第2章 護り石の再会(16)
その日の夕刻近くになり、マリーは軍の拠点の入り口近くを偶然通りがかった。
西日が軍の建物全体を赤く照らし出し、薄暮時特有のぼんやりとした感覚が視界を鈍くさせていた。
そこで、マリーは思わず反射的に足を止めた。
見覚えのある長身の青年が少し離れた壁の前に、一人で立っていたからだ。
その青年はおおよそ感情を窺い知る事の出来ぬ表情で、以前見たのと全く同じように、腰に銀の短銃を差した姿でそこにいた。
「シン……」
青年シンは鋭い眼差しを目の前の壁に向け、何かを考え込んでいるような表情だった。
そこは昼間、兵舎の食堂にいた若い兵士達の会話の中で語られた、数週間前の、あの『想定外の被弾』を受けたという場所に他ならなかった。
壁の一部が激しく抉れて損傷し、現在も手つかずのままになっているそこを、マリーも此処に連れて来られた時、最初に目にして思わず身震いがした。
それほどに恐ろしさを感じさせる、生々しい爪痕だった。
シンは時折直にその痕に触れながら、しきりに何かを確かめている様子だった。
マリーは動けないまま、暫くそこに立つ青年の背中を見つめていたが、不意にシンが急にこちらへと視線を向けてきたことに気が付き、びくりと身体を震わせ、頬を紅潮させた。
「お前は俺に声をかけろとでも言いたいのか? それとも声をかけてもらえるまで、ずっと延々とそこに突っ立っているつもりなのか? 」
シンの淡々とした言葉に、マリーは肩から力が抜けていくような気がした。
「気が付いていたの……? 」
「当たり前だ」
あっさりとそう返してきたシンに、マリーは何と言ってよいか分からず俯いた。
マリーの足元には差し込んだ夕日が形作った長い影が伸びていた。
黄昏時の残光が目を眩ませる。
その時、シンが微かな呟きを漏らした。
「……何もかもが壊れていくようだな。もう止められないのか」
それは何かを吐き出すかのような言葉だった。
思わずマリーが顔を上げると、目を細めながら破壊された箇所をじっと見つめるシンの横顔があった。
刹那、壁を隔てた場所から複数の兵士達の話し声がし、誰かが近付いてくる気配があった。
途端にシンはばつが悪そうな表情を見せ、マリーが止める間もなく、大股でその場から去って行った。
伸びかけた自身の前髪を、強引に面倒臭そうに払いのけながら。
一人その場に残されたマリーは、先刻シンが見つめていた、破壊し尽された壁に目をやった。
―本当はカルヴァート中尉が庇ってくれたようなもんだったんだよ。そうでなきゃ、多分直撃食らって死んでた……。
兵舎の食堂で耳にした言葉が無性に思い出された。
青年に対して大勢の若い兵士達が見せる、常に畏怖するような表情と共に。
マリーの中にまた、つい今しがた別れたばかりの、銀の短銃を携えた、寡黙にも見える長身の広い背中が思い出された。
耳の奥へと直接響いてくるような低い声。
あの頃とはまるで違う骨ばった指と掌で、抑え込まれたことを思い出すだけで、マリーの心は強く揺れ、堪えられず微かな声でもう一度だけ青年の名を呟いた。