第2章 護り石の再会(11)
蔦緑の家での凄惨な事件が、外出先のアドルフ・オーウェンの元に急遽伝えられたのは、それから小一時間を過ぎた頃だった。
それからアドルフが屋敷に戻るまでに、更に約一時間を費やした。
伝えられたのは屋敷に仕えていた三人の人間の無残な死と、自らの血を分けた娘の消失。
その事実を前に、衝撃を受けていたさなか、アドルフの自室にはディルク・ユンカーが息を荒くさせながら駆け込んできた。
「事実なのですか……? マリーが連れ去られたのは」
血の気の引いた顔で、身体を小刻みに震わせながらディルクが訊いた。
だが、アドルフからの答えを待たずとも、既にディルクは理解していた。
この蔦緑の家に飛び込んだ時から、目の当たりにしてきた、一様に恐れ慄いたような使用人達の表情がそれを十分に物語っていたからだ。
犠牲者達の亡骸には布が掛けられ、未だ屋敷内の床に横たえられたままになっているのも目にしていた。
「直ぐに東側に折衝案を申し立てましょう。向こうが飲めるような、出来るだけ有利な条件を提示するんです。この際体裁なんかどうでもいいはずだ。彼女を返してもらう為には手段を選んでいる場合じゃない……早急に文書の作成に取り掛かりましょう。俺にやらせて下さい」
青ざめたまま、震えながらディルクがそう言った言葉をアドルフが拒否した。
「不要だ」
アドルフの返答に、ディルクは衝撃を受け、自らの耳を疑った。
「何故ですか? 今すぐ動かなければ全てが手遅れになりかねない! マリーにどんな危害が加えられるかも分からない。時間の猶予は有りません! 」
ディルクは矢継ぎ早に必死にそう訴えた。
「分かっている。だが、弱腰ととられかねない。今はどうあっても動くことは出来ない」
アドルフはそう言ってから、ディルクを見やった。
「ユンカー、お前も本来の予定をこなすことだけを考えて、周りに動揺を感づかせるような言動は極力慎め」
「……」
ディルクは言葉を失ったように、暫くその場に立ち尽くしていたが、どうしても言わざるを得ない、という表情で、青ざめたままアドルフに問い掛けた。
「あなたはご自分の娘を見殺しにして切り捨てるのですか……? 」
ディルクの言葉が余程気に障ったのか、俄かにアドルフの表情が厳しくなった。
「お前はまだ若い、それゆえ何も分かっていないだけだ。今後は公人になるということの意味をわきまえる為にもよく覚えておけ。こういう事態も起こり得るのだということを」
ディルクは自分の足元が全て崩れていくような気がした。
そして、ディルクの中にはマリーが月明かりの中で、憂いを帯びた表情で口にした言葉が蘇った。
―きっと誰にもわたしの気持ちは分からないはず。シンがいなくなってから、わたしはずっとひとりきりだった、と。