第3章 流浪の果て(1)
―薄暗いその部屋から漏れ聞こえてくるのは、数人の男達の低い声だけだった。
部屋の中央に置かれた、簡易的で飾り気の無い、古びた燭台に立てられた蜜蝋製の蝋燭のか細い炎だけが極秘裏にそこに集まった人間達の影を、ぼんやりと浮かび上がらせていた。
元々この部屋自体は狭い。
その上、今や複数の男達が吐き出す呼気と熱気によってひどく蒸し暑く、殊更に室内は不快感を増していた。
だが、男達は肌を通して感じるそうした人いきれにも一切構わず、自分達にとって『必要不可欠な説得』を苦心しながらも続けていた。
「……我々はあなたのお力になりたいのです」
蝋燭の燃える灯りに、顔を照らし出された一人の男が言った。
「現状維持が不可能であることは、あなたも承知されているはずだ。諸国からの影響が甚大になりつつある今、奴はそれを利用しているだけに過ぎぬと言うが、詭弁だと言う他無く、目的が他にあることは既に明白……」
「……の内部では、あの者が恐怖によって周囲の者等を黙らせているだけに過ぎない」
密室に集った男達は、ただ一人の男の決断をひたすらに待ち侘びていた。
だが回答を求められた側には、未だ若干の迷いがあるらしく、この話し合いの開始から既に数時間が経過した今も、男達が満足するような具体的な答えについては何も返されてはきていない。
男達は進展の見えぬやりとりに次第に焦れ、同時に声色には何処か疲れも入り混じり始めていた。
「あなた方がそうして幾ら口を揃えようとも、こちらが今回受けた打撃は、簡単には言葉に出来ぬ程、深刻なものだった。それを……」
そう言って、男はまた先程までと同様に眉をひそめた。
「……あの者に飼い慣らされた愚者が行なった蛮行なのです。それにあなたもその手に取り戻したいものがお有りになるはずだ。悪い条件では有りますまい」
「……ご決断を」
興奮状態で返答を急かしてくる男達の前で、決断を迫られた側の男は、暫くの沈黙の後に口を開いた。
「……分かりました。私の考えとは相反するものも大きいが、今は状況が状況でこちらも分が悪い。あなた方と手を組む道以外、私にも他には手段が残されていないようだ。此度の戦闘で我々は未だかつて無い程の致命傷とも言える傷を負った。内部は混乱したまま、収拾がつかないでいる」
「……流石は聡明な御方だ」
周囲を取り囲んでいた男達は、待ち続けていた答えを口にした男に次々と賛辞を述べた。
崩壊は既に始まりつつあり、十二年という歳月の間に蓄積した憎悪が、一気に噴き出そうとしていた。
「……我々からお前に下す命は以上だ」
自身に突き付けられた言葉に対して、シンには直ぐさま返答を返すことが出来なかった。
それはシンが呼び出された部屋に足を踏み入れ、敬礼した直後だった。
軍上層部の男達から通告された、その『伝達事項』にシンは思わず言葉を失った。
「……」
「もう一度念のため繰り返す、マリー・オーウェンを処刑しろ。執行するのはお前だ」
硬直したシンの前で、男の言葉は更に続いた。
「その目的と理由が何であるかについては、お前自身が既に理解していることだろう。現在軍内部に広まっている、お前に対する噂を。もっとも我々はこれまでの働きを踏まえ、お前がアドルフ・オーウェンと内通し繋がりの有る者とは毛頭考えてはおらん。だが、そういった不穏因子は全体の統率に対して著しい障害になり得るのもまた事実。看過することは出来まい」
「……」
「元々西側生まれのお前を問題視する声が以前からあったのは周知の通りだ。だが、今回はそれとは比較にならぬほどの重大なものと捉えている。よって我々は今回の問題について、どの様な措置をお前に与えるかについて、熟慮し議論を重ねた末、今回の決定に至った」
この部屋の主であるヴィルヘルム・クリューガーは、上層部の男達の背後で独りゆったりと椅子に掛けたまま沈黙を守っていた。
「……ひとつお聞きしてもよろしいでしょうか? 」
男達のひとりが怪訝そうに僅かに眉を上げた。
「何だね、カルヴァート中尉」
「……及ばずながら申し上げます。あの娘は西側の人間達への、いわば切り札としてここへ連れてくるよう、俺が命を受けました。境界を越える際にはこちら側も相当な打撃を受けています。それを……」
「あえて今お前が詮索するような事柄は何も無い。お前は何時も通りに与えられた命を、忠実に遂行する者であればよい」
シンの言葉を遮るように、別のもうひとりの男がそう言った。
「我々からのお前に対する命令は至極単純なことだ。処刑は明後日、つまりは三日後。お前が行なうのだ」




