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12月26日午後5時

冷えた耳を触りながら、私は空を眺めて立っている。

太陽が沈んだ直後の空は夕焼けから夜空へと変わる途中で、黄色から藍色の間の無限のグラデーションが続いている。

そのグラデーションの所々をビルや山の端が切り取り、子供の頃に見た影絵のような世界が広がる。

私だけが知っている私だけの時間、景色。

それを見るのが私は好きだ。多分あなたのことより。

「ごめんごめん、待った?」

あなたの声が後ろから聞こえ、私は微笑みながら振り返る。

「ううん、そんなに」

「よし、じゃあ帰ろうか」

そう言いながら、あなたは私を追い越し歩く。それを斜め後ろから私が追いかける。

「はぁ…寒いなぁ…。動いてる間は気にならなかったけど。理香も外じゃなくて教室で待ってればよかったのに。寒かったでしょ?」

そうあなたは言う。でもそれは私への気遣いというより、気遣いをしなければいけなかったことへの僅かな苛立ちからの言葉だ。私が教室で待っていたら、あなたはまだ練習を続けていただろう。

「私は大丈夫だよ。ゴメンね、練習早めに終わらせちゃって」

「ん、いや。俺もそろそろ終わろうかなって思ってたし」

どことなく語尾を濁らせてあなたは言う。そしてそのまま会話は途切れ、私たちは黙って歩いた。

こんな沈黙は最近までなかった。担任のゆきちゃんがついに三十路だとか、テストの成績への大げさな嘆きとか、父親の足の臭さとか、脱走ばかりするハムスターのこととか、どうでもいいような話題が勝手に飛び出しては、お腹が痛くなるまで笑いあっていた。

でも、あの話を聞いてからは何も思いつかなくなった。

言うべきこと、聞くべきこと、語り合うべきことがあるのに不自然にそれを避けるから、だから今の私たちは黙るしかない。

斜めの位置を保ったまま、私たちは駅へと歩く。


「…そういえば、理香って外で俺を待ってる時何考えてたの?」

駅前の広場まで来たところでで唐突にあなたは口を開いた。

気詰まりな沈黙を破るための意味の薄い質問。そう思った。

もちろん優斗君のことにきまってるじゃん、と調子のいい言葉で返そうとするけど、斜め後ろから見えたあなたの横顔を見て口を閉ざす。

前を真っ直ぐ見つめるあなたは力強く、なぜか痛々しく見えた。

「…空。夕焼けというか、夜になりかけの空を見て、綺麗だなあって思ってたよ」

こぼれるように、答えていた。

あなたが立ち止まりこっちを見る。何か言いたげなあなたから顔を逸らし、私は続ける。

「日が沈んだばっかりの空が好きなんだ。空がまだ明るいのに地面は暗くなってきて、冷えてくるんだけど凍えるほどじゃなくて、落ち着くんだけど落ち込まない空気…が好きかな。山とかの輪郭がくっきり見えるのも好き。目が悪いからかな?そういうのを見るのが好きなんだ」

多分あなたのことより。

立て続けに喋リ終えると、また沈黙が広がった。あなたの顔を見ることもできないまま、私は遠くの山を見続ける。もう日暮れ直後の時間は過ぎて、夜に溶けるように輪郭がぼやけた山だけを見つめていた。

「マジックアワー」

ぽつりとあなたが声を漏らす。おもむろに呟かれた不思議な単語。そっと視線を向けると、あなたもまた私と同じ山の方を向いていた。

「太陽が沈みきったけど、まだ辺りが少し明るい、一番美しい時間帯なんだってさ。知ってた?」

「…ううん」

正直、少しショックだった。私だけが知っていたあの時間帯と景色は、名前を付けられて呼ばれるほど有名だったなんて。

動揺する私に顔を向け、あなたは小さく笑いかけた。

「なんか、理香らしいね。名前があるのは知らないけど、自分の感性でちゃんとわかる。かっこいいよ」

「…それって褒めてるの?どうせ私はモノを知らない人間ですよーって、思わせたいの?」

冗談めかして言ったはずの言葉が、自分で思った以上にとげとげしてしまう。言ってしまった直後に気付く。

でも、そんな言葉もあなたは笑って受け止めてしまった。

「褒めてるよ。理香はいい。好きだよ」

好き。

何気なく言われた一言が私の中に落ちる。

好き、なのに。

考える前に、口が動いた。

「ねぇ、行かないでよ」

声と同時にあなたの袖口を掴む。

あなたは何も言わなかった。

「そんな遠いところに行かないでもいいでしょ?毎日会いたいよ。一緒にいたいよ」

上手な言葉も浮かばないまま、思った言葉が勝手に溢れる。あなたの袖口を掴む手が震え始める。

「…好きなんだよ」

ああ、ダメだ。

言ってしまった直後に、目の周りが熱くなる。視界が滲む。私は泣き始める。

突然、強く引き寄せられた。

あなたの胸に顔が埋もれる。ブレザーの硬い生地の感触とちょっと汗臭いにおいが頭に入る。

「…ごめん」

ああ、やっぱり。好きなのに。私たちは互いに好きなのに。

あなたは行ってしまう。

あなたの腕が私の背中を抱きしめる。私は涙でぼろぼろの顔をあなたの服に擦りつけた。


私が落ち着いた後、あなたはゆっくりと私の体を離した。

「一緒に来る?」

問いかけるあなたの声があまりに何気ないので、少し笑ってしまう。

「無理だよ。私って地元派だし」

「だよなぁ」

あなたも笑って答える。

と、私は今更自分たちがいる場所を思い出した。

「あ、ここ駅前だったね」

周りを見渡す。足早に通り過ぎながら私たちの方へ視線を向けるおじさんと目が合う。

時計を見ると既に六時は回っていた。どれだけの間抱き合っていたのか、何人に見られたのか。考えるとまた顔が熱くなってきた。

「…ははは。まあ、いいよな?」

「うん…ちょっと青春しちゃったね」

ぎこちなく喋りながら二人で駅に向かう。

ふと見上げると、空はもう真っ暗な夜だった。

でも明日になれば、またあのマジックアワーが巡ってくる。あなたよりも好きなマジックアワーが。

あなたよりも好きなものがあるんだから、あなたがいない間も大丈夫だ。そうに決まっている。

言い聞かせながら、改札をすり抜ける。



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