第五話
●千代田区某所地下施設第二ゲート前
「くたばれぇぇぇっ!」
ガガガガガガッ!
機銃座に据えられた12.7ミリと7.76ミリガドリング砲が火を放ち続け、圧倒的な火線を、そして曳光弾が龍の舞の如き線を描きあげる。
重装甲を施した戦車でも持ってこなければ防げる代物ではない。
だが―――
「くそっ!」
それほどの火線を展開する機関銃部隊の兵士達は撃ち続けながら青くなっていた。
弾丸が全く当たらないのだ。
一分間に数千発の弾丸を撃ち続けているのに、当たらない。
その理由は、兵士達にはわかっていた。
「こいつ、騎士だっ!」
「トラップで仕留めろっ!」
「了解っ!」
兵士の一人が、機銃座の防御シールドに引っかけてあったレバーを引いた。
バンッ!
鈍い音と共に、壁の一部が吹き飛び、反対側の壁に無数の弾痕があいた。
壁に仕込まれた指向性対人地雷が一斉に火を噴いたのだ。
「やったか!?」
「違うっ!」
機銃にとりついた兵士は怒鳴った。
「まだ来るっ!」
「どうやって!?」
「知るかよっ!―――本部!騎士はまだか!」
●千代田区某所地下施設 休憩室
地下施設には非常事態を告げるアラームが鳴り響き、近衛騎士達が武器を手に配置につく。
『侵入者警報!警戒コンディションをAに引き上げ。各員警戒、防御隔壁緊急閉鎖。警備担当部隊は速やかに所定の配置についてください。非戦闘員はマニュアルE所定の―――』
「ここへ?どこの物好きだ!」
休憩室でコーヒーを飲んでいた若い騎士が同僚に毒づきながらも、腰の剣の具合を確かめた。
「よっぽど死にたいんじゃないのか?」
「そういうな」
同僚は肩をすくめると、壁にかけてあった大薙刀を手にして軽く振った。
「ここの意味を知っていれば、普通は攻めたくなるもんさ」
『警護中隊各員に告ぐ!』
アラームをかき消さんばかりの野太い声が、各所に仕掛けられたスピーカー一杯に響き渡り、駆け出そうとして止まった。
『既に侵入者はトラップ及び第一ゲートを突破。第二ゲート防衛隊との通信途絶!』
「なっ!?」
『“奥の院”への侵入は絶対に阻止せよ!既に第一、第二防衛部隊は全滅!』
第三防衛線の配置についた騎士達はぎょっ。とした顔でスピーカーを見た。
『承明門を最終防衛線に指定!騎士はすべて承明門に集結!いいか!死んでも通すな!』
それから10分後―――
「ぎゃっ!?」
暗闇の中から現れた敵に一斉に襲いかかった騎士達が、逆に一斉に吹き飛ばされた。
「ぐうっ!」
先程の若い騎士もその中の一人。
まともに地面に体を叩き付けられたショックで息が止まった。
「―――くっ」
痛む体を無視して、立ち上がろうとした彼は、自らの体に起きた変化に目を見開いた。
体が―――動かない。
指一本、まともに動こうとはしない。
「な……何故?」
魔法か?
一瞬、そう思ったが、彼の知識はそれを否定した。
自分の身につけている甲冑は対魔法戦闘を前提とした代物。
電撃や麻痺系の魔法がこの甲冑の前に有効なものか!
だが―――では?
コツ……コツ……コツ
不気味なまでの静寂の中、靴音だけが妙に高く聞こえる。
指一本動かすことの出来ない彼の横を誰かがすり抜けようとしていた。
「く……くそっ」
何とか動く目で、彼はその相手を確かめようとした。
そんな馬鹿な!
その姿を認めた彼は、呆然とその人物の動きを見つめるしかなかった。
彼は知っていた。
その相手が誰かを―――
だからこそ、信じられなかった。
否。
信じたくなかった。
「ひ……姫さん?」
ギギギ……ッ。
かつてのその人物の愛称を口にした彼の目の前で、最終防衛線に指定された承明門。そう呼ばれた扉が開かれたのは、その直後だった。
「ば……馬鹿な……」
翌朝。
水瀬が警察から引き取られ、重営倉にぶち込まれた翌日のこと。
水瀬とルシフェルは萌子の母親に呼ばれ、とんでもないことを告げられた。
「茶釜に逃げられた?」
「そう。ものの見事に」
地下施設の警戒が普段以上に厳重で、ようやくたどり着いた場所は茶室。
茶釜から聞こえる湯の音は、ただ聞いているだけで心地よくなる。
そんな中、
「あのねぇ!」
バンッ!
萌子は畳を叩いて怒鳴った。
「お母さん!」
「ママ」
「どっちでもいい!」
「よくないわよぉ」
萌子の母は不服そうに言った。
「相手の名前ってのは、大切な意味があるのよ?だから――」
「言霊の講義なんて聞きたくない!そんなことしてる場合じゃないでしょう!?」
「そう?」
不思議そうな顔をして娘に茶を勧める母。
「そう?って―――」
萌子はアゼンとした顔で目の前の母を見た。
「どうしてそんなに落ち着いていられるの?」
「あら?良いところに気づいたわね」
母は微笑みながら言った。
「ちゃんと対策はしてあるからよ」
「対策?」
「そう。釜の中に居場所を知らせる呪符と、爆発する呪符を貼り付けておいたの。ほら。これ」
自慢気に二枚の呪符を見せつける母に向けられた頼もしそうな視線は、すぐに不審のそれに変わった。
「やっぱり、私って天才だわぁ」
「あの……」
「天才って、何しても上手くいくのよねぇ」
「だから……」
「何?」
「なんで、貼り付けた呪符がここにあるの?」
「……」
「……」
呪符と萌子の顔を交互に見比べた母は、不思議そうに言った。
「なんでかしら?」
「―――つまり」
茶をすすった水瀬が言った。
「呪符を貼り付けたから安心だと思って、そのままにしていたら、いつの間にか逃げ出していた。と?」
「そう。懐かしい娘が訊ねてきてくれたから、嬉しくてねぇ」
「娘?」
「そう。久しぶりに日本へに来たといって。1時間も話し込んだわ」
「お客様があったんですか?」
「お客様と言えばお客様ねぇ」
「はぁ?」
「だって、ここの結界破って、止めようとした警備騎士さん達も、死ない程度で何人もノされるし。何より、誰かに操られっぱなしだったから。誰かなぁって」
「ここ、襲われたんですか?」
確かにおかしい。
侵入者を排除・迎撃する強力な結界が張られ、警備も近衛の選りすぐりが配属されている、日本、いや、世界的に見ても有数の警戒厳重区域だ。
水瀬ですら手こずる防衛体制。
それをくぐり抜けて、出ていった者がいる?
しかも、無血で?
「る、ル●ン?」
「水瀬君、現実とアニメをごっちゃにしない」
「……というより」
ルシフェルは首を傾げた。
「……ヘン」
「へん?」
「そうでしょ?」
茶を点てる萌子の母の手元をじっと見つめながら、ルシフェルは言った。
「それほどの騒ぎで、どうして私達に動員命令が出なかったの?どうして、その騒ぎが私達の耳に届かないの?」
「……そういえば」
「あら?二人とも、聞いていないの?昨晩の騒ぎ」
「はい」
「何も」
「……ふぅん?」
萌子の母は少し考えた後、ぽつりと言った。
「まぁ……無理もない……か」
「あの……ママ?」
怪訝そうな娘の声に、萌子の母はびっくりして娘の顔を見た。
「う、ううん?気にしない気にしない!痛いの痛いの飛んでけーっ!」
「はぁ?」
「―――それより、話したわよね?ママは」
「へっ?」
「その娘が“誰かに操られっぱなしだった”って」
「……なんでわかるの?」
「“視れば”わかるでしょう?萌子ちゃんだって、私と由忠様の血を引いているモンスターなんですから」
「娘をモンスター呼ばわりするなぁっ!」
萌子が暴れるのも無理はない。
実の母親からバケモノ呼ばわりされて、娘が喜ぶはずがないだろう。
だが、母親はにっこりとほほえんだ。
「かわいいじゃない。ママ、あの電気トカゲとか大好き♪」
「……私……私は……」
滝のような涙を流す妹の頭を撫でながら、水瀬は訊ねた。
「それで、その操っている人って、わかったんですか?」
「ええ。懐かしい人よ。まだ生きているとは思わなかった」
「……心当たりが?」
「もちろん」
萌子の母は自信満々に頷いた。
「だ、誰です!?」
「面識は一度しかないけどね?『白拍子』って呼ばれているわ」
「白拍子?」
「そう。知らない?男装の遊女が今様や朗詠を歌いながら舞うの」
「そっちは知っていますけど……」
「あのさぁ」
萌子があきれ顔で訊ねた。
「つまり……ママのご親戚?」
「磯禅師とは血縁なかったはずだけど?」
「じゃなくて!」
「よ、よくわかりませんが」
妹が暴れ出そうだったので、水瀬はさっさと結論を出すことにした。
「その侵入者は、その“白拍子”に操られていた。ここまで突破出来たのは、その“白拍子”の力ですね?」
「ううん?あの娘の力」
「……え?」
「だから、あの娘の力よ」
「だ……誰ですか?」
「教えない」
「どうして?」
「教えちゃったら、私が樟葉ちゃんに怒られるもん」
「……何故、樟葉さんが?」
「樟葉ちゃんがあなた達に教えていない。そこに何か裏があると思うのが普通でしょ?」
萌子の母は言った。
「何より、ここではあなた達は樟葉ちゃんの部下なんだから」
「……」
「まぁ、あの子が茶釜の蜘蛛を持って行ったのは間違いないけど」
「どうして止めなかったんですか?」
「面白そうだったから」
「……」
にべもない返事に、水瀬は二の句が継げなかった。
●皇室近衛騎士団 樟葉の執務室
「昨晩、あそこに侵入者があったことは把握している」
水瀬とルシフェルを前に、樟葉は冷たい視線で、
「それがどうした」
「……あの」
「同時に、何か呪具が奪取されたこともだ」
「僕達」
「既に他部隊が奪還任務に従事中だ。それと、あそこの一切については、厳重な箝口令が敷かれている。お前達も近衛の一員なら、その意味を正しく理解しろ」
「……あの?」
「下がれ。私は忙しい」
革張りの背もたれの高い椅子に腰を下ろした樟葉の目は殺気立っている。
その眼光に気圧され、樟葉の横に立つ篁副官の気の毒そうな視線に励まされるように、二人は敬礼の後、樟葉の部屋を出た。
パタン。
「……ハァッ」
樟葉は二人が部屋を出た途端、力尽きたように椅子の背もたれに体を預けた。
「全く……なんて事態よ」
「侵入者に関する情報は、これを除いて、すべて抹消させました」
篁副官が執務机の上にDVDを置いた。
「現地の全部隊への記憶操作は本日1500までに終了」
「……馬鹿げている。そうは思わないか?」
「無理もありません」
DVDの上に突っ伏した樟葉に篁副官は複雑な感情を浮かべた顔で言った。
「あの地に侵入を許したこと。そして、その侵入者の素性……この二つが近衛内部に広がれば、とんでもないことに」
「……その最悪に輪をかけてくれそうなのが今、目の前から消えてくれた……」
「私も、あの子とのことは、噂でしか知りませんが」
「噂だけで十分よ。本当、真実をあの子が知ったら悪夢よ?何しろ―――」
「ストップ」
カチッ。
篁副官が、樟葉の言葉を止めるなり、机のボタンを押した。
ドアの開閉ボタンだ。
「きゃっ!?」
「わっ!?」
突然、ドアが開いたせいで部屋に転がり込んできたのは、水瀬とルシフェルだ。
ドアに耳を押し当て、樟葉達の会話を聞いていたのは間違いない。
「―――お前等」
「……つまり」
樟葉の執務室前でバケツを持つルシフェルが横に立つ水瀬に訊ねた。
―――私がいいって言うまでそうしてろ!
樟葉はそう怒鳴って二人にそう命じた結果だ。
「その侵入者って水瀬君の知り合いだってことだよね?」
「白拍子に知り合いなんていたかなぁ……?」
両手どころか頭にまでバケツを乗せられた水瀬は首を傾げようとしてやめた。
「でも……」
「やっぱり、ヘンだよね?」
ルシフェルでも、そう思わざるを得ない。
「樟葉さんは、侵入者があったことそのものをもみ消そうとしている」
「責任問題になる?」
「責任はあるだろうけど、そんな姑息なマネする人じゃないでしょう?」
「……おかしいよねぇ」
「しかも」
ルシフェルはそこに一番ひっかかった。
「近衛に関係した人だったみたいだね」
「そうだね……近衛追放された人かな?」
「うん……でも」
バケツの水をこぼさないように脚を軽く動かしたルシフェルは呟いた。
「どうして、樟葉さんはその侵入者から水瀬君を遠ざけようとするんだろう?」