな。もう少し説明させてくれ」
「委任つーか、それって責任放棄だろ」
上手くいかないから俺に放り投げたようにしか聞こえない。だが、正雄は俺をなだめようと手を上げて、足りなかった言葉を補足していく。
「オレは取りまとめは出来ても、人を惹き付ける力はないんだ。逆に陽介にはソレがある」
「んなことねーよ。正雄は誰からでも好かれてるだろ?」
正雄は一度、眼鏡のズレを直してから、表情を引き締めてから再び語り始める。
「いや違う。今朝、お前はあの桜澤このみちゃんと話していたらしいじゃないか。それはお前の持つモテ力が凄まじいからに違いない」
「あの娘の事は関係ないだろ?」
なんとしてでも俺を説得する気なのか、正雄はモテ力なんてよくわからない単語を使って、俺のやる気を煽ろうとする。
「お前なぁ……一年のプリンセスの下馬評の一位はあの娘なんだぞ? 下級生にまるで興味がないお前が、その娘と会話をしている時点でモテ力が働いているとは思わないのか?」
今朝の出来事をよく知っていると思いつつも、俺は最後に残った米の塊を口に放り込んで咀嚼する。
「ぶっちゃけ、不特定多数にモテるより正雄くらい話せる友達が欲しい」
「なら、男友達を紹介するから! そのモテ力をオレの為に使ってくれ!」
……正雄はなりふり構わないのか、また俺がソッチ系だと誤解されるような事を言い出す。
「ごちそうさま」
呆れ果てた俺は熱弁を振るっていてうどんを放置している正雄に食事の終わりを告げる。だが、正雄はうどんを食う気はないのか昼休みの残り時間を気にした様子もなく、弁当を片付ける俺から視線を逸らさない。
「ぐぬぬ、陽介。何故だ、何故、その力を有効に使わない」
「あのな……俺にまるでメリットがないだろ」
いつでも教室に戻る準備が出来た俺はペットボトルのお茶を一口飲み、目が血走っている正雄を諭す事に専念する。
「男友達が増えるぞ。多分」
「目が泳いでるじゃねーか」
この場で適当にでっち上げたメリットらしく、俺の都合なんてそもそも正雄は考えていないようだ。今の俺としては文化祭の手伝いをすると女性恐怖症が治るくらいの魔法がかかって欲しいものだが……
「いや、ちょっと待てよ。俺が参加すると女子と絡む事になるのか?」
発想の転換。正雄の誘いはピンチと認識していたが、これはチャンスになるのではないか? いつもの俺ならばそれがあるから協力し合う学校行事を避けていた。不特定多数の女子と一緒にいるのは拷問でしかないのだが、ここで逃げていたら女性恐怖症が治らないままだ。
「お? 女子を気にするなんて珍しい。もしかして、ついに陽介がノンケになったのか?」
「ノンケ言うな。ちょっと女の子が苦手なだけだ」
正雄の軽口に体質の事をつい口に出してしまいそうになるが、言葉をぼやかす。
「どちらにしろ、共同作業をする時点でいろんな奴らと話す事になるんだ。男女関係なしに友達は増えると思うぜ」
「むぅ……」
友達が増えるなんて言葉を喜ぶのは小学生くらいだろうが、俺にとっては十分な誘い文句なので、正雄の頼み事を肯定的に捕らえようと思い始める。今までは受け身でいたが、ここは挑戦してみるべきではないのか? 確かに学校行事は面倒だし、楽しいとは言えないだろうが、恋人を作る為にはまずは出会いが必要だ。もしかすると体質に影響しないような娘がいるかもしれないのだし、このまま棒に振ってしまうのは人生における損失になりかねない。
「っても、陽介が乗り気じゃないのは最初から予測できたからな。脅すつもりはないんだが、断ったら陽介が困る事になるぜ」
「は……?」
手伝ってみよう。それを声にするコンマ一秒の差で正雄が声色を変えて脅すなんて単語を口にした。
「お嬢との噂。アレを悪化させるぞ?」
「ま、マジかよ?」
「オレに情報を求めてくる奴が昨日だけで十人はいる。それをちょっと操作すればいいだけの話だ」
正雄が最初から下手に出ていたから、俺は対等以上だと思っていたが……今の俺って社会的に無茶苦茶弱い事を忘れていた。
「情報操作って何する気だ」
「ずっと前からお嬢が好きだったシャイボーイ説。いや、お嬢でも満たされない傲慢プリンス説もありか。待て待て、既に事を終えてしまうほどの下半身野郎が一番ウケが良いかもな」
「おい、やめろバカ」
ゲスな話題にせっかく手伝おうと思っていた気持ちが失せてしまい、ついつい感情的なセリフを吐いてしまう。
根も葉もないものであっても、俺は噂話の恐ろしさを知っている。結局のところ、面白そうならば噂話をする人間的は真実はどうでも良いのである。その成否を確かめずに真実だと誤解する人間が何人もいるんだからな。
「オレだってこんな事はしたくない。けどな……背に腹は変えられない」
演技臭い言葉と共にクックックと嫌な笑みを浮かべる正雄を見て、殴りたくなってしまう気持ちをグッと堪える。
「あ……」
握り拳を作ってしまったせいか、俺は昨日の裏庭の出来事と……この学園の暴力の象徴である牛沢を思い出す。今、正雄が言ったような事実無根の噂がバラまかれたとして、それが親衛隊の人に曲解されて伝わったらいったいどうなる……?
「手伝ってみようと思う……」
「おぉ! そうか!」
俺が機械のように鈍い動きで頷くと、正雄は手を叩いて満面の笑みを見せる。なんだよ……これだったらちょっと前の前向きな気持ちで手伝ってやりたかった。
「ん、ちょっと待てよ。そもそも、何をやる気なんだ?」
他人事だった文化祭が自分に関わる物になったので、感心のなかった有志参加内容に興味が出てくる。そういえば、正雄は内容について一言も触れていなかったな。
「…………」
すると、正雄は俺から目を逸らして、ここで言うべきかという具合で下唇を噛んだ。
非常に嫌な予感がすると思いながら……俺は数秒後に発せられる正雄の言葉を息を呑んで見守る。
「それは――コスプレ喫茶だ!」