終わり、そして始まる
周囲からの評価、家族との関係、婚約者との未来、剣術への情熱……魔力が無かったことが起因となって、あらゆるものがギルバードの手から零れ落ちていく。
以前はあれだけ熱心に取り組んでいた勉学や武術も、もはや惰性で続けているくらいにまでモチベーションを落としていく中、ギルバードとアレスの十三歳の誕生日が近づいていた。
王族の誕生日ともなれば、国内外の有力者が集まって盛大に祝われるものだが、正直な話、ギルバードにとってパーティーは憂鬱な催しだ。わざわざ衆人環視に晒され、『魔力が無い出来損ない』を見るような冷たい視線が集中するのは、何時まで経っても慣れるものではない。
そこに加えて、魔法の天才であるアレスと比べられる視線まで向けられるのだ。
魔力こそが絶対という価値観が根強いこの国では、魔力が無ければ王子であっても目下の者からこれ見よがしに陰口を叩かれ、侮蔑の視線が向けられる。
そしてそれを王族である両親や兄弟たちが注意し、ギルバードをフォローすることもない。当人からすれば、ひたすら惨めになるだけの場所に、誰が行きたいというのか。
しかしそれでもギルバードは王族だ。この手の行事に参加するのは義務といってもいい。嫌々ながらもそれを表に出さず、誕生パーティーに向けて準備を始めた。
しかし、誕生パーティー開催の当日になって不可解なことが起こる。
普通、この手の行事が行われる時は、諸々の準備が終わると使用人が王族を呼びに来るものなのだが、何時まで経ってもギルバードの元に係りの者が現れないのだ。
そのことを不審に思ったギルバードは、礼服を身に纏って会場となっている城の大広間まで足を運ぶと、そこには既に大勢の来賓者が会場に集まっていた。
(パーティー……もう始まろうとしているのか!?)
行事に遅刻するなど、王族としてあってはならないことだ。急いで会場に入ろうとすると、大広間の正面出入り口の両脇に立っている警備兵たちが、ギルバードを見た瞬間にギョッとした表情を浮かべる。
「ギルバード殿下!? どうして……あっ!?」
「そういえば今日は……!」
おかしな反応をする警備兵たちに首を傾げながらも、ギルバードは会場に入ろうとする。
時間的にも、今なら間に合うはずだ。急いで王族席に向かえばパーティーは恙なく始められるはず……だというのに、警備兵たちは慌ててギルバードを止めようとした。
「お、お待ちください殿下!」
「なんだっ? どうして止めるっ?」
「それは、その……」
あまりの歯切れの悪さに顔をしかめながら、これ以上は埒が明かないとギルバードは警備兵の手をすり抜けて会場に飛び込んだ。
「……え?」
そこでギルバードが目にしたのは、パーティーの趣旨を分かりやすく伝えるための垂れ幕だった。
今回の場合、アレスとギルバードの生誕を祝う……といった文字が刺繍された、大きな垂れ幕が置かれるはずだったのだが、本来そこにあるべきギルバードの誕生を祝う垂れ幕はなく、代わりにこのような文字が刺繍された垂れ幕が置かれていた。
《アレス・フォン・シュトラル第三王子殿下ご生誕及び、王立魔法学院主席就任を祝う会》
王立魔法学院……その名の通り、シュトラル王家が運営する国内最大の魔法使い養成機関だ。
毎年凄腕の魔法使いを輩出している名門であり、アレスが十三歳という異例の若さで最優秀生徒……主席となったことは聞いたことがあるから、その快挙を誕生日と合わせて祝おうというのは分かる。
しかし、なぜ自分の名前があの垂れ幕から消えているのか、ギルバードには意味が分からなかったが、その疑問は、呆然とするギルバードを置いてけぼりにするように始まった、父王マキシムの祝辞の挨拶によって、脳内に電流が走るように氷解することとなる。
「皆の者、今宵は我が息子であるアレスの誕生……そして史上最年少で王立魔法学院の主席に就任した祝いの席に集まってくれたこと、心より感謝する。細やかだが食事やダンスの場も用意した。今宵は存分に楽しんでほしい」
この時、マキシムはただの一度もギルバードが欠席していることの説明をしなかった。普通なら体調不良なりを理由に適当な言い訳を用意するはずなのに。
その事実と、使用人からの呼び出しがなかったことから導き出される答えなど知れている。家臣たちは勿論のこと、主催者側である王家……つまり自分の家族は皆、ギルバードのことを忘れていたのだ。
……あるいは、覚えていた上で無視しているか。
「…………」
ギルバードは居た堪れなくなり、誰にも気付かれないように静かにその場を立ち去る。
感情に任せて会場に乱入することは簡単だったが、それはしたくなかった。
元々、誕生日を祝う席など参加したくなかったし、その場に呼ばれなかったことになど怒っていない。
(それでも……僕がいない方が、自然な家族に見えたな)
ギルバードの誕生日に、ギルバードがいない家族の団欒を当たり前のように過ごして笑いあう両親や兄弟姉妹たち、その中心にいるアレス……彼らの間に割り込む隙間を、ギルバードは見つけることができなかった。
=====
誕生日の翌日、ギルバードはかねてより予定していた地方への視察に出向いていた。
目的地は、大雨による洪水と不作で食糧難に陥った小さな領地。そこに王族からの支援を届けることが目的だ。
王族とはいえ、まだ子供でしかないギルバードにできることはないが、『王族は地方の国民にまで心を砕いている』というパフォーマンスにはなる。
……ただし、それは保身と打算が透けて見えていなければの話だが。
「これはこれは……第二王子殿下。この度は支援を届けてくださり、王家の方々への慈悲と慈愛には言葉もありません。この地の代表として、お礼申し上げまする」
支援物資を届けに行った際に領主と挨拶を交わした時、領主は口でこそ丁寧な受け答えをしていたが、ギルバードに向けられたその視線には、目に見えて明らかな侮蔑が宿っていた。
とても支援に訪れた王族に対して向けるような視線ではないが、それがギルバードに対してのものならば、この国ではこれが普通。悲しいことにそれに慣れてしまったギルバードは、そつなく挨拶を終え、護衛を連れて町を視察することにした。
不作の影響からか、活気が乏しいがそれ以外は至って普通の町。特に大きな発見も何もないだろうと高を括っていたギルバードだったが、ふと彼の足元に麦わら帽子が風に乗って滑り込んできて、ギルバードの靴に当たって止まった。
「あ……」
掠れるようなその声がした方向に顔を向けると、そこにはギルバードよりも二~三歳ほど年下らしき少女が立ち竦んでいて、ギルバードの足元にある麦わらを見つめている。
どうやらあの少女が麦わら帽子の持ち主らしい。ギルバードは咄嗟に麦わら帽子を拾い、少女の元まで歩み寄って手渡すと、少女は麦わら帽子とギルバードを交互に見てから口を開いた。
「え、あ……その、ありが――――」
「ミシェナっ!」
ありがとう……その一言を遮るように、あるいは少女をギルバードから庇うように飛び出してきたのは、二十~三十歳くらいの女性だった。
ミシェナと呼ばれた少女の母親だろう。女性は一瞬だけギルバードを睨むような視線を向けた後、すぐに『わざわざすみませんっ』と頭を下げてから、そそくさとミシェナの手を引いて立ち去っていく。
「言ったでしょっ!? 呪われ王子に近づいたらダメって!」
その去り際に、興奮していて無自覚なのか、女性はギルバードの耳にも届くくらいの大きな声でミシェナを怒鳴る。
「魔神教の司祭様も仰ってたでしょ!? あの王子様は魔力の祝福を与えられなかった呪われた子だって! そんなのに近づいて、ミシェナまで魔力を無くしちゃったらどうするの!?」
「ご、ごめんお母さん……っ。で、でもあの王子様、帽子を拾ってくれて……」
「いいからっ!」
そんな会話が聞こえていたのだろう……護衛に付いてきていた兵士たちが愕然とした表情を浮かべた後、怒りの形相で母娘の後を追おうとする。
「待て貴様らっ! 王子殿下に対してなんと不敬な……!」
「追わなくていい」
その兵士を制止したのは、他の誰でもないギルバードだった。
「いいんだ、追わなくて」
「し、しかし殿下っ。今のはさすがに聞き捨てが……!」
「多分、あの母親は魔神教の敬虔な信者だ。面と向かって言われたわけじゃない以上、下手に罰すれば大問題に発展しかねない」
魔神教とは、人類滅亡を図ったドラゴンたちをこの世界から駆逐した魔法の神、アブロジクスを信仰する一大宗教のことだ。
その信者数は世界中の人間の七割以上に達していると言われており、信仰の力によって民意という強大な力を操りうる影響力から、王族でもおいそれと対立できない組織となっている。
ギルバードが護衛を止めたのは、まさにそれが理由だ。歴史を振り返れば、たった一人の人間から国を巻き込む大騒動が起こるなど珍しくない。下手に信者を罰し、魔神教につけ込む隙を与えるのは得策ではないという、王子としての判断だ。
「……それに、ああいうのを一々罰していたらキリがないじゃないか」
その諦めに満ちた一言に、護衛の兵士たちは痛々しそうに顔を歪める。
魔神教が広めた、『魔力を持たない人間は偉大な神の恩寵を与えられなかった存在』という教え。これが王族であるはずのギルバードが家族や臣民からも白眼視され、国内での居場所を失っている最大の原因だ。
傾向的に、信者というのは宗教の教えを信じるもの。世界中に信者を持つ一大宗教が、魔力を持たないことは悪であると教え広めるなら、数え切れないほどの人間がそれに倣う。
たとえ王子という身分ゆえに面と向かって言ってこなくても、魔神教とその教えが無くならない限り、ギルバードを陰で悪し様に罵る人間は後を絶たないのだ。
(この町の領主だけじゃない……あの母親や町人たちが僕に向ける視線だって、そういうことだ)
飢饉に苦しむ国民に向けた王族のパフォーマンス……それだって、宗教的に忌み子とされている魔力無しの王子が向かわされれば、『お前ら程度には出来損ないで十分』であると、王族が彼ら田舎の人間を軽んじていると思われて当然のこと。
おかげでギルバードは領主からも町人からも冷たい視線を向けられて針の筵。これが他の王族……特にアレスなら、真逆の反応だったのだろう。
「視察の途中だ。行こう」
騒ぎを事前に収めたギルバードは、護衛の兵士たちを促して歩き始める。
十三歳という子供とは到底思えない、疲れと諦めに満ちたその後姿に、兵士たちは黙って眺めながら付いて行くしかできなかった。
=====
こうして、冷たい視線を領民から浴びせられる中での数日間に及ぶ支援活動が終わり、ギルバードが帰りの馬車に乗って王都に向かうことになった。
ガタゴトと馬車に揺らされながら、ガラス越しに外を眺めるギルバード。その表情には恙なく視察が終わった安心感はなく、まるで両肩に見えない重荷が乗っているかのように気分が重かった。
「……貴族や神官だけじゃなく、国民からもこんな扱いか……」
頭では分かっていた。魔力が無ければ王族であっても関係ない、忌むべき存在であると国民の大多数が思っていることを。
しかし今日、まるで汚い物から遠ざかるようなあの母親の反応を見て、改めて分からされた。この国にギルバードの居場所など存在しないということと、この国で王族として生きていく限り、これから先の人生も同じようなことが続くという事に。
(そしてアレスと比べられ続けるんだろうな)
視察の道中、町民たちは遠巻きにギルバードを眺めながら陰口を叩いていることを知っていた。
不作によるストレスも相まって、内心に抱える不満を抑えきれなかったのだろう。数多くの人々がギルバードを見て何を呟いているのか、その内容はギルバードの耳に届いていた。
『なんで魔力無しの出来損ないが……俺たちまで呪われたらどうすんだよ』
『これがアレス王子ならなぁ……不作も何とかしてくれたかもしれないのに』
『本当にな。どうせ来るならアレス殿下がよかったよ。そっちの方が有難みもあったっていうか』
『魔力無しの呪われた王子に、魔神からの恩寵を受けた縁起の良い王子……比べ物になんないもんな』
『アレスがよかった』『これがアレスなら』『アレスに来てほしかった』……誰もが口々に呟く度にギルバードの胸に痛みが走った。
肉親、貴族、民衆……シュトラル王国を含めた魔神教の宗教圏全域から、常に魔法というギルバードではどうしようもない分野でアレスと否応がなく比べられ続け、大切に思っていたものが手から零れ落ちていく。そんな人生に早くも疲れたギルバードは、頭を窓ガラスに当てるようにして馬車の壁にもたれ掛かる。
別にアレスは悪いことをしているわけではない。ただ魔法の才能に溢れ、人一倍発想力があって色んな功績を出しているだけ。そのことを責める理由など何もないという事くらい、ギルバードにだって分かっている。
(……それでも)
胸の内に広がるドス黒い感情を我慢して抑える。
これで喚き散らせればどれだけ楽だったか。しかしそんなみっともない真似は、曲がりなりにも王子として教育されてきたギルバードにはできなかった。
(もし、僕が王族じゃなかったら……)
そう考え、すぐに『それはそれで今とは違う苦労をすることになる』と思い立ったギルバードだったが、それと同時に魅力的なものに思えた。
魔力が無ければどこに行っても差別される。しかし、それでも平民とかに生まれれば、大抵の人間がギルバードに無関心だっただろう。同じ魔力無しでも、王族という嫌でも注目される身分の生まれに比べれば。
そうすれば、天才の弟と比べられ続けることもなかった……そんな意味のない妄想で現実逃避をしていたその時、凄まじい爆音と共にギルバードが乗っていた馬車が大破した。
「が……!? な、何が……!?」
横転し、半分が消し飛んだ馬車の中でヨロヨロと起き上がるギルバード。
威力から察するに、魔法による攻撃を受けたのだろう。幸いというべきか、馬車そのものが盾になってギルバードには直撃しなかったが、そもそも王族が乗っている馬車が攻撃されること自体が異常事態だ。
一体何が起こったのか、それを確かめるべく立ち上がって半壊した馬車から顔を出すと、そこには口元や頭に布を巻いて顔を隠した一団が、殺気の宿った視線でギルバードを見据えていた。
「第二王子、ギルバードだな」
「な、何だ……君たちは……!?」
「我らは王国の未来を憂う者の集まり。王家に生まれ落ちた忌み子、ギルバードを粛正し、王国に平穏を取り戻すために、その命を頂戴する」
「っ!? で、殿下! お下がりくださいっ!」
魔神教の狂信的な信者によくいる魔力至上主義者……その過激派であるというのがその言葉で理解した瞬間、護衛騎士たちと襲撃者たちによる激闘が幕を開けた。
一撃で人を殺める威力を秘めた魔法が飛び交う中、ギルバードは損壊した馬車の陰に隠れて、何とか周りの状況を伺う。
襲撃場所はよりにもよって、交通の要所である橋の上。それも地域住民たちが大勢移動している中での襲撃で、多くの人が逃げ惑っている。
(まさか、あえてこのタイミングで襲撃をしてきたのか……!?)
いくら王族の命を守るのが使命である護衛騎士とはいえ、だからと言って国民の命も蔑ろにするわけにはいかない。国民が戦闘に巻き込まれれば、当然そちらにも意識を割かねばならず、襲撃者に対して不利になってしまう。
魔力至上主義の過激派は、時として人命すら度外視して活動すると聞いたことがあるが、まさかそれを目の当たりにする日が来るなんて……そうギルバードが怒りすら感じていると、ふとある者が目に映る。
(あれは、昼間の……!?)
ミシェナ……そう呼ばれた、麦わら帽子を被った少女だ。逃亡の最中で足を怪我して立てないのか、目に涙を浮かべながら血が流れる足を押さえて座り込んでしまっている。
早く逃げろと、ギルバードが叫ぼうとした……そんな時だった。ミシェナに向かって、襲撃者が放った魔法の流れ弾が飛んで行ったのは。
「……っ!」
……その判断を下したのは、考えてのことではなく、咄嗟のこと。
気が付けば、ギルバードは物陰から飛び出し、ミシェナの方に向かって走り出していた。
この時のギルバードの頭に浮かんでいたのは、巻き込んでしまったことへの罪悪感、これまで王族として受けていた「国と民のためにあれ」という教育、満足にアリシアを守れなかった結果への後悔、騎士として多くの人を守ってきたハウザーへの憧れ……そしてアレスに対する羨望と嫉妬、周囲からの憐憫と嘲りに満ちた視線。
とにかく、色んな理由はあった。
ただ、この時のギルバードには……目の前で死に行く誰かを見捨てることができなかった。
(間に合え……間に合え……っ! 間に合えっ!)
これまでの人生で一度もないくらいに必死に足を動かし、幼い少女の元へと駆け寄るギルバード。
向かって魔法にすら意識を向ける余裕もないまま、ミシェナの元へ辿り着き、かつて婚約者にしたようにその小さな体を突き飛ばした、その瞬間。
「がぁ、は……っ!?」
灼熱の火球がギルバードに直撃すると同時に爆発。その衝撃によって転落防止の柵は壊れ、ギルバードは橋の上から落ちてしまった。
重力に任せて、荒れ狂う河に向かって一直線に落下するギルバード。そんな王子の視線の先には、難を逃れたミシェナが何かを叫びながら、こちらに向かって必死に手を伸ばしているのが見える。
(あぁ……無事だったのか……)
その姿を見たギルバードは、思わず安堵した。
正直な話、これまでギルバードは「なぜ自分は生まれてきてしまったのか」と、自身に問いかけたことが何度もある。
魔力もなく、どれだけ努力しても報われず、双子の弟と比べられながら、欲しいものは何も手に入らない。その上、こうして自分のせいで誰かが危険に巻き込まれてしまった……こんな苦しいだけの人生なのに、どうして生まれてきてしまったのかと。
(でも……最後くらい誰かを助けられたなら、よかったよ……)
何一つ為せなかった人生だったが、巻き込まれてしまった幼子を自分の手で守れたなら、最後の最後で自分にも出来ることをやれたはずだ。
そんな諦めにも似た安心感を胸に抱きながら瞳を閉じたギルバードは、そのまま激流に飲み込まれる。
その後、襲撃者を撃退した護衛騎士を始めとした多くの人間が第二王子ギルバードの捜索に乗り出したが、結局見つけ出すことは叶わず、ギルバードは公的な死を迎えることとなった。
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