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お嬢と立花君  作者: アウトキャスト
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転機


「お先でーす」


 バイトが終わって俺は挨拶をして自転車にまたがる。今日は客の入りがほどほどで助かったと思いながら、真っ暗になった空を見上げる。

 空にはうっすらと雲が見える程度なので明日も晴れそうだな。だが、ちょっと格好つけても身体に染み付いた茹でた麺の臭いが漂ってくる。


 俺のバイト先はラーメン屋である。あの親父の紹介で雇ってもらい、もう一年半は経過した事になる。

 店長は親父と気が合うだけあって趣味は身体作りで、異様に濃い客層を獲得している。

 店長の身体目当てで現れる人も多いが、味の方も確かで濃厚な豚骨スープは慣れると癖になり、まともな常連客も多い。


 ただ、交通便の良い場所ではない為か、あんまり有名にはなっていないようだ。一応、カウンターだけではなくテーブル席はあるものの平日に俺が入る時間には閑散しており、休日だとそれなりに見かけるが、人を選ぶ味なので家族連れはほとんど見かけない現状だ。


 俺としては程よく忙しく、いろんな経験を詰ませて貰っている。

 愛想の悪い俺は接客する事で声の出し方から歩く姿勢まで、見違えるほど変わったらしい。

 親父はより男臭くなったとよくわからない褒め方をしたが、自分磨きの効果が出ていると無理矢理解釈した。出会い目的でバイトを始める奴からすると、筋肉質な店長とマンツーマンは地獄だろうけどな。


「さて、帰るか」


 俺はペダルを強く踏んで、すでにガタがきている車輪を回す。自転車のチェーン特有のカリカリという音が鳴り、ゆっくりと加速していく。


「うーし、いくぜ」


 電動なんてもちろんのことギアすらチェンジできないボロ自転車だが、これが良いトレーニングになるのだ。

 ここから家に帰るまでは二十分近くはかかる。いつもなら無心で筋肉を酷使するのだが、どうも胸のモヤモヤが中々消えてくれない。仕事中は忘れる事ができたのだが、俺が思っている以上に裏庭での出来事に精神的なショックを受けてしまっているらしい。


「なんだかなぁ……」


 金田に付きまとわれている。その金田に親衛隊なんてのがいた。しかも、その人達に絡まれた。平凡な学園生活を送っているとは思っていないが、昨日から刺激の強い出来事が起こりすぎている。


「けど、それ以上に……」


 この胸のモヤモヤの原因は今挙げたものではない。あの場では一番どうでもいいと感じた事を今は一番気にかけている。


「はぁ……」


 それは人違いでフラれた事である。一瞬の出来事だったのにジワジワと俺の心を侵食しているのだ。交通事故によるケガが後々になって症状が出るように、胸のモヤモヤは更に濃くなっていく。

 別に俺はあの娘に好意を持っていない。いや、完全に他人なのに……フラれるのって、ここまで心に傷が残るものなのか。それを考えると今まで俺は随分と簡単に女の子達をフッてきたように思える。


「罰が当たったのかもな」


 キッパリと断るのが正義だとカン違いして辛辣な態度を取ってしまっていた。せっかくの好意を俺は恋心そのものを否定するように拒絶してきたのではないか?

 別にそういうつもりではない。女の子からの好意を俺は迷惑だと感じた事はないし、純粋に嬉しいと思っていた。けど、一時の感情で首を縦に振りたくなかった。俺は人付き合いが下手だし……仲良くなればきっと体質がバレてしまう。そうなったら俺はすぐに相手に幻滅され、一人になってしまうだろう。


「あぁ……俺は」


 そこで知らぬ間に心の奥底に溜まっていた淀みに俺は気づいてしまった。


「俺、本当はちゃんとした恋愛をしたいんだ……」


 口にしてしまえば何の事はない。俺はフラれる事が怖くて誰の手も握れないでいるのだ。

 不意にあの娘の姿を思い浮かび、「お断りさせてもらいます!」という言葉が脳内に響き渡る。あの言葉がここまで心に刻まれているのは、俺が一番恐れている言葉を言われたからなんだろう。


 自分磨きを始めたのは自分の存在を認められたいから。


 自分の存在を否定されてしまうのは何よりも怖い事だ。手が届かなかったなら寂しいで終わってしまうが、拒絶されたなら心に深い傷を負う。俺は傷を負う側にも負わせる側にもなりたくはなかった。

 ただ、あの人の手の届く場所に行きたかった。並び立てるくらい強くなりたかっただけなのだ。ハードルを超えて、崖を登り切れば素晴らしい景色を見れると疑わなかった。


 ――でも、辿り着いた場所には誰もいなかった。


 それからだと思う。自分磨きが惰性で妥協したものになってしまったのは。目的地に辿り着き、これから先はどこへ向かえばよいのかわからずに視線を上げられない。もっと上に行くべきだったのなら、迷いなく進む事が出来ただろう。けど……現実は逆だったのだから。

 登るべきか降るべきか。それとも今の場所に留まるべきか。答えを出せないまま、俺はただただ停滞して殺風景な景色をぼんやりと眺めている。その間にどれだけの人に声をかけられただろうか? その度に俺は構わないで欲しいと跳ね除けて、声を掛けてきた相手とは決して向き合わなかった。いや、正確には相手を選ぼうとすればするほど、自分にふさわしい人が誰なのかわからなくなってしまったのだ。

 結果……今では誰も選べなくなり、あの金田麗美ですら俺は選択しなかった。


「だっせぇなぁ……」


 俺は体質を言い訳にして女の子から背を向けて逃げている現実に舌打ちをして、さっきまでの自分を戒める。

 自分自身を鍛えれば女性恐怖症も治るなんて淡い期待を抱いていた。三角筋や上腕二頭筋がつけば強くなれたなんて錯覚もいいところだ。


「よし」


 本当の意味で女性恐怖症に立ち向かおうという気持ちが俺の中からフツフツと沸きあがってくる。俺はギアチェンジできないボロ自転車を恨めしく思いつつ、代わりにペダルを踏む力を強めて、俯いていた視線を上げた。


「恋人を作る為に……この体質を治そう」


 目標を高く持とうとあえて難題を課し、自分磨きをやり直す事を決意する。恋人を作るのが目的なのか女性恐怖症を治すのが目的なのかどちらなのか自分でも定かではないが、一歩進んでみようと思う。少なくとも金田をフッた身分であるし、卒業までには無理かもしれないが、恋愛に対して肯定的になろうと思う。


「とはいったものの、どうやって鍛えていけばいいんだ……?」


 胸のモヤが四散していくのを理解しながら、俺は女性恐怖症とどうやって戦っていくのかを考える。ショック療法ではダメなのは昔にやったので、エロ本はNGだ。まぁ……本とか二次元な物だとわりと平気な傾向はあるんだけど、生身の女の子に強くなれるわけじゃない。

 現状、単純な会話だけならどこも困る事はないのだ。性的な部分を意識するとダメになる。言い換えると、そういうシチュエーションに慣れなければならない。


「難易度たっけぇなぁ……」


 やっぱり厄介な体質だと嘆きながらスピードを上げる。急ぐ必要なんてないのに、希望を感じられる明日に向かいたいのだ。さっきまで、憂鬱だったのが嘘みたいに俺の気持ちは晴れ晴れとしていた。

 バイトの疲れを感じないくらいの勢いで、俺は確実に汗を流しているだろうクソ親父のいる家を目指した。


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