一緒に帰らない?
「ふぁぁぁあ」
ようやくホームルームが終わり、俺はずっと我慢していた欠伸を思いっきりしてからバッグを握る。
今日はバイトがある日なので、学園に残っているつもりはなく、さっさと帰りたい。
クラスメイトには特に挨拶をするような友達はいないので、俺は無言のまま教室の開いているドアを通りすぎる。
文化祭が近いとはいってもクラスで出し物はしない為、教室に残っている人間は放課後をダラダラと過ごしたい人間だけだろう。
「ちょっと、待って!」
だから、俺を呼び止めるような人間なんていない。なのにも関わらず、透き通った声が背後から聞こえてきた。
「………?」
いや、何かの間違いだろう。俺は自分が呼ばれたわけではないと信じ込んで、廊下を歩くペースを一気に上げる。
「え………無視しないでよ、立花君!」
んが、向こうは本気で俺を呼び止めたいのか名前を呼んできたので、俺は仕方なく足を止めた。
「今の……わざとでしょ?」
俺が振り返ると小走りで駆けて来た金田はムッとした表情で話しかけてくる。確かにわざとだから俺に非があるのだが、今朝からあれだけ噂話に満ち溢れている状況で声をかけられて、まともに応対できるわけがない。
「今日はバイトだからすぐ帰りたいんだよ」
そういうイラつきもあって、俺は話をすぐに打ち切るような姿勢で返事をする。
「立花君ってアルバイトをしているの?」
だが、金田は首を僅かに傾げて純粋に驚いた様子を見せる。こんな仕草をするんだと俺は思いながらも、すぐに人々から奇異の目で見られている現実に気づいた。
「んなことはどーでもいいんだよ。それで何の用だ」
金田とは今朝から視線は合えども、一言も口を利かないでいた。そもそも、俺としては完全にフッたつもりだから、こんな風に話しかけてくるとは思っていなかった。
なので、わざわざ呼び止めるだけの用件があるんだろうが……
「一緒に帰らない?」
その一言によって、俺達のやり取りを観察している周囲の空気が変わったのを感じ取りながら、俺は脊髄反射ばりの勢いで口を動かす。
「お断りだ」
「ど、どうしてよ……!」
論理的思考ができなくなるような言葉をぶん投げられて、理由を答えられるわけがない。俺は態度で示すしかないと思い、競歩でもする勢いで下駄箱へと向かっていくが……
「……追いかけてくるなよ」
金田を置いてくる勢いで逃げたのだが、人がまばらにしかいない下駄箱へ金田はピッタリと付いてきた。
「あの状況なら誰でも追いかけるわ」
流石、運動もできる女は違う。この程度の運動量では息も切らす事もないのか、俺に感情的な視線を向けてくる。その瞳には引け目も負い目もなく、昨日裏庭で見た瞳と変わりがない。
「確認するが、俺は昨日……断ったよな?」
実はとんでもない妄想力の持ち主で、勝手に恋人になったと錯覚していないかを確認する。
「昨日はダメだったわね」
「……あぁ、一応フラれた事は自覚してるんだな」
今の返答に多少疑問は残るものの、肝心な所での認識違いがない事に俺は一安心する。天才と馬鹿は紙一重って言うから、ちょっと怖かったしな。
「でも……周りは恋人同士で見てくれるみたいだから、一緒に帰っても特に問題はないんじゃないかしら?」
「いやいやいや、問題あるから」
ホッと一息したのもつかの間、金田は結構ぶっとんだ事を言い出した。もしかして……噂話を後付で真実にする気なのか?
「仕方ないわね。立花君を後を追いかけるように私も帰るから」
「人はそれを尾行って言うんだよ」
「……冗談よ。でも、私も学園に居残る気はないの。立花君もバイトで早く帰るんでしょう? デメリットはないと思うんだけど……」
俺の突っ込みに満足したのか、話を区切るように金田は状況整理を始めた。とんでもない事を口にしているわりに頭は随分と冷静なのか、ここで文句を言い合うくらいなら二人で帰った方が建設的だと主張する。
こーいう所はイメージ通りの人間だよな。俺とは頭の出来が違う部分だと思うぜ。
――別に金田とこのまま一緒に帰っても良いかもしれない。
そう思って、俺は下駄箱を開けると白い封筒が目に映った。
「ん……なんだこりゃ」
「あら、これって」
俺の声に反応したのか、金田が自分の目線より高い俺の下駄箱をつま先立ちをして覗き込んでくる。
「ラブレター……には見えないな」
金田に見られるのがちょっと嫌だったので、掠め取るように俺は宛名も書いてない封筒の分析を始める。
「こういう事はよくあるのかしら?」
興味津々なのか金田は擦り寄るように俺の瞳を覗き込んでくる。ここまで接近した事はなかったが、俺と金田には頭一個分の身長差があった。容姿端麗と言われているものの、金田の背は低いんだとと思いつつ、俺はビリビリと乱暴に封筒を破いていく。
「稀に良くある」
「……どっちなのよ」
俺の適当な返事に金田は呆れた様に返事をするが、軽く流して俺は手紙の中身を確認する事に注力する。
「ラブレターにしては品がないわね」
「ふつーに覗き見するなよ。まぁ……俺も同意見だが」
金田と一緒に手紙の中身を確認したが、ラブレターにしては随分と事務的な文章だった。ていうか、単純に”今日の放課後に裏庭に来い”とだけ書かれていて、文字は手書きであるものの暖かさがまるで感じられない。
「私だったら行かないわ。こっちの都合も考えずに呼び出すタイプのは最低ね」
しかし、隣ではそれ以上にシビアな意見を金田が口にしていた。
「そっちのが経験豊富じゃねーか」
わりとイメージがブレてはいるが、彼女は誇張もなくお嬢と呼ばれるパーフェクトな存在なのだ。俺なんかよりもいろいろ形式で告白された経験はあるだろう。
「そんなことはどうでもいいのよ。私と一緒に帰るの? その手紙に従うの?」
まぁ、金田としては自分の話をされるのが嫌なのか、俺にどうするかを問いかけてくる。
「んー、手紙に従うかなぁ」
「え、嘘でしょ!」
俺は特に悩まずに手紙の場所に行く事を宣言すると、金田は青ざめた表情で俺を見上げてくる。ぶっちゃけ、金田と一緒に帰るのが気恥ずかしい故の決断なので、ちょっと罪悪感を感じてしまう。
「悪戯だとわかったり、バイトに間に合わないようなら、ちゃっちゃっと帰るけどな」
「…………」
金田は放心状態なのか口を開けたまま、普段の凛々しさの欠片もなく固まっている。
「じゃーな」
それを俺はチャンスだと思い軽く声をかけると、靴を履き替えて裏庭へと早足で向かう。
実際、バイトがあるから時間に余裕がないわけなのでサッサと終わらせてしまいたい。
金田からの反応がないのを背中で感じつつも、俺は昨日と同じように裏庭へと足を運ぶ。