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有栖川の災難  作者: 花南
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「卵ってさ……」

 久々に友達が遊びにきた。酒を飲み交わすにもつまみがないのは、とごねられたので、仕方なくチーズオムレツを作った。

 そんなときに桐島が言った。

「無精卵なんだよね」

「そりゃ、そうだろうね」

 何を言い出すんだろうと思っててきとうに相槌を打つ。

「いわば、命の残骸なんじゃない?」

 桐島はそう言って笑い、そうしてオムレツを美味しそうに食べた。僕は少しだけ食欲が落ちたため、桐島がその分美味しくいただいた。

 桐島は二時間くらい飲んで自分の家に帰った。

 テーブルの上にはオムレツを食べたあとの皿が残っている。食器を洗いながら、桐島の声がリフレインした。

――卵ってさ、無精卵なんだよね。

 子供は孵らない、命の残骸でしかない、卵。

 手が止まり、電球を仰いだ。

 そうして少しだけ、命の宿った卵のことを考えてみた。

 だけど僕は有精卵を見たことがなかった。卵と聞くと、死んだ命しか知らなかった。

「なんだかなあ……」

 つぶやく。だけど卵は好きなんだけどね。


***

「有精卵の卵って見たことある?」

 次の日、妹に聞いてみた。

「ゆうせいらん?」

 ミチルはどういう字を書くかよくわからないと首をひねっているようだった。

「命の宿った、卵」

 すると彼女は冷蔵庫の卵を取り出して、しげしげと見つめて、そうして言った。

「メンドリってさ、あんなに小さな体しているのに、どうして卵をあんなに産めるんだろうね」

「は?」

 言っている意味がわからず、聞き返す。

「どれくらい卵が詰まってるんだろ」

 妹はどうやら、メンドリの体いっぱいに卵が詰まってると思っていたらしい。

「お前、幾つだ」

 結局命の宿った卵については、謎のままだった。


***

「千木くんの料理って美味しいよね」

 そうして、卵についての謎が解けることもないまま、次の友達たちが遊びにきた。

 幼なじみの今村姉弟だ。

「千木くーん、芋焼酎ちょうだい」

「じゃあ僕はビール。麒麟のほうね」

 この姉弟はともかく酒飲みだった。弟はぷかぷかと烟草をふかしながら、姉はぱくぱくと煮物を食べながら酒を飲んでいる。

「千木くんも飲みなよ。私が料理作るから」

 そう言ってエプロン片手にかおるが立ち上がった。

「作りすぎないようにね、姉さん」

かたるが少食なだけだよ」

 そうして卵とチンゲン菜を取り出した。中華かな? と思いながら自分は日本酒を手に取る。

「タッちゃん元気ないね」

 語はビールを片手に、僕を覗き込むようにして言った。

「彼女にふられたんだ?」

「いや、ふられていません」

「じゃあ最近ご無沙汰なの?」

 にやにやと笑いながらビールを一口。彼の声は酒を飲むとひときわ低くなり、少しだけ卑猥な響きになる。

「何か悩みがあるんだったら言ってごらんよ。聞いてあげようじゃあないか」

「有精卵って見たことある?」

「有精卵? 受精した卵ってことだよね」

「うん。僕は見たことがないんだ」

「最近はスーパーとかにも有精卵が売られているらしいよ。取り寄せてみたら?」

 そうなんだ。でも、有精卵を取り寄せてみたいところまで興味が湧いているかっていったら、そういうわけでもないんだけれども。

「友達がね、無精卵は命の残骸だって言ったんだよ」

「へえ。詩人だね」

「そう捉えるか。僕は食欲失ったけど」

「鶏が毎日卵を産めるのはそういうふうに品種改良されているからだよ。毎日命の残骸を産み落としているというわけ」

 僕は答えなかった。

「本当は、産みたくない産みたくないって思いながら、産んでるのかもしれないよね」

「……そうだね」

「それとも排泄するような感じで産んでいるのかな」

「だとしたら、なんか嫌だなあ」

「なんで? 生々しい話だけど、女の人だって定期的に生理になるでしょ」

 語が姉の背中をちらりと見て、そして視線を戻す。僕の中で少しだけどろりとした赤いものが動くような気がした。

「創作してみたら? タッちゃん」

 そう言って語は近くにあったルーズリーフを一枚僕にくれた。

「即席でいいんだよ。かるーくね」

 何か作ろうとしたとき、鼻にオイスターソースの匂いがした。あと鶏がらスープの香りもした。卵と親、共々料理されているんだなあ。そんなことを考えた。


「料理できたよー」

 卵とチンゲン菜と木くらげの中華炒めを作って、薫が登場したときはルーズリーフとにらめっこしている最中だった。

「どうしたの? 千木くん」

「創作モードに無理やり突入させたんです」

 弟の声が隣で聞こえるが、顔は見てない。僕はルーズリーフを睨んでいた。

「まとまらないの?」

 薫がそう言ってルーズリーフを見ようとした。とっさにぐしゃぐしゃに丸めて、「まだまとまってないから」と僕は言う。

「見たいなあ、千木くんの新ネタ見たいなあ」

 薫は何度もそう言った。

 仕方なく、くしゃくしゃに丸めた紙を広げる。



 排泄される感情


 赤黒い塊が排泄される

 私の一部だった、何か

 命になりそこねた、私の一部

 どろりとした私の中の嫌な部分を

 なぜ排泄しなければいけないのか

 吐露しなければ落ち着かない

 固まってもいない、命になりかけの感情を

 私は紙に落とす

 私は 紙に落ちたそのどろっとした塊に

 恨みがましくこう言われる

「何故わたしを産んだの?」

 私は黙りこみ、涙が出てくる

 わからないよ わからないよ

 私は あなたに命を吹きこみたかったの

 それだけは理解していてね




「あー……」

 最初に唸ったのは薫のほうだった。

「女性的な詩だね」

「詩の残滓って感じだね」

 今村姉弟は口々にそう言った。

「でもさ、千木くん。私たちも創作するけど、インスピレーションっていうのは、みんな命の欠片なんだと思うよ。まだ命は宿っていないかもしれない、無精卵かもしれないけど、温め続けたらいつかヒヨコや象さんが産まれてくるかもしれないんだよ」

 薫はそう言って、ルーズリーフをきれいに伸ばした。

「だから没だと思っても、大切にしたほうがいいんじゃない?」

「ま、姉さんのネタは僕的には没っぽいの多いけれどもね」

 語はそう言って笑い、思いついたように言った。

「じゃ、来週までに、『命のカケラ』でショート一本ね」

「なにそれ。一週間で書けないくらい重いものになりそうなんだけど」

 薫がぶう垂れながら焼酎を口に運ぶ。

「いいんじゃない? 卵を命の残骸と捉えるか、命の欠片と捉えるか」

 語は面白いネタだと捉えたみたいだった。そうしてみんなで中華炒めを食べながら、酒を飲んだ。

 僕は頭の中で、命のカケラという言葉と、さっき産み落とした感情の残骸について考えていた。

 あたためれば、何か孵るんだろうか。

 ただの排泄した感情から、何か別のものが生まれるなんてことはあるのかな。

 僕は僕らしい小説や詩が書きたい。それがただの小説のなりかけだとしても、だ。

「あ、千木くん笑った」

「エロいことでも考えていたんじゃあないでしょうかねー」

 今村兄弟が僕のことをからかうようにそう言った。次第と気分は楽しくなってきた。


(了)


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