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第1章 彼方へ(9)

 翌日の昼過ぎ、マリーは草原の中に作られた砂埃の巻き上がる砂利道を、慣れた足どりで歩いていた。


 目指すのは顔を見ることが無い日の方がむしろ珍しいほどの、あの少年の家だった。

 

 午後になってもなかなか自分のもとに姿を見せない少年に痺れを切らし、マリーは自ら屋敷を出てくることにしたのだ。


 マリーが目指す、少年シンの住まうカルヴァート家は、暫く歩くと直ぐにその姿が見えてくる。


 カルヴァート家の屋敷にはまるで建物に寄り添うかのように、老齢で大きな樫の木が枝を広げて立っていた。


 その大木の根元まで辿り着くと、マリーは何時もと全く同じように目の前の屋敷の、それも二階に向かって、そこに居るはずの少年の名を呼んだ。


「……マリー」


 程なくしてマリーが見つめた窓からは、一人の少年が姿を見せた。


 マリーは嬉しそうに、その少年シンへと手を振った。


「今日は何処へ行く? 」


 マリーは声を弾ませ、自分より二歳年長の少年にそう訊いた。


「マリー、今日は遊べないよ。家の中を片付けなきゃならないから」


 姿を見せたシンはこれ以上無いという程の渋い顔で、手にしていた大きな箱を幾つも窓から見せながら言った。


 と、その直後、何か大量のものが盛大にひっくり返るような大きな音が響いて、シンが声を上げながら、慌てて部屋の中へと引っ込んでいった。


 たった今、自分に告げられた言葉に全く構うことなく、マリーはそのまま屋敷の玄関へと回ると、そこから中に入り、二階へと続く階段を上っていった。


 あらかじめその行動を予想していたかのように、シンは先程と同じ部屋でマリーのことを待っていた。


 部屋の中にはシンが窓辺から見せたあの箱と同じような形状のものが、あるものは無数に積み上げられ、またあるものは床の上に散乱したような状況に陥っていた。


 一見して、随分と雑然とした室内である。


 どうやらさっきの音は、積まれていたこの箱のいくつかが崩れたせいらしい。


「……もう片付けないと限界なんだよ。これ」


 部屋に入ってきたマリーに深々としたため息を漏らしつつ、シンはそう言った。


 シンの父親であるイズル・カルヴァートは、名目上は確かに鉱物学者ではあるのだが、実際には学者としては無名に近く大した収入が見込めないため、地質調査を主だった生業としている。


 地下資源の算出が、経済基盤の礎となっているこの国にとって、生命線とも言える重要な仕事だった。


 そういった調査の過程で収集される鉱石が、カルヴァート家の屋敷の内部には無数に積み上げられていた。


 その都度片付ければ済むのだが、イズルには整理整頓という観念が無い。


 元々無類の行き過ぎた石好きが(こう)じて、今の職に就いているような男である。


 良く言えば学者肌なのだが、逆にそれ以外のことをこなす能力が著しく欠落しているという厄介な特徴を併せ持っていて、要するに自分の住まう空間が石で埋め尽くされようとも一向に構わなかった。


 シンを産んだ際に身体を悪くして若くして妻が亡くなって以来、この家には女手が無かった。


 いや、正確には、いた。


 だがそれはマリーのオーウェン家とは比較にならぬほど僅かな数の、食事の世話などの為だけに雇われた通いの使用人達のことであり、しかもその全員が手伝いを打診しようとも大切な研究の品に触るわけには参りません、という非協力的一辺倒な態度を常に貫いていた。


 もっとも無理からぬ話なのかもしれない。


 特殊な研磨や加熱処理を施す前の標本の原石など、それに価値を見いだせぬ者らにとっては、いわば無用の長物に等しいものでしかないのだろう。


 おかげで毎回その不毛な片付けの担当にさせられるのは、消去法で結局この一人息子になってしまう。


 シンの苦々しい表情を気にもせず、部屋に入ってきたマリーは足元に散乱した箱のひとつを開けて、目を輝かせた。


「ねえ、またこうやって見ていてもいいでしょう? きれいだから見ていたいの」


 箱の中に収められた鉱石に直に触れながら、マリーはそう言った。


 その背中を見ながら、この迷惑なだけの石の山にそんな反応をするのもマリーくらいだろうな、とシンはぼんやりと思った。


「それは構わないけど……」


 シンは床に据えられた、別の重い箱を横に移動させながら頷いて見せた。


「……そういえば、確かこの辺に」


 不意にシンは何かを思い出したように、付近にあった箱の中を漁り、その中に収められていた小さな鉱石のひとつをマリーの前に差し出した。


 それは瑠璃のような輝きを放つ小さな欠片だった。


「これは……何?」


 マリーが首を傾げながら訊いた。


「青水晶だよ。石英の透明で形のきれいなのが水晶って呼ばれるけど、その普通の水晶の上に別の水晶が成長すると出来るんだ。それを光にかざしてみて」


 マリーは言われるまま、窓辺へ歩いて行って、手の中の欠片を光にかざしてみた。


 瞬時に、光を吸い込んだかのような欠片は、虹のような色をそこに映し出した。


 乱反射したようなその煌めきに、マリーは思わず目を輝かせた。


「これがあの青水晶なの? すごくきれい! 小さな星が中に入っているみたい……」


 マリーは水晶に滲んだ光を見て、うっとりとしながら言った。


「マリーはこういうのが好きなんだね。気に入ったのがあったらどれでも好きなのを選んで持っていっていいよ。その水晶でもいいし。これだけ集めるだけ集めておいて、父さんは全然覚えて無いらしいし……いい加減なんだよな、まったく。一度くらい片付ける側の人間の立場にでもなってみればいいのに……あれ、いらないの? 」


 手にしていた青水晶の欠片を、そっと元の箱に戻そうとしているマリーの背中に、シンが不思議そうに訊いた。 


「ううん、いいの」


 そう言って、マリーは首を横に振った。


「いいんだよ、本当に持っていっても……誰も気にしたりしないよ? 」


 何かを遠慮しているのかと(いぶか)るシンの前でマリーは、もう一度繰り返し首を横に振って見せてから言った。


「だって、これ宝石みたいだもの。それに昔は結婚する時は綺麗な青水晶を探して、男の人が自分の好きな女の人に贈ってたって。その石は首飾りにするのよ。お父様にそう教えてもらったの。だから今はもらうのはやめておくの。その時までとっておくから」


「……それ随分昔の話だよ? 今はみんな店で指輪を買うんだよ。それにそのせいで採り過ぎて、昔ほどは婚約の証になるような石が出てこなくなってるし、だから今はそんなことしないものなんだよ」


「いいの! わたしはわたしのためだけの石がほしいんだから! 」


 シンには強硬な声色から、マリーが若干不機嫌になったのが分かった。


 しかしシンにはそれが何故なのかよく分からず、目の前の幼馴染を見つめた。


 マリーは露骨に不満げな視線をこちらへ向けている。


 だからシンは戸惑いながらも、なんとかして話の流れを変えようと試みた。


「そ……そういえば今度、父さんが、また調査に行くって……」


 シンの父親のイズルは国内外問わず、依頼を受けて様々な場所へと地質調査の為に、現地に赴くことが度々あった。


 イズルが仕事で遠方に出かける際には、手伝いとしてシンも必ず同行するというのがカルヴァート家での通例となっていた。


「……じゃあ、またしばらくの間、マリーとは遊べないのね」


 シンの言葉の意図を察したマリーは肩を落して、急にがっかりしたような顔をした。


「……シンはいいなあ、色々なところに行けて。わたしは何処へも行けないのに。お行儀よくしなさいって、みんなそればっかり」


 一気に打って変わって意気消沈したような幼馴染の姿に、シンは直ぐさま取り成すように言葉を続けた。


「そんな遠くじゃないよ! 今度行くのは他所の国っていう訳じゃないみたいだし。……確か東の方だったはずだから、すぐ帰って来られるんじゃないかな」


 マリーは少しだけ目を上げ、本当に? と問い掛けるような顔をした。


 それに大きく頷いて見せたシンに、マリーが安堵の表情を浮かべた。

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