第二話
●夜 東京都千代田区某所
「あの頃、茶器にはもの凄い意味があったのよ」
訊ねてきた水瀬達を前に語り出したのは、萌子の母親だ。
とても東京都内とは思えないほど広い和室の真ん中に差し向かいで座る二人から手みやげを受け取った萌子の母親は、嬉しそうに包みをほどきにかかり、母親の横に座る萌子が顔をしかめた。
「茶器一つが一国に匹敵する意味を持つといえば、考えられる?」
あら。芋ようかん?私、大好き。
萌子の母親はどこからか短刀を取り出してその場で切り始める。
「博雅君―――いえ、友人から聞きましたけど」
あの短刀、たしか国宝だったなぁ。と、水瀬は困惑気味の顔で訊ねた。
「いつのことです?」
「天正年間あたりかしら?」
「?」
「俗に言う戦国時代ですか?」
「最近ではそう呼ぶわね」
萌子の母親は、同じることなくお茶を二人に勧めた。
「あの当時、私と私の率いた一団は、その値打ち物を求めて、戦場を渡り歩いていたわ。本能寺に忍び込んで、大量の茶器をノブさんから横取りしたあの時の爽快感は、いまでも忘れられないわ。まさかミッチーがああいう行動に出るのは予想外だったけど」
いい証拠隠滅になっちゃった♪と萌子の母は笑った。
「ノブさんとかミッチーって?」
「多分……織田信長と明智光秀のこと。違います?」
「そうですよ?ミッチーの軍勢が邪魔だったから、ちょっと唆したらノブさん殺しに行くんだもん。びっくりしちゃった」
「……本能寺の変」
「懐かしいわぁ」
どうですか?と、どこから出したのか、小皿に載った芋羊羹とお茶が水瀬達の前に出された。
「でも、それだけの値打ち物でも、たかが茶釜でしょう?タヌキが出てくるわけでもなし」
「お兄ちゃん、それ違う茶釜」
「似たようなものよ」
「へ?」
「その後、ヒマだったし、材料たくさんあったから、天保の大飢饉の時に魔導実験したのね?」
「魔導実験?」
「そこら辺に転がっている死体、たくさん集めて妖魔を作る実験。出来はしたんだけど、それを封じておく適当な器がなかったから―――当時はもう、茶器の価値も急落していてね?これでいいやって、その茶釜を使ったのよ」
「……」
「……」
「……」
「あれは私の最高傑作の一つ。もったいなくてとっておいたはずなんだけど」
「で、その妖魔って?」
「蜘蛛よ」
「蜘蛛?」
「そう。糸を吐くアレ。平蜘蛛の茶釜に蜘蛛の魔物―――因果ねぇ」
うっとりとした母の前で、萌子は呟くように言った。
「……因果を作ったのは誰よ」
●京都府内
事件は2週間後に起きた。
犠牲者は茶道教室の先生で、武田という女性。
事件の直前、武田は一人で茶室に入ったという。
弟子の一人が、茶菓子を持って茶室に向かう途中、茶室からの悲鳴を聞きつけ、茶室に入った所で現場に出くわした。
「―――何をどうやったら、ここまでのことが出来るんや?」
京都府警の堀警部は、赤く染まった茶室を眺めながら呆れたような口調で言った。
「この狭い中で人間を粉々にするやと?」
「切り刻んだ。と言う方が正しいです」と部下の飯田が言った。
「死体には生前に切断された痕が」
「じゃ、どうやってや?刀で切り刻んだとでもいうんか?」
「それが、ヘンなんですよ」
「何がや」
「いえね?検死医の神田センセが言うには、切断の痕は、みんな生前につけられたものだっていうんです」
「それがどうした?」
「生きたままの人間を、短時間に、粉々にするなんて、不可能ですよ」
「騎士なら出来るやろが」
「この狭い茶室で、どうやってですか?」
確かに天井が低く、これでは刀は振るうことは出来ない。
「何やろな……で、なくなっているモノは?」
「それが」
「何や」
「茶器は一通りあるのに、なぜか肝心の茶釜が、ないんです」
「はぁ?」
●京都某撮影所
「はいカット!」
撮影は順調だった。
何しろ、今回は綾乃をヒロインとしたチャンバラ物。
瀬戸綾乃時代劇初挑戦とあって、話題性も十分な上、こうも撮影が順調なら、事務所としてもこれに勝る嬉しいことはそうない。
「はぁ、これで後は夜に一杯、どうです?」
綾乃の所属する事務所から派遣されてきた新井が、助監督に意味ありげな笑みを浮かべながら誘う。
「河原町に店、とってます」
新井の含む所がわかる助監督は、苦笑に顔を歪めた。
「新井はん、お好きですなぁ」
「これがなくて、何が楽しみですか」
カンッ
笑った拍子に、新井の足が何かに当たった。
「ん?」
「何です?」
新井と助監督がのぞき込んだのは、時代劇の小物が雑然と積まれた棚の下。
よく見ると、茶釜だ。
「何でこんなものが?」
「タヌキが化けてるんですかねぇ」
「はん。ま、いいですわ。ヤカンのかわりになるでしょ。もらっていいですか?」
「東京までもってくつもりですか?」
「こんな所に放り出してあるってことは、不要品でしょ?近頃、鉄分不足なんで」
「―――ま、いいでしょ」
●一週間後 東京都葉月市内
「で、どういうこと?」
鑑識の合間を縫って現場入りした理沙は、血まみれの台所を一瞥した後、部下に聞いた。
「何?近頃、この辺じゃこういう事件が流行なの?」
「知りませんよ。―――ああ、犠牲者は台所で何かしようとして、そこを殺されたというところですな」
「台所で切り刻まれた理由と方法は?」
「不明です。―――あ、犠牲者は池田里奈子25歳。職業は美容師。モデルのメイクを手がける事務所に所属しています」
「交友範囲を洗って。それから、現場からなくなっているものは?」
「それが、警部補」
部下の一人が、理沙を台所のコンロに案内した。
「コンロがついたままです」
「コンロが?」
「ええ。第一発見者は、害者と同棲している新井貴文36歳、職業は芸能プロデューサーです。タバコを買いに出た帰りに、事件に遭遇したといっています」
「アリバイは?」
「マンション、コンビニ、町内の防犯カメラ、すべてに映像が残っています。時間的にはあり得ません」
「新井に、コンロがつきっぱなしな理由は確かめた?」
「それが―――」
部下は困惑した顔で言った。
「ヤツは、コンロには茶釜がかかっていたというんです」
「茶釜?」
「はい。京都の撮影所でもらってきたもので、鉄で出来たヤカンの代わりになるかもしれないって、水を入れて火にかけていたそうで」
「はぁ?」
●同じ頃 月ヶ瀬神社 水瀬邸
その頃、水瀬達は、依頼者まで含めて、茶釜の存在を忘れていた。
「あればあったでそのうち出てくるでしょうし、もしかしたら、廃品回収に出しちゃったかもしれないし」
肝心の萌子の母親が、そう言い切ってしまったのだ。
―――何か厄介な代物だけど、実害がなければいい。
手がかりどころか、今の時代、本当に存在するかわからない代物を一々探す程、水瀬達も酔狂ではない。
むしろ、今この瞬間が事件と言えるほど、騒ぎが多い水瀬達の年頃では、とくにそうなる。
「遅い」
水瀬邸の縁側で、そう呟いたのは博雅だ。
長野の水瀬本家の倉の中から古い雅楽の楽譜が出てきたと聞いて勇んで来たというのに、肝心の水瀬が「制服に着替えてくるね」と姿を消してからすでに10分以上。
男の着替えにしては遅すぎる。
楽しみにして来たというのに、あいつは何を考えている。
「ったく、あいつ、何をしているんだ?」
笛を袋に戻した博雅は腰を上げると、水瀬の部屋を探して歩き出した。
歩いてみると、意外と広い。
幾度か角を曲がった先、襖の向こうからごそごそと音がする。
ここが、水瀬の部屋らしい。
「おい水瀬!」
博雅は、声をかけながら、襖を開けた。
ノックもしないて……。
●同じ頃 水瀬邸ルシフェル私室
ルシフェルは、茶道教室に通うため服を脱いだ。
着物の着付けは、練習したおかげで一人で出来るようになった。
だが
「……」
着付けの本に書いてあった。
下着は着けるとラインが出る。
見られたいものではない。
ルシフェルは、タンスを開くと、一番奥に隠すようにいれてあった一枚を取りだした。
これならラインが出ないだろうけど……。
ルシフェルは、それをみつめながら唸った。
もし、何かの弾みで博雅君にこんなのをつけているのを知られたらどうなるだろう。
誤解されるだろうか。
軽蔑されるだろうか。
しかし―――。
ルシフェルは鏡の中の自分を見て覚悟を決めた。
私だってオンナだ。
これをつけてもいい位の年頃だ。
よし。
ルシフェルは意を決してそれを身につける。
ちらと鏡に映った自分の姿を見るが、やはり何だか恥ずかしい。
自分が好色な女になったようでいやだ。
やはり今すぐにでも別な下着に取り替えたい。
でも、ラインが出て、それを指さされるなんてこともごめんだ。
ようは、知られなければいいんだ。
そう思い直したルシフェルが長襦袢に手を伸ばした時。
ガラッ
不意に襖が開くと同時に、唯一見られたい(本心)、最も見られたくない(建前)相手が顔を表せた。
「おい水瀬!」
「……」
「……」
しばし凍り付いた二人は、しばらくの間、凍り付いていた。
そして、それが理解できた時――。
博雅の視線は、全裸に近いルシフェル、こと、やたらと色っぽい下着に釘付けになった。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
胸を隠してうずくまるルシフェルにも、その悲鳴すら、釘付けになった彼の視線を外すことはできなかった。
あくまで博雅の視線は、ルシフェルの白い肌に描かれたTの字に食らいついて放そうとはしなかった。
「あ、ご、ごめん!」とはいうものの、だ。
「で、出て行って!」というルシフェルの言葉も意味は成さなかった。
「あ、ご、ごめん!」
「せめて見ないで!」
「あ……ご、ごめん」
「これだけ頼んでも聞いてくれないの!?」
ガンッ!
手近にあったものを片っ端から投げつけるルシフェルの攻撃を受け、博雅はやっと部屋から出て行った。
「どうしたの?」
廊下の角から顔を出したのは、お茶を持った水瀬だった。
「ルシフェの悲鳴が聞こえた気がしたけど」
「あ、ああ、なんでもない」
頭にひっかかったものをむしり取った博雅は、そう言って水瀬を押しやって縁側に向かった。
「?」
「ち、ちょっとな」
無意識に手にしたものをポケットにねじこんだ博雅は、水瀬に作り笑顔を浮かべ、何とかごまかそうとした。
「博雅君」
「?」
「鼻血、出ているよ?」
「テッシュ、あるか?」
「……」
「……」
しばらくした後、着物姿で出てきたルシフェルを、博雅は軽く100万回は惚れ直していた。
青を基調とした落ち着いた中に、ルシフェルの秘めた華やかさが醸し出されている。
それは、どんな芸術家だって具現化させることは出来まい。
そのあり得ない美が、博雅の目を釘付けにして離さない。
「ねぇ……博雅君、何かいってあげたら?」
「えっ―――あっ、ああ―――」
水瀬に促されたものの、言葉が思いつかない。
「惚れ直した?」
「もちろん―――って、何を言わせる!」
「だってさ。よかっね、ルシフェ」
しかし、二人は顔を合わせようとしない。視線を合わせられないのだ。
そういうことにとことん鈍い水瀬は、不思議そうに言った。
「どうしたの?」
「な、なんでもない」
「ふぅん……あ、ルシフェ、遅れるよ?」
「う、うん……」
ようやく、ちらっと博雅を見たルシフェルが小さく、呟くように言った。
顔も声も痛々しいまでに涙ぐんでいる。
「……エッチ」
それを聞いた博雅は言下に言い切った。
「せ、責任はとる!」
●水瀬邸 玄関
楽譜を受け取った博雅は帰り、責任ってなんだろう。と、水瀬が考えながら玄関の草むしりをしている時だ。石段を上がってくる女性がいた。
「あれ?」
「お久し」
理沙だった。
「珍しいね。どうしたの?」
立ち上がり、タオルで汗をぬぐった水瀬に理沙が答えた。
「ちょっと頼みがあってね」
「減棒の取り消し?」
「違うわよ」
理沙はバックから写真を撮りだした。
「ちょっと、厄介なヤマがあってね?力貸して欲しいの」