第3章 流浪の果て(5)
「シン・カルヴァート中尉、あなたを第一級の殺人罪で投獄する」
発せられたその声に、マリーは何処か聞き覚えがあった。
シンはマリーを庇うように大地を踏みしめて立ち、声の主の方へと目をやった。
「随分手際がいいじゃないか、お前にしては……」
抑揚の全く感じられぬ声で、シンが言った。
シンの視線の先には、軍の監視下に置かれることになったあの日、マリーに見下すような眼差しを向けてきた、痩せた目付きの悪いあの男が、銃を構えた姿でそこに立っていた。
マリーは周囲から向けられた幾つもの銃口に怯え、無意識に一歩後ず去った。
シンが力無くだらりと下げた手から銀の短銃が離れ、砂埃のけぶる大地に落下していった。
砂塵の大地にめり込んだ銃に、目付きの悪い痩せた男は一瞥を向けてから口を開いた。
「随分と殊勝な態度ですね、てっきり反撃してくるものだとばかり思っていましたよ」
さも意外そうに、わざとらしく大げさに振舞いながら男が言った。
「弾切れだ、もう役に立たん。何より俺に銃を持たせておけばお前は自分でどういうことになるかよく承知しているだろうがな……。俺に銃はもう必要ない」
「殺戮を繰り返し、それだけの価値観しか示せず軍に在籍し続けてきた男がその言葉を吐くとは……。それとも命乞いのつもりか……何にせよ、中尉あなたには失望させられるばかりだ」
痩せた目付きの悪い男、リオン・グレーデンは冷笑を浮かべつつそう言った。
そのやり取りの一部始終を見つめていたマリーは顔を強張らせながら、周囲を見回した。
リオンは驚愕の表情を見せたまま、言葉を失った様子のマリーに、あっさりと言った。
「……あなたは何もご存知ないのでしたな。我々はあなたを救い出す為に、あなたのお父上から言付かった者なのです」
「……何を……」
マリーが呆然と呟いた。
「諸悪の根源であった、ヴィルヘルム・クリューガーは処刑し、既に死亡しています。残りは、あの男の生み出した偏った思考に影響されてきた軍の内部の者達の抹殺を行なわねばこの国に未来は無いに等しい。混乱を増長させるような者達は捕らえ一掃すべきだ」
「そうか……クリューガーは死んだか」
予め予期していた未来を知り得たかのように、息をついてからシンはそう言った。
「……嘘ばかりで塗り固められているのね、あなた達は」
マリーはリオンを睨みつけ、そう言い放った。
「何が嘘だと言われるのでしょう? 私達はあなたのお味方なのですよ。哀れな狂人の手からあなたを西側に連れ帰る為の、ね……この男は自分の味方ですらこうして躊躇うことなく殺す、こういう危険極まりない人間を野放しになど出来るわけがない」
「わたしの命など、本来は価値など無いに等しいのでしょう。所詮取引に使われただけの存在……その程度のことは、このわたしにだって理解出来るわ」
「なるほど、確かに冷静に客観視すれば、そういうことになるのかもしれない。確かに、あなたを連れ戻すことは、あくまであなたの父上と交わした契約の内のひとつだ。あなたがそうして不快に思われても無理からぬこと……」
だが……と言葉を続けながら、リオンがシンを見やった。
「私の憎むべきは、当然のことながらあの男だ。この場で八つ裂きにして殺してやりたい所ではあるが、そういう訳にもいかない。ですからあなたには黙ってここは引いて頂きたいんですよ、姫君」
そう言いざまに、リオンが向けてきた視線に、マリーは背筋が凍るような感覚を感じていた。
以前とは比較にならぬ程の、妄執に憑りつかれ歪んだ精神の深部を露わにした、慄然とさせられる眼差しだった。
「俺が射殺した軍の人間達も、お前にとっては随分都合がいいことだったわけか」
シンは静かにそう言って、更に言葉を続けた。
「……俺を連れて行くんだろう、早くしろ」
リオンが目で合図すると、背後で控えていた無言の男達の集団がシンを取り囲んだ。
「物分りがよいことだ。連れて行け」
「わたしも連れて行きなさい。西に戻ることなどもう望んではいないのだから……。父の名のもとに護られる訳にはいかない」
そう言ったマリーの前に、何人かの兵士達が立ち塞がった。
「……ご理解を」
銃を構えた男達の中の一人がマリーに言った。
「あなたはあの草原に帰りなさい。私は先日招かれ、初めてあの地を訪れましたが、本当に美しい場所でした。あなたと同じようにね。あなたにはあの場所がお似合いだろう」
リオンがマリーを見つめ、そう言った。
「わたしは自分の意志でここまで来たのよ。帰る場所などもう、何処にも無いの……」
「あなたの命にはそれだけの価値があるのだから、そのまま生き続けるがいい」
リオンはそう告げ、懇願するマリーに背を向けた。
シンは幾人もの男達に囲まれながら、一度だけマリーの顔を見た。
何か言葉を発しかけ、微かに開かれたシンの唇は、そのまま何も語られぬまま閉じられた。
「行け」
マリーは次第に遠ざかってゆく青年の姿を、じっと見つめていた。
シンの姿が視界から完全に消え失せてなお、マリーは決してその方角から目を逸らそうとはせず、深い青の両眼から溢れた大粒の涙が砂の上へと滑り落ちていった。
マリーはよろめきながら少しだけ歩き、砂塵の大地に埋まったままの、銀の銃身を拾い上げた。
銃は予想よりずっと重く、ずしりとした感覚がマリーの腕から肩にまで伝わった。
マリーは表面に無数の傷が刻まれた銃身を、そっと胸に抱きしめ、眼を閉じた。
その場に残された兵士達は、半ば困惑したように互いに顔を見合わせた。
それからマリーはゆっくりと立ち上がると、振り返りながら背後の兵士達に一言こう告げた。
「……行きましょう、西へ」