第四話
●葉月警察署 地下
ガシャン!
水瀬の目の前で鉄格子が無情にも閉められた。
「お、お姉さん!?」
鉄格子越しに水瀬は抗議の声を上げた。
「こ、これはあんまりでは!?」
「カツ丼、出してあげるからね」
ニンマリとした意地の悪そうな笑みを浮かべた理沙は、それだけ言うと留置所を出て行った。
水瀬は困惑するしかない。
「脱獄って、やったら問題だよねぇ?」
その気になれば、テレポートでいくらでも逃げられる。
被害を無視すれば警察署ごと破壊してもいい。
だけど―――。
「やったら、怒られる程度じゃ済まないよねぇ……」
どうしたものか。と、水瀬が目を閉じて思案に暮れかけた時、
「出せぇぇぇぇっ!!!」
誰かが叫んでいる。
「出すのじゃぁぁぁっ!!」
うるさい。
「妾が何で人間風情に囚われねばならんのじゃぁぁぁっ!!」
あれ?どこかで聞いた声だ。
耳を澄ませ、相手がどこにいるのか確かめようとする。
どうやら隣の牢からだ。
「うわぁぁぁぁん!!出してくれぇぇぇっ!!」
怒鳴り声が涙声に変わった。
「―――かのん?ねぇ、かのんじゃない?」
「え?だ、誰じゃ?」
「僕だよ。悠理」
「ゆ、悠理!?な、なんじゃ、お前、こんなところにいるなら、さっさと出してくれ!」
「というか、僕もかのんと同じ立場なんだよ」
「……」
はぁぁぁっという大きなため息が留置場に響く。
数分後
「で?かのんはどうしてここへ?」
「店に泥棒が入ったんじゃ」
「泥棒?」
「そうじゃ、ご主人様が保管していた大切な品がいくつも盗まれた。妾の厳重な監視下にあった店内から忽然と、じゃ!これはきっとあれじゃ!怪盗、しかも大がつくような大物の仕業じゃ!」
「―――店番の時に居眠りしてて、気が付いたら盗まれていたんじゃなくて?」
「な、何故知っているんじゃ!?」
「適当」
「クッ……」
「で、おばあちゃんに怒られて」
「うっ……」
「見つけるまで帰ってくるなとか言われて、やむを得ずこっちへ」
「ううっ……」
「で、何かしでかして警察に捕まった。と」
「うわぁぁぁぁぁぁんっ!!!妾はただ、マネ事をしただけじゃ!」
「何の!?」
「盗賊じゃ!向こうが盗むなら、妾が盗んでも問題はない!」
「大ありじゃないかなぁ」
「じゃから、妾はめぼしい所にあたりをつけ、忍び込んだんじゃ」
「ちなみにどこへ?」
「大きな金庫じゃ。大日本帝国銀行券というのがたくさん入っていた」
「―――看板に銀行って書いてなかった?」
「低位魔族語のスラングではギンコとは盗品のことじゃ!」
「人間界の日本語での銀行は、ミラーシャの意味だよ」
「何!?」
「魔界で言えばグリンゴッツに盗品があるというのと変わんないよ?」
「そ、そうなのか!?」
ちなみにグリンゴッツとは、魔界最大の銀行、日本で言えば帝国銀行に相当する大銀行のこと。
なお、かのんが忍び込んだのは地方銀行に過ぎない葉月中央銀行の大金庫だから、規模は当然違うが。
「かのん、音だけで判断したんだね」
「……はぅぅぅぅっ」
かのんは泣き叫んだ。
「どうすればよいのじゃぁぁぁっ!グリンゴッツに忍び込んだなんてご主人様に知られたらお仕置きじゃあ!三○木馬の刑じゃぁぁぁっ!」
「あのね?かのん。グリンゴッツは関係ない……」
「ムチで百叩きにロー○クの刑に……ああっ!ホ○ル踊りはいやじゃぁぁぁっ!!縛られて吊されるほうがマシじゃぁぁっ!!」
「―――かのん、聞いてる?」
「“ぼんてーじ”とかいう人間界の格好したご主人様が妾を縛り上げてムチ片手におっしゃるのじゃぞ!?”跪いて靴をお舐め”と!ああっ!その度に妾がどれほど―――あたっ!!」
パカンッ!
留置場の中に神音の悲鳴と軽い音が同時に響いた。
「?」
何とか隣を見ようとするが、当然、見えはしない。
ただ、
「ご、ご主人様!?」
という驚きを隠せない声だけが、何が起きたかを知る唯一の術だった。
「おばあ、ちゃん?」
壁越しに凄まじい殺気が水瀬を襲う。
まともに受けているかのんはたまらないだろう。
「かぁぁのぉぉぉんんんんん?」
地獄の底から響くような声が場の空気を凍り付かせる。
「ご、ご主人様、これはその―――」
居住まいを正し、弁明を試みるかのんを前に、引きつった笑みを浮かべるかのんの主、神音だ。
「誰が、コスプレして、あなた相手に楽しんでいることをしゃべっていいと?」
「そっちですか!?」
「さぁいらっしゃい!商品を盗まれ、人間界で騒ぎを起こした罪!その体で支払ってもらいましょう!」
いいつつ、かのんの首根っこを掴むかみね。
「いやぁぁぁぁっ!恥ずかしいのじゃぁぁぁっ!」
「あ、あの、おばあちゃん?」
「あら水瀬、お久しぶり」
声色だけは普段通りになるかみね。
「――あの、事情を説明して頂けないでしょうか?」
そういう水瀬に、神音はにべもなかった。
「また今度ね?今日はね?この子に隷従と被虐の悦びをたたき込むという大切なお仕事が―――」
「セーラー服着て先輩後輩プレイも、看護婦プレイや小児科プレイも!とにかく恥ずかしいからイヤじゃ!ご主人様、せめてノーマルで!」
ガンッ!
ひときわ大きな音がして、ついにかのんは沈黙した。
「あ、あの……?」
「―――コホンッ。水瀬」
「はい?」
「今までのこの子の発言は、全て忘れなさい」
「は、はぁ」
「そうしたら、耳寄りな情報を教えてあげます」
「耳寄りな情報?」
「申し入れは受け入れてくれますね」
「じゃ、まずその情報を」
「受け入れてくれますね?」
「っていうか、おばあちゃん、どこから」
「う・け・い・れ・て・く・れ・ま・す・ね・?」
「……はい」
逆らうと無事では済まない。
水瀬はそう、判断した。
「じゃ、水瀬。また後日改めて。ああ、さっき樟葉だっけ?あの子が警察署に入ったわよ?」
●葉月警察署内 射撃訓練室
銃声が響き渡り、水瀬の耳元に着弾した。
「わーん!樟葉さん!ひどいよぉぉっ!」
泣き叫ぶ水瀬はワイヤーで縛り上げられ、お腹の当たりに大きな的を貼り付けられていた。
「うるせぇ!始末書だけじゃ飽きたらず、警察の世話になるたぁいい度胸だ!」
銃声。
樟葉が水瀬という的めがけて撃った音だ。
的にこそ当たっていないが、当てようとすれば当たる位置に着弾させている、つまり、わざと外していることだけは確かだ。
「近衛の恥をどこまでさらす気だ!?」
銃声。
「せめて訳を聞いて下さぁい!」
「オトコが言い訳するな!」
銃声。
●葉月警察署 特殊事件捜査班内
「これが、犯人だと?」
「はい」
難しい顔で目の前に出されたものをにらみつけるのは、岩田だった。
「これが、どのように?」
「これです」
そう言って、符がはられた筒から何かを取りだしたのは、着物姿のルシフェルだった。
「?」
岩田には、それが何だかわからなかった。
何かの童話に出てくる、バカには見えない糸でも出されているような、そんな気がした。
「手にとってみてください」
「どれ?」
手の上に落とされたのは、細い糸だった。
かなり細い。太さは直系で0.5ミリ以下だろう。
「?」
引っ張ってみるが、かなり強い。
「この釜の中にいるモノがはき出した糸です」
「これで人間を細切れにしたというのか」
岩田の目の前には、星羅によって封印された茶釜が置かれていた。
周囲は、ルシフェル目当ての男子職員が壁を作っている。
「呪具、か」
触りもせず、ただ茶釜を見つめるだけの岩田。
「封印はしていますが、破壊は困難です」
「コンクリートで固めて日本海溝にでも沈めてしまうか」
「取り決めに基づき近衛で管理します。今日は、説明だけ」
「取り調べも出来ないのか?」
「茶釜相手に?」
少し驚いたという顔のルシフェルから視線をそらし、岩田は黙った。
「ったく、第三種事件というのが、これほど厄介だとはな」
「今回の一見に関し、被害はなし……といいたいのですが」
何故か、ルシフェルが肩を落とした。
「何か、あったのか?」
「茶室からキツネの面が消えました」
「キツネの面?」
「はい。茶道の先生の母上が数十年前、購入したのを壁に飾っていたそうです。それが忽然と」
「……君が盗んだと?」
「いえ。さすがにそうは思われていません。師匠自身、偶然気づいた程度で、無くなっても困りもしないそうですが……気になったので」
「わかった。他にも気づいたことがあったら適宜教えてくれ」
「今後、調査等につきましては、協力するものと聞いています。とにかく、水瀬君の釈放を認めて頂きたく」
「―――わかった。といいたいが」
ちらりとルシフェルを見る岩田。
「何ですか?」
岩田は理沙がいないことを確かめたあと、居並ぶ男子職員を代表して訊ねた。
「どこの飲み屋で働いているんだ?一度、顔を出したいんだが」
●葉月警察署駐車場
「ったく、あのバカ息子!」
リムジンの後席で、樟葉が怒り心頭のまま言った。
「警察に捕まったなんて聞いたから、何事かと思ってきてみれば!」
「―――まぁ、水瀬君のしたことは警察への協力ですし、水瀬君のおかげて持ちつ持たれつの関係が維持されていると考えれば」
「……姉として心配したのよ」
ポツリと呟く樟葉。
「姉として?」
「私生活じゃただでさえ危なっかしい子だから、いつだって心配してるのよ?これでも」
「私だって、戸籍上は水瀬君の姉です」とルシフェル。
「まあ、あんたのおかげで少しは心配が薄れて楽なんだけどさ」
「で、お互いにとって不肖の弟の件ですけど」
「?」
「トランクから出してあげませんか?」