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第1章 彼方へ(14)

 ―それは現行の政府及びその権益に近しい立場の者達に対する、鬱積した不満が爆発した形での、可能性として考え()る中でのまさに最悪の結果となった。


 反政府思考の軍部の過激派が、国家の東側半分を占拠。


 グリュエールのほぼ中央に位置する、重罪人を収容していた牢獄、『終焉牢』に収監されていた囚人達を次々解放し、そういった者達まで子飼いとした。


 民間人、それも主に富裕層には見せしめとも取れる徹底的な破壊と略奪、虐殺行為が加えられた。


 直後に情報が錯綜するさなか、当時まだ国の議会議員の一人に過ぎなかった、アドルフ・オーウェンの元へは、直ぐさま大量の人間達が押し寄せて来た。


 軍部の者達の危険性を以前から危惧し、それを食い止める為に奔走していたアドルフに対して、中枢を統べる者達は誰一人絵空事として、それを取り合おうともしなかった。


 ―そうして鏑矢は放たれ、運命の日は訪れた。


 マリーは父親であるアドルフが、目の前で静かに淡々と語る言葉を聞いていた。


 目の前にいる自分の娘はまだ幼い。


 だから全てを理解し得ることなど到底出来るはずが無いだろう……当然アドルフはそう考えていた。


 しかしマリーの両眼の中にある強い意志の光が、子供だからといって簡単にあしらうことをことごとく拒絶していた。


 アドルフがひととおり話し終わると、マリーは見じろぎもせず、ただ真っ直ぐに見つめ返してきた。


「……さあ、もう部屋へ帰りなさい」


 そうして父親に伴われ、マリーは自室へ戻ってきた。


「……シンには何時会えるの、お父様」


 マリーの言葉に、アドルフは眉を歪め、悲痛な表情を見せた。


「お父様、何故そんなに悲しそうな顔をしているの」


 不思議そうに、何度もそう問い掛ける娘を寝台に寝かしつけると、アドルフは静かに部屋を後にした。




 結果的にはそれから何日が経過しようとも、シンが帰ってくることは無かった。


 この草原の風景はまるで変化が無いのにも関わらず、ただあの少年の姿だけが二度と戻らなかった。


 シンの父親のイズル・カルヴァートはそれ以来、日がな一日中、自分の家から外へ出てきて、特に何をする、というわけでもなく、ぼんやりと息子の行方が途絶えたままの東の方角を見つめ続けていた。


 仕事もすべてを放棄し、ただうずくまってそうしていた。


 服装は薄汚れ、次第に髭も髪も伸び放題になったが、それにも全く気が付かない様子だった。


 何処に向けるともない、うつろな視線を宙に彷徨わせながら、食事もろくにとらず、身体もがりがりに痩せていく、男の姿は、さながら抜け殻のように人々の目には映った。


 男は早世した自らの妻が残してくれた、ただ一人の家族さえ失ったのだから。


 その男の眼にはもはや一切の生気というものが宿ってはおらず、誰の呼びかけにも答えないまま、イズルはただ草原の大地に座り込んでいただけ、だった。


 その男が『あの日』何を見たのか誰も知ることは叶わなかった。


 男自身が自らの身に起きたことと、己が見たものの仔細については何も語らなかったからだ。


 それから外界から切り離されたかのような、この特異な草原の地には変化の乏しい時間だけが、ひたすら無為に過ぎていった。


 そうして、ある日を境にふらりとその男は姿を消した。


 だが、何も残さなかったわけではなく、姿を眩ます数日前、偶然近くを通りがかった人間の一人が、男と僅かに最後の言葉を交わしていた。


 ―俺は息子を守れなかった上に、自分だけ逃げ帰ってきた、愚かなどうしようもない屑のような人間だ。だからもうここにはいられない。ここには妻と息子の思い出が多すぎる。俺だけがひとりのうのうとは生きられない。


 その言葉を最後に、男はふっつりと姿を消した。


 以後の男の行方を知る者は誰一人いなかった。


 手がかりを何も残すことなく、それはまるで最初からそこにいなかったかのような喪失。


 唯一残されたのは、鉱物で埋め尽くされた住む人間を失ったあの屋敷のみ。


 マリーは寂しさの余り、毎日泣いた。


 そうして自室に閉じこもり、そこから全く出て来なくなった。


「わたし何でもするわ……もう我儘も言わない。シンに会いたい」


 繰り返すのは同じ言葉。


 幼い少女はただひたすらに、たった一人の少年の事だけを祈り続けた。


 両親はその娘の心に深く刻まれた傷に、どう接すれば良いか、癒す方法を見つけ出すことが出来ぬまま途方にくれながら苦しんだ。


 周囲を草原に囲まれたこの地で唯一、共に育った子供同士が、既に再会が不可能な状況に陥っていることを知っていたからだった。


 その事実を前にしては、思いつきの慰めの言葉など、なんの効力も持ちようはずがない。


 止まらなくなった涙とともに、マリーは部屋の中に残された少年のことを思い出せる品を必死にありったけかき集めて抱きしめた。


 最後に会った日、ねだって貰い受けた夜の星を記した紙も。


 そんな閉じこもるだけの生活を長い間繰り返した末のある日、突然マリーが自分から部屋を出て来た。


 その後の娘の行動に、両親は驚愕し言葉を失った。


 娘がまるで全てを忘れ去ったかのように、振る舞い出したからだった。


 ―あの少年と家族は最初から何も存在しなかった。


 まるでそう言うかとでもいうように。


 そう、それは明らかに何かが歪み、そして壊れてしまった果てのように見えるものだった。

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