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第1章 彼方へ(7)

「そういえば、ディルク様が後でこちらに立ち寄られると仰せでした」


 シェリルが急に思い出したようにそう言った。


「もう戻ってきたの? あの人」


 マリーの言葉に、唐突にその声は響いた。


「……参ったな。どうも俺の帰りは待ち焦がれてもらえないらしい。遠い異国まで出かけても……これじゃあ淋しくてたまらないな。せっかく帰ってきたのに」


 マリーとシェリルが振り返ると、そこには一人の青年が革製の鞄を下げた姿で立っていた。


「やあ、壮観な眺めですね、これは。すごい箱の山だ」


 笑顔で青年ディルク・ユンカーがそう言った。


「ディルク様! 」


 シェリルが声を弾ませて、その名を呼んだ。


「……帰ってくるなり、すごい嫌味ね。本気? 」


 マリーからのお世辞にも好意的とは言い難い、言葉と視線を浴び、ディルクが苦笑した。


「冗談だよ、マリー」


「あちらの国は如何でしたか? 」


「アドルフ様の名代は緊張したよ。大変な話だったし。でも俺なんかに任せてもらった以上は期待に応えないとね。おかげで何とか話もまとまった。上手くいきそうだ」


「そう……。でも、早すぎなくらいじゃない? 」


 マリーの問い掛けに、ディルクは顔をしかめながら口を開いた。


「いや、あれ以上は御免こうむりたいくらいだ。何せ厄介な人達が多くてね。気が休まる間も無かった」


「だからあなたが行かされるのよ。いいようにこき使われて……面倒なのも何時も一人でこなしてしまうから、押し付けられてばかりいるじゃない」


「東の軍には、元帥ヴィルヘルム・クリューガーがいる。周りの国の方々が不安がるのも無理ない話さ。協力を請われるのは、こちらとしても悪い話とは言えないからね。繋がりは大切にしておいて損は無いから」


「あなたは事前の調整役には向いているのかもしれないけど、しょっちゅう小間遣い同然の扱いをされてて嫌にはならないの? 」


「どういう形であれ、俺が必要とされているのならば行くさ。何処まででも」


 ディルクは不意に何かを思い出したように、鞄を床に下ろすとそこに手を入れ、中を探った。


「ああ、そうだった。これは君にお土産だよ、シェリル」


 ディルクはそう言って、色とりどりの花があしらわれた木製の飾り櫛を差し出した。


「私にですか。すごく嬉しいです」


 シェリルは俯き加減で恐縮しながら、何度もお礼を繰り返していたが、急にはっとしたように顔を上げた。


「ああそうだ。私、忘れてました! 今日は厨房の手伝いに行かなきゃいけないのに! 」


 そう言いながら、シェリルは慌ただしい様子で部屋から出て行った。


 シェリルが去ったのを見届けてから、ディルクはもう一度鞄を床に据えると、再びその中に手を入れた。


「マリー……少しいいか? 」


 その声にマリーは箱の山を片付けていた手を止めて、ディルクの方を見やった。


 近付いてきたディルクを、マリーが顔を上げて見上げる。


 ディルクは握りしめていた手を解き、そこにあるものをマリーの前に差し出した。


 きらりとした光がマリーの視界に入った。


「……なるべく早く帰ってきたかった。早くこれを渡したくて」


 ディルクの手の中には、深い青を映し出す小さな石が埋め込まれた銀の指輪が入っていた。


 マリーが目を瞠った。


「あなたの眼と同じ色だと思ったんだ。これを見つけてから無性に帰りたかった。だから早く色々と片付いた気がする」


「ディルク……わたし」


「気にしなくていい。受け取りたくないならいいんだ。あなたが俺をそういう対象として見ていないのはよく分かっている。この指輪になんの意味も込めなくてもいい。無理強いするつもりは無い」


 ディルクはそっとマリーの手を取り、その掌に指輪を握らせた。


「俺はあなたを護ると決めている」


 マリーは戸惑いながら俯き、思わず手の中の指輪に視線を向けた。


 その時、ディルクが僅かに腰を落とし、マリーの耳元で囁いた。


「許されるなら何度でも言おうか? 俺の気持ちは変わらないから」


 マリーはたちまち頬を紅潮させ、堪えられなくなったように後ずさった。


「やめて……お願いだから、ディルク」


 精一杯そう呟いたマリーの声は震えていた。


 無意識に自身の手を握りしめた時、そこに感じた指輪の感触に、マリーの鼓動は高鳴っていった。


「これは……このお土産はちゃんと貰うから。だからお願い……」


 哀願するようなマリーの言葉に、ディルクは苦笑いした。


「なんだか、俺が苛めているみたいになってしまったな」


 マリーは恨みがましい眼差しで、ディルクを見た。


「……これの何処がそうじゃないのよ? 」


 マリーのやや非難めいた言葉に、ディルクが笑った。


「悪かった。ただ……帰ってきて本当に嬉しかったんだ。だから、つい」


「……」


 マリーはディルクが自分へと向けてくる眼差しを見つめ返すことが出来ずに俯いた。


 そんなマリーの前でディルクは周囲を見回すと、ほろ苦い表情で言った。


「情けないが今の俺にはこんな高価なものは、あなたには何一つあげられない。それが時々どうにもならないほど悔しくなる。力も無い上に足りないものばかりだ。だがそれを埋められるように少しでも前に進むしかない」


 そこまで言うと、ディルクは一旦言葉を区切り、思い直したように顔を上げた。


「片付けなければならないことがまだ残っているから、今日はこれで帰るよ」 


 俯きながらそう言って、ディルクは部屋を後にした。


 一人残されたマリーはその場に立ち尽くしたまま、自らの掌の中をそっと開き、そこを見つめた。


 そうして目を閉じると、決して記憶の中から消えることが無い一人の少年のことを思った。

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