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白澤の書付  作者: 堂前千代
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4.適任者

 「あれが参議匡忠(まさただ)の孫とは……いやはや、何の因果であろうか」


 匡積が去った後の庵で、明雪は一人笑う。

 遠ざかる匡積の足音を聞きながら思い出すのは、智者と名高かった匡積の祖父である源匡忠その人であった。


 尤も、明雪自身が匡忠と顔を合わせたのは二度ほどしかない。しかも、一度は値踏みをされる為に会い、もう一度は偶然に居合わせただけの邂逅だった。


 それでも、明雪はその人をはっきりと覚えている。

 あれは魑魅魍魎の類であった。


「あの方が丁寧に育てている孫がいると噂には聞いていたが……成程」


 匡積のあり方を思い出せば、匡忠の関わりが察せられる。匡積という男は、観る意識のある御仁だった。観たものを解そうという意志の強い御仁だった。もっとも、観えないものには無頓着なようであったが、それは単に粗忽なだけであろうか。或いは何か別の理由があるのか――


 そこまで考えたとき、かたり、と戸口が開く音がする。顔を動かすと、陽の光を背に、何者かが立っているのが見えた。

 す、と目を細めて姿を確かめる。

 誰であるかがわかる前に、その人物が口を開いた。


「明雪、頼みがある」

泰房やすふさか」


 耳に覚えのある声に、安堵とも呆れともつかない息を吐き明雪が答える。泰房は後ろ手に戸を閉めると、乱雑な歩き方で明雪の元に歩み寄ってきた。

 匡積の歩き方とは正反対であるな、と何の気も無しに明雪は思う。


「それで、頼みとは?」


 どさり、と勢いよく目の前に腰を下ろした男に、溜め息を吐きつつ訊いてみる。所作が美しくない。


 そんなことを思われているとも知らない泰房は、重苦しい息を吐き出すと、両手で顔を覆いながら低い声で呻いた。


「典薬頭が籠居になった。無期限で出勤停止だ。典薬助は物忌み扱いだ」

「……やはり、か」

「『やはり、か……』じゃあないぞ、馬鹿野郎」

「ではなんだと言うのだ。そもそもの発端は、お前の管理不行き届きだろうが」


 声真似を返して来る幼馴染にそう言ってやると、さすがに自覚しているのか、面目ないと泰房は呻いた。


「俺は再三言っていたはずだがな、泰房」

「あのな、明雪。普通の人間はお前程物事を理解していないし、お前程見たままを受け入れることは出来んのだよ」

「そうか?」

「そうだよ。俺が辛うじて着いていけるのは、単にお前と過ごした時間が多いからに他ならない。普通は無理だ」

「……そうか?」

「無理だ」


 重ねて問い返したが、返事に変化はなかった。言い切られると、なんだか面白くないものである。


 ふと、匡積ならば、と考える。

 あの御仁なれば、見たままを見たままに受け入れる事が出来るだろう。そしてその事実に新たな意味付けをしてくれるかもしれない。幼い明雪を祀り上げた匡忠のように――


「泰房」

「なんだ」


 明雪が呼ぶと、即座に泰房が答える。その心安さに、思わず笑みが零れる。

 持つべきものは、実直な友である。


「一人、適任者がいる」

「お前か?」

「馬鹿を言うな。俺ではない。」

「では誰だ」

「源匡積」

「だから誰だ、それは」


 明雪は匡積の名を出したが、泰房にはわからなかったらしい。階級も所属も違えば、接点がないのは当たり前であるが、そう思うと、良くまあ雨宿りをしてくれたものだと思う。


「図書助殿だよ。お前も何度か見ていると思うが」


 溜め息混じりにそう言うと、数拍置いてから、ああ、と泰房は手を打った。


「あの綺麗な御仁か」

「お前はそのように見たか」


 嫌われそうだな、と嗤うと、馬鹿を言え、と窘められる。

 本当に気安い友人とは良いものであると、明雪は思った。


「まあ、その御仁だ。中身も綺麗だぞ」

「人嫌いのお前が褒めるとは、珍しいな」

「褒めたと思うか」

「褒めてないのか」


 気安い友人とは、同時に面倒くさいものであるようだ。


「まあ、褒めたな」


 明雪は、戯れが過ぎたかと反省する。匡積との邂逅に、思ったより高ぶっているようだ。


 深く息を吸い、ゆっくりと吐き出す。

 外から差し込む光が、ほんのりと橙色を帯びている。明雪は、格子窓と対角に位置する蔀戸を半分開けた。


 室内の闇が薄まり外と同化し始める。


「まだ陽が出ているぞ」


 心なし気遣うように、粗野な男が言う。それが泰房らしくて、明雪の顔には自ずと笑みが浮かぶ。


「この程度ならば問題はない」


 そう言い切ると、泰房が小さく息を吐くのがわかった。

 

「それで」


 泰房が居住まいを正して明雪を見上げる。


「その図書助殿が、どう適任なのだ」


 そうだな、と腕を組み、明雪は暫く考える。どう説明すべきか、と思案して、思い当たった。これならば、泰房にも分かろう。


「源匡忠殿の孫だ」

「だから源匡忠って誰だよ」


 いい加減にしてくれ、と言わんばかりの呆れた顔をする泰房に、明雪は失笑する。

 だから、慈愛のこもった笑顔で、明雪は、友人兼幼馴染兼目撃者兼共犯者に言ってやった。


「〝白澤〟の名付け親」


 瞬間、泰房の顔が強張る。それを見て、明雪は意地悪く笑った。

 泰房が真面目な顔で問う。


「信用に足るのか」

「知らん」


 あっけらかんと言ってのける明雪に、泰房の目が細くなる。

 それに気づいた明雪は、ゆるりと首を回しながら、くつろいだ様子で泰房の斜め向かいに座した。


「信用に足るかどうかは知らん。ただ、あれは見たものをまず受け入れることを知っているようだ。俺を見て、言葉を交わすことを止めなかった」


 初めて顔を合わせた時のことを思い出しながら明雪が楽しげに話すと、泰房も興味を持ったか、ほう、と小さく合いの手を入れた。

 明雪は続ける。


「やや小心者ではあるが、心根は優しいようだ。それに、己の本心を隠す術も持っているようでもあったな」


 そう言ってから、でも、と言い置き、明雪は小さく喉を鳴らして笑う。


「どうした」


 泰房が問う。明雪は本当に可笑しそうに笑いながら、


「いや、なに、幼い頃に肉親を相次いで亡くしている割には、随分と性根が真っ直ぐでな。初めて見る怪異には、あからさまに狼狽しておったなぁ、と」


「それは……大丈夫なのか?」


 あからさまに不安げな声で泰房は問い返す。受け入れることができても対峙できないのでは適任とは言えないのではないか。

 そういうと、明雪は「左様」と頷きながら、


「狼狽してもその本質を探りに来ていた。黙っていても、頭の中でいろいろと思い巡らせて解を探す性質なのであろうよ。匡積殿はずっと観ていたのだ」


 だから適任だ、とはっきりと告げる。


 泰房は盛大な溜息を吐いたのち、わかったよ、とだけ言った。


「それで、手配は」


 泰房が問う。


「既に典薬寮の顛末は噂になっているのであろう。それが確実に彼の御仁に伝わってくれればよい。そうだな、できれば、匡積殿がこちらへ衣を返しに来る前くらいには、耳に入っているのが良い」


「返しに来るのが明日だったらどうするのだ」

「明日ではないよ。あの方なら……そうだな、四、五日後と言ったところかな」

「なぜわかる」

「そういうものだからだよ」


 眉間の皺の深くなった幼馴染に、明雪は笑う。

 泰房は、納得がいかないような顔のまま、わかった、と頷く。


「泰房、お前も位階が上がったのだ。そういうことにも機敏になった方が良い」

「俺より位階が下のお前にそう言われるのが納得いかん」


 不服そうな顔で呻きながら顎をこする幼馴染の様子が、手習いから逃げ出して叱られたときの頃とほぼ変わらないことに気づき、明雪は少し嬉しくなった。


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