表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/13

第11話 風の委任――“場”の意志と共同所有

 丘の上の草は、午睡からゆっくり起き上がるように揺れていた。

 風は一定ではない。けれど、無秩序でもない。

 昨日置いていった司祭のことば――「風は丘を覚える」。

 覚えるなら、委任できるか? 場に。


「実験しましょう」

 私はリズに言った。「場を委任先にする手順を」


 ――人と物と手順の重なりで、意志のような傾きを持つ。

 人はくたびれる。規程は硬すぎる。置換は最後。

 残りのひと枠を、場に渡す。



 午前、規程委員会の臨時会議。議題は二つ。

 一:場の委任プロトコル。二:丘(小丘)と中庭の共同所有契約。

 出席は、委員長・書記・監査官ノエル・上位寮副会長セレスティア・劣等寮代表リズ・私、そして特別に営繕局長と造園係**、長衣の司祭アウレリウス。


 私は黒板に三つの枠を描く。


 〈場の委任・三行〉

 一、条件:場が意志を示す指標を三種以上定める(例:風速・騒音・滞在密度)。

 二、可視:指標は公開し、審級立会の場で反意行を併記(賛三行/反三行)。

 三、解除:人の緊急条と撤回権を保障(場に委ねた判断は上書き可能)。


 セレスティアが頷く。「風速は詩に近いけれど、数になる。騒音は礼に近いけれど、測れる」


 ノエルが補足する。「観測点は“蝶の網”に接続。白紙も過剰合意も拾えるように」


 司祭が袖を撫でた。「場に聖性を与えすぎれば、詩が窒息する」


「詩は参考の棚だ」

 私はゆっくり返す。「参考は踏み台。委任は踏み台に手すりを付ける行為だ」


 営繕局長が、咳払いを一つ。「共同所有は誰が鍵を持つ?」

 私は第二の枠を描き込む。


 〈共同所有・四条〉

 鍵:閲覧鍵は監査院、運用鍵は規程委員会、開放鍵は審級十名の合議。

 利用:用途は目録化(一覧公開)。臨時用途は賛反三行で追加可。

担保:第三者負担はR-indexで測り、担保条を積む。

詩枠:非公開の詩を一枠だけ認め、枠の存在だけ公開。


 セレスティアが口角を上げる。「梯子も手すりも増えていく。転落は減るけど、退屈は?」


「退屈は安全の指標。飽きは危険」

 ノエルが即答し、書記が素早く書き上げる。


 採決は早かった。場の委任は賛12/反5/保留3。共同所有は賛14/反6。

 附帯――〈丘の風鈴を標準観測器とし、鳴り方をログとして公開〉。



 昼下がり。丘に風鈴を吊る。

 造園係が竹竿を立て、営繕が金具を締め、私は三つの違う音の風鈴を等間隔に並べる。

 音階ではなく、用途で鳴り分ける。

 鈴A:滞在密度が基準を超えたとき(散開の合図)。

 鈴B:騒音が閾値を超えたとき(沈黙の合図)。

鈴C:風速が閾値に達したとき(休止/紙乾かしの合図)。


 リズが笑う。「A=離れる、B=静かに、C=乾かす。ABCで覚えやすい」


 セレスティアは木陰で腕を組む。「遊具に見えて規則。好感」


 風が一度、Cを鳴らした。

 乾かしの鐘は、紙の匂いを呼ぶ。詩が来たい気持ちを刺激する。

 丘の端に、早速張り紙が出た――礼法会の若いのが「丘は礼の稽古場につき本日占有」と墨で大書している。

 共同所有の一時間目。

 白紙は、たいてい主張になりすまして現れる。


 ノエルが鈴Bを指で弾き、沈黙の合図を先回りで鳴らす。

 私は張り紙を棚に入れ、二行止血を置く。

 〈目的:共同所有の占用条件を可視化〉

 〈定義:占用は賛反三行+鈴の合図に従うことを条件に許可〉

 占有ではなく占用。鍵は場と合意で持つ。


 礼法会の若者は、悔しがらない。小筆で反意行を書き足す。

 〈反一:合図の悪用(任意に鳴らす)

  反二:合図の不感症(無視)

  反三:合図が詩を追い払う〉

 良い反だ。合図は力になるので、濫用と鈍感が怖い。


「鈴の鍵は監査院」

 ノエルが淡々と告げる。「鳴動条件は公開。手動は監査記録に残す」


 Cがもう一度短く鳴り、丘の空気がすっと冷えた。紙を乾かすタイミングが来たのだ。

 私は返還頁を一枚取り出し、リズが小瓶を開ける。丘の風で乾かした紙。

 場は、作業の速度を持つ。委任の意味は、速度の主導権を人から場へ半歩渡すことだ。



 夕刻。中庭。

 共同所有は丘だけではない。食堂横のテラスに、布告の立て看が乱立していた。

 ――今夜、上位寮の“詩朗読会”占用

 ――同時刻、劣等寮の“反意行講座”占用

 占用が衝突する。風鈴のない場で。


「鈴を持ち歩くのは?」

 リズが提案する。

 私は首を振る。「場が固定されていないと、合図が権力になる」


 そこで、私は場票ばひょうを出した。掌に乗る薄い木札。

 場に投票するための札。

 人に投票するのではない。場の用途に、賛反を刻む。


 〈場票・手順〉

 1)用途を三行で書き、反意行を三行で書く。

 2)場票に刻む(焼印)。賛=円、反=三角。

 3)十枚集まれば仮占用。鈴のない場は臨時合図を旗で代用。

 4)争いはR-indexで担保を積み、審級が配点。


 セレスティアが楽しそうに笑う。「投票が場に向く。人から場への対話。政治が空間へ移る」


 礼法会の詩朗読会と劣等寮の反意行講座は、同時に場票を集め始めた。

 詩側の三行:

 「一、詩は風で響く。

  二、朗読は沈黙の間を学ぶ。

  三、夕刻の光が比喩を深める」

 反意行:

 「一、声量が食堂に回折する。

  二、場の重複で争いが増す。

  三、反意行の学習が遅れる」


 講座側の三行:

 「一、反意行は詩の濫用を抑える。

  二、公開が背徳災の抑止。

  三、参加者は小声でも成立」

 反意行:

「一、説明が疲弊を増やす。

  二、詩の呼吸を奪う。

  三、旗の臨時合図が乱用される」


 場票が十枚ずつ集まったところで、私は臨時緩衝を差し込む。

 〈分割〉――テラスを二領域に可視分割。片側は声の連続を許可、片側は声の断続のみ許可。

 詩は連続に、反意行は断続に向いている。

 場に機能を割り振るのは、所有の前にある設計だ。


 衝突は、拍子抜けするほど静かに解けた。

 場が意志を持つと、人の意志が分割に耐える。

 蝶の網のログは静穏。鐘は鳴らない。



 夜、図書塔。

 私は翻頁吏へ支払いを運ぶ。

 〈場の委任の公開記録〉

 ――風鈴の鳴動ログ、場票の刻印一覧、詩/反意行の同居手順、失敗と修正。

 最後に自分の失敗を一つ添える。

 〈昔、私は“場”を自分の勝負の盤にして負けた〉

 反証と再発防止を付す。盤にすると敵が増える。場は共同に向く。


 薄紗の向こうで、翻頁吏は目を伏せる。「受領」

 骨のしおりが空を切り、紙片が二つ、頁が一枚、落ちてくる。


 紙片一:〈右手の水脈〉

 紙片二:〈風上の静けさ〉

 頁:幼い筆跡で描かれた丘の見取図。

 風の道、日陰の位置、石の並び。

 端に小さく――〈ここで紙を乾かすと、字が残る〉


 胸の内側が、そっと温かくなる。

 好きの隣に、場が座った。

わたしは子どものころ、場に委任していた。水切りの位置、石の選び、風の強さ。

 可視の前に、配線を覚えるように。


「返還頁、共同保管」

 ノエルが印を押し、リズが証人として署名する。

 私は頁に小穴を開け、“場委任”と“共同所有”の索引を通した。縫い目は増える。力は分散する。壊れにくくなる。



 戻る途中、丘の風鈴がBを一度だけ鳴らした。

 沈黙の合図。

 暗がりの端に、人影がひとつ。

 営繕局の若い職人が、風鈴の鳴動枠に細工をしようとしている。鳴りを遅らせるための糸。

 隠し武器は、可視の隙に来る。


 私は近づき、沈黙の反論を地面に描く。

 四角「遅延=安全」。丸「遅延=隠蔽」。丸「即時=過敏」。

 矢印で安全と隠蔽を分け、過敏を緩衝で落とす構図。言葉は最小で、構図を最大に。


 若い職人は肩を落とし、糸を外した。「……静かにしたかっただけで」

 静かは目的になりやすい。理由に置き直すまでが手順だ。

 私は反意行を一行書いて渡す。

 〈静かのための遅延は詩の呼吸を奪う場合がある〉

 そして賛の一行。

 〈静かのための緩衝は合図の閾値を微調整することで可能〉

 隠し武器を可視に置き換える。置換は使わない。合意で行く。



 翌朝。掲示板に第九刷の煽りビラ。

 見出し――「場の委任=責任の放棄」。

 反三行:

 反一、場は責任を取らない。

 反二、合図は権威の代用。

 反三、共同所有は所有者不在の荒野。

 ――整っている。だから、反証が効く。


 私は棚に入れ、最小反証を書き足す。

 〈場委任は責任の配線を公開し、緊急条と撤回権で人間が最終責任を持つ〉

 〈合図は権威の代用ではなく、議場の入口〉

 〈共同所有は鍵が三種あるので荒野ではない〉

 白紙は生まれない。過剰合意も起きない。

 そして、人が集まり、場票がまた刻まれていく。


 セレスティアが肩をすくめて笑う。「詩は参考だけど、風鈴は可愛い。政治は可愛いで勝つことがある」


「可愛いは入口」

 リズが頷く。「入口が多いと転落が減る」


 ノエルは短くまとめる。「網は静穏。白紙なし。過剰合意微弱。風は上がる予報」


 風。

 丘。

 私は返還頁の見取図を胸の内で展開する。右手の水脈、風上の静けさ。

 蝶は、きっと風上で静けさに寄る。



 夕暮れ。丘。

 Cが鳴る。乾かしの合図。

 私は紙を出さない。代わりに、石を濡らし、映る白を待つ。

 風上の静けさが、白を際立たせる。

 その縁に、ひらり――羽の影。

 追わない。

 網を張らない。

 場に半歩、委ねる。

 好きは燃料。場は配線。契約は釘。詩は呼吸。

 全部を同じ棚に入れない。縫い目で並べ、梯子で行き来する。


 風鈴が、最後にBを一度だけ。沈黙。

 私は目を閉じ、次の支払いの算段を胸の内で整える。

 場委任の失敗をもう一つ、公開する必要がある。

 失敗の公開は、虚界にも人にも効く。

 置換は最後――だから、切らずに届ける道を増やす。


(第12話「合図の辞書――“鳴る前”と“鳴った後”の設計」に続く)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ