トムソン・キーポ
その日から通常の仕事はトムソンと一緒に行った。
トムソンとジャンはここの奴隷の中では一目置かれた存在らしく、その2人と行動をともにすることが多いクライツは他の奴隷からいじめられたりすることはなかった。ジャンは仕事ができる奴隷労働者の頭領的な存在として活躍しており、トムソンは主人のギャレットにいたく気に入られており、奴隷の身分でありながらギャレットからよく話を聞かれていたからだ。
クライツがトムソンと出会った2日後、クライツは夜の睡眠時間にこっそりと起き出し、奴隷が一斉に雑魚寝をしている中を抜けてトムソンを起こした。ジャンはその日また運転手としてどこかに出かけていた。
「すいません、夜遅くに…」
トムソンは眠い目をこすって起き上がった。周囲の奴隷たちは疲れきった体を休めて泥のように深く寝入っていた。
「どうしたんだよ、ただでさえ睡眠時間が少ないのに、眠れないのか?」
「いえ…ちょっと聞きたいことがあって…」
「聞きたいこと?」
「ご主人様の奥様のことで…」
「ギャレットの奥さん?ああ、知っているけれど、それがどうしたんだい?」
「どうしたら…会えます…?」
トムソンはキョトンとした顔をした。
「会いたいわけかい?でもまたどうして?」
クライツは口を結んで黙った。いかに世間知らずのクライツでも、120万ルーンもの大金をもらう交渉を命を売った奴隷がするなどどれほど無茶なことであろうかということは承知していた。
暗い闇の中に再び重い沈黙が訪れた。ただ、トムソンはクライツをバカにするでもなんでもなく、じっとクライツが口を開くのを待った。本気の相談には、まずきちんと相手から言葉を聞き出すことが必要だということを心得ていたからだ。
「お金を…借りたい…です」
「どうして?」
クライツはまた黙る。それを見てトムソンが質問を変える。
「命を買われた時の値段が希望に足りなかったのはわかる。それでも自身を売らなければいけなかったというのもわかる。俺も奴隷だからな。でも、分かってると思うがクライツがお金を借りることははっきりと言えば不可能だ。それは交渉の相手がギャレットでなくても同じことだ。それでも、それでもなおお金がどうしても必要な理由があるんだろ?それを聞かせてくれないか?」
また長い沈黙が訪れた。しかし、今度の沈黙はクライツの思考をまとめるための準備の沈黙だった。しばしして、クライツが口を開いた。
「妹の手術の費用に…足りなかったんです。でも、すぐにお金を入れないと発作を抑えるための薬も買えないから…」
「いくら足りないんだ?」
「120万…ルーン…」
言葉が闇に消えた。今まで頭では分かっていてもかすかな希望にかけてきたが、口に出すことでその可能性の低さを改めて実感した。それとともに絶望がクライツに押し寄せた。涙が音もなく頬をつたった。
「少し、外に出ようか」トムソンが言う。
「でも、外出は禁止されて…」
「大丈夫だよ、少しなら」
音をたてないように外にでる。外は満点の星空だった。星々は一つ一つが程よい均衡を持って輝いていた。
「すごいな、これは」トムソンが思わずつぶやく。
クライツは涙で星が滲んで見えた。袖口で涙をふく。
「悪いんだけど、さっきも言ったように、120万ルーンをクライツが手にするのはどう考えても無理だと思う…。奥さんも、さすがにそんなことはしない。ただ、奥さんに会いたいというのなら、それについてだけは少し協力できるかもしれない。今はまだ具体的にどうするか考えられないけど、なにか俺なりに考えてみるよ」
「ありがとう…ございます…」
「お礼なら、ジャンにも言っておいたほうがいいと思うぞ」
「え…?」
「あいつは、重要な悩み事がある奴を見つけると俺に紹介してくるんだ。ああ見えて、けっこう人のことを見てるからな。でもあんな態度だから、人の悩みなんか聞けやしない。それで俺が聞き役ってわけ」
満点の星の中でも、二つの星が特に強く輝いた気がした。
「さ、寝るぞ。明日も早いからな」