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第3章 流浪の果て(15)

 シンとマリーの二人は監禁状態に置かれていた軍人、ジーク・アストリーを開放し別れを告げた後、終焉牢の更に奥を目指し進んでいた。


「この牢獄はある場所と繋がっている。……元々この一帯は、自然に造られた洞穴が幾つも口を開けていて、それが長い時を経る事で繋がった、そんな土地だ。この牢もそれをそのまま流用しただけに過ぎない……この先にお前に見せたいものがあるんだ」


 湿気を帯びた通路を進みながら、シンが言った。


「ある場所……って何? 」


「……行けば分かるさ」


 マリーの問いに対し、シンは振り返らずに端的にそう言っただけだった。


 シンは暫く慣れた様子で終焉牢内部の通路を歩き、壁の一部が大きく崩れた場所に出ると立ち止まった。


 そこは牢獄の壁が内側から何かのはずみに崩落した場所らしく、この牢獄が造られるより遥か前から、この場所に在ったと思しき岩の壁が剥き出しになっていた。


 その抉れた壁には一部ぽっかりと横穴が開いていて、シンはマリーにそこを指し示した。


「ここだ、中を見てみろ」


 戸惑いながらもシンに促されるまま、穴の内部に足を踏み入れたマリーは暫く壁伝いに暗がりの中を慎重に歩いた後、突如開けた視界の先に存在していた光景を目にして、呆然とそこに立ち尽くした。


「ここは……」


 そこに存在していたのは、無数の水晶樹林。


 鈍い光を放つ鉱石の結晶に占められた空間だった。


 壁の岩盤の亀裂に入り込んだ僅かな光を乱反射することで、天然の結晶はどれもが淡い光を滲ませている。


「この牢獄の壁が少し前に崩れて思いがけず、此処と繋がった。勿論、当時の俺はこの牢獄の側から入ったわけではなかったが……土地が穴だらけなせいで他にも幾つか繋がっている横穴があるらしいな」


 マリーは自分の首に掛けられた、古い革紐の先に結わえられたものに無意識のうちに触れていた。


 眼前に広がる光景の中にある結晶群と、寸分変わらぬ色彩を放つ欠片に。


 シンはそんなマリーの様子を察して、口を開いた。


「そうだ。……十二年前のあの日、俺は確かにこの場所に来た。……いや、偶然この近くに居たと言った方が正しいか。……国内の情勢が激変し、何もかもが変わりながらもこの場所は破壊されずに残ったままだったらしい。こんな風に来ることになるとは俺も思ってはいなかったが……」


「……信じられない」


 マリーは呟くように、肩を微かに震わせながらそう言った。


「十二年という歳月は長い……だがこの場所は何ら変わらない。大地が刻む悠久の時の流れの中にあっては、人が生涯で数える時間など、ほんの瞬く間の事でしかないのだろうな」


 シンは眼を伏せ、緩やかな息を吐き出した。


 それからシンは、自身の背後に佇んだままのマリーを再び振り返りざまに、口を開いた。


「……マリー」


 マリーは顔を上げ、自らの名を呼んだ青年を見上げた。


「俺はこれまでの歳月を、軍の中に籍を置くことで生きてきた。殺戮とした現実主義だけのその場所で……。その中で死なせてくれと切望し続けながら、同時に生きたいと足掻き続けた自分が常に何処かにいた」


 両手で顔を覆い、シンはそう言った。


「……ひとつだけ聞いてもいい? 」


 マリーは自分よりずっと高い長身の青年を見上げたままの姿勢を崩さず、そう問い掛けた。


「何だ」


 シンは顔を上げ、マリーを見た。


「何故、あんな嘘を……」


 マリーは長身の青年の手に収められたままの、鈍い光を放つ銀の短銃に視線を落としながら言った。


 ―それは青年自らが一度手放し、放棄したはずの銃身。


 そこに存在するはずのなかった、銃弾はあの軍人リオン・グレーデンを貫いた。


 それは青年の言葉が、偽りであったということを意味している。


 マリーの言葉の意図するところを悟ったように、シンは口を開いた。


「……あの少し前から、それまでは上手く抑制されていた自分の感情に、次第に折り合いをつけられなくなっていた。お前を撃つことが出来ないのだと、思い知ったあの瞬間に、俺の中にあった価値観や、これまでの時間と引き換えにして得たもの、その全てが壊れた。だが、それでもこれだけは俺の一部のようなものだ……それを他の誰かに易々と触られたくは無かった……それだけだ」


 シンは視線を落とし、低い声でそう呟いた。


 それから漆黒の髪の青年は、手にしていた銃を手放した。


 役目を終えたようなその銀の銃身は、硬い岩盤にその身を打ち付け、鈍く重い音を立ててながら落下していった。


 そのままシンは空いた両手を伸ばし、マリーの柔らかな頬に触れた。


 微かに揺れた艶やかな金の髪が、シンの指先を滑り落ちてゆく。


 シンは指先に触れた、その透けるような金の髪の一房を捉えた。


 そうして静かに瞼を閉じたマリーの唇を、シンの指がなぞった。


 口付けは、初めは両の瞼に、それから額に……。


 シンの指がそのひとつひとつをなぞるように辿った。


「……抵抗しろよな。無防備過ぎだ」


 シンの苦々しく責めるようなその言葉に、マリーは思わず吹き出した。


「どうしてそんなことを言うの」


「どうしてって……お前……」


 困惑したような呟きを漏らした青年に、マリーは微笑んで見せた。


「相変わらず妙な所だけ、律儀で真面目なのね……」


「……分かったようなことを言うなよ」


 そう言って、苦々しい笑いを浮かべると、シンはマリーを自らの腕の中に引き寄せた。


 ―俺が『これ』を上層部に伝えていたなら、何かが変わっていたのかもしれない。


 マリーを腕に抱きながら、シンは周囲の数限りないほどの結晶群を見ながらそう思った。


 きっかけは、自分の父親が残し国立図書館に保管されたままになっていた、あの報告書の複製を取り寄せた時からだった。


 そこに綴られていたのは、この青水晶が既に一時代前と比べ、相当な稀少鉱物として位置づけられており、天井知らずの価値のあるものとして、取り引きされていたという事実だった。


 だが、無論そんなことを知り得る人間が、この東に自分以外にいるはずがない。


 それを分かりながら、結局自分が上にそのことを報告することは最後まで無かった。


 これだけのものがあれば、資金源が乏しく既に斜陽となっていた軍にとっては相当な後ろ盾となりうるであろうと知りながら……。


 ―目的も理由も失われかけた戦いの為に、この場所を汚されたくなど無かった。


 その時、マリーが視線を上げてこちらを見ているのにシンが気付いた。


「……そういう目で俺を見るな」


 緩やかな息を吐きつつそう言ったシンの言葉に、マリーがすぐさま応える。


「それ、以前も同じことを聞いた気がするけど」


「……確かに言ったな。正直言って、お前のその眼が俺は苦手だ。俺の中にある様々なものを、一気に引きずり出し、尚且つそれを壊しにかかる。手に入れる為に、俺が長い時間を費やしたものを、一瞬で。……その上、本人にはその自覚が全くと言っていい程無いらしい」


 青年のその言葉は、自嘲気味に口元を歪めながら吐き出された。


「マリー……俺の父親があれからどうなったか教えてくれないか? 」


 唐突にシンがそう言った。


 マリーはその言葉に当惑したような表情を浮かべた。


「言いにくいことでもあるのか? 俺はただ事実を知りたいだけだ」


 マリーはシンに頷いて見せてから口を開いた。


「……戻ってきてからあなたが消息不明になって以来、ずっと日がな一日中、東の方角をぼんやりと見続けていて、それが随分長い間続いて……ある日いなくなっていたの」


 マリーは言いにくそうに俯き加減でそう言った。


 そうしてマリーは躊躇いながらも、姿を消す直前に、最後にシンの父親が語っていた言葉を静かに伝えた。


 シンは固い表情でその言葉を聞いていたが、それから取り成すように口を開いた。


「……そんなに暗い顔をしないでくれ、マリー。俺の父親は弱い人間だったが、あの状況では現実から逃げることしか出来なかったとしても、仕方がなかったと思っている。それに……結局死んだはずの俺はこうして生きながらえてしまった上に、教えられた知識を人を殺す為に長く使ってしまった。父親がこの自分を知ればきっと嘆くだろう。だから顔向けも出来ないし、もう行方を探すこともない、全て終わったことだ。だから忘れてほしい」


 マリーは何といえばよいか分からなくなり、暫くの間俯いていたが、不意にシンが自分をじっと見ていることに気が付き顔を上げた。


 青年の向けてくる穏やかな眼差しに、自然とマリーの頬が微かに赤らんでいく。


「俺はずっとお前のことだけだった」


 そうしてマリーの唇に、シンのそれが重なった。


 深い口付けだった。


 唇を離した青年の指先に、マリーはそっと自身の指で触れた。


 青年は金の髪の娘の手を取ると、そこにもいとおしげに口付けた。


「……俺は何者にもなれなかったな。未来は当たり前にあるものと信じていた時は、本当はお前の願う何かになりたかった。それがどんなものであったとしても……」


 語られたその言葉に、マリーの深い青の色彩を映す両眼から一筋の涙が伝った。


 シンの指先がそれをそっと拭った。


「マリー……俺はお前に言わなければならないことがある」


 そう決意するように告げた後にシンの口から、次に語られた言葉にマリーは自分の耳を疑った。


 マリーの深い青の色彩を映す両眼が、涙で震えていた。


「どうして……何故、そんなことを言うの? 」


 マリーは濡れた瞳で目の前の青年を見て、幾度もかぶりを振ってそう言った。


 シンは腕を伸ばし、マリーの肩を引き寄せると静かに口を開いた。


「……それが俺の願いなんだ」


「嫌……。どうしてそんな自ら死を選ぶような真似をするの。嫌だったら……絶対」


 マリーはシンの胸に顔を押し付け、嗚咽混じりの声でそう言った。


 それからシンはマリーの金の髪に触れながら、淡々と言葉を続けた。


「……ずっと考えていた。俺にとっての本当の終わりとはなんなのか。俺とはなんだったのか。自分が望むことはどこまでも叶わない流浪の果てのような世界だったが……それでも生きてきた。だが、俺はその為に多くのものを犠牲にし過ぎた。これ以上何かを望むことは出来ない」


 シンは遠くを見るような眼差しを宙に向け、更に言葉を続けた。


「だから、最後までこの国の行く末に従い、そこで裁かれよう」


 ―俺はもう一度西へ行く。


 シンはマリーの目の前で、静かにそう語った。


 それは先程のマリーを驚かせた言葉と、全く同じものだった。


 だが、マリーには、それをそのまま聞き入れ、尚且つ受け入れることなど、到底出来る筈もなかった。


 シンが自らの意志を貫き通すということは、同時に破滅を意味することに他ならない。


 何か言いかけたマリーの言葉は、シンの口付けによって封じられた。


 唇を離してから、シンの腕がマリーの身体を強く抱いた。


「永遠になどとはとても言えないが……最後の時まで俺と生きよう。例えそれが僅かの時間であったとしても……」


 その言葉にマリーの鼓動が高鳴った。


 シンの言葉の意味するところは、ひどく身勝手なものだった。


 相手には選択肢を与えず、この男と共に行くということはそれ自体が反逆行為を意味し、同時にマリーの身そのものすら危険に晒す、そういう可能性を孕んでいた。


 それを知り過ぎていながら、シンはあえてそう言ったのだ。


 だが、決して許容しがたい筈の青年の、その言葉の最後に込められた思いにマリーはただ泣いた。


 青年の言葉には、自分を残してゆくという意志が何処にもなかった。


 それがマリーには、涙が溢れそうな程に嬉しかった。


 マリーは込み上げてくる嗚咽を堪え、言葉を無くしたまま俯いていた。


 ややあってからマリーは瞼を閉じて、ごく小さな声でシンの耳元に囁きかけた。


 それはマリーにとっての最後の決断と呼ぶべきもの……。


 耳元に語られたその囁きを、シンは目を閉じて聞いていた。


「もっと声が聴きたい。……聴かせてくれないか」


 シンは微笑を浮かべ、腕の中のマリーにそう囁いた。






「……行こうか」


 マリーはその言葉に頷き、ゆっくりと立ち上がり、長身の青年が目の前に差し出した手をとった。


 互いの指先が触れ、ふたりはどちらからともなく微笑んだ。


 シンの足元に散らばった水晶片が、靴に当たり軽い音をたてて転がっていった。


 再び静寂が訪れ人影の無くなった水晶樹林の中には、鈍い光を放つ銀の銃身と軍の階級章。


 無造作に置かれたその両方だけが、何かを物語るかのようにそこに残されていた。

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