生き甲斐
アリシアとの婚約が破棄されて以降、ギルバードはこれまでよりも更に自分を追い込むように教育に身を捧げていた。
自分にはもう、これしかないのだと思ったからだ。ただでさえ魔力が無いことを疎まれているのに、フィンラート公爵家との一件で悪評まで立ってしまった。少しでも怠けてしまえば、本当に寄る辺がなくなってしまう。
そんな強迫観念に迫られ、休みもなく励んでいたギルバードだったが、婚約が無くなってから、あるものに注力するようになる。
それは剣術だった。魔力を持たないギルバードが唯一出来る自衛の手段として、幼い頃から基礎を叩き込まれてきたが、ギルバードは自由になる時間を削ってでも剣術に打ち込むようになっていた。
(あの時の自分がもっと強ければ、状況は違っていたのかもしれない)
あの魔獣襲撃事件は、ギルバードの心に無力感と後悔だけを刻み込んだ。そしてもう二度と同じ轍は踏みたくないという気持ちが、幼い王子を突き動かしたのである。
元々、魔法の発動が間に合わないほどに間合いを詰められた際の手段として、実戦的な魔法使いの間では魔法の他にも武術の腕を磨くのが主流だ。それは魔法剣を始めとする、武器に魔法を付与する技術が発展していることからも明らかである。
だからこそ、シュトラル王国には武術と魔法を組み合わせた様々な流派が存在しているし、王子であるギルバードが剣術を習う環境は充実していた。
(もちろん、剣術だけできたって魔物には勝てないかもしれない……でも何もやらないよりかは……!)
そう一念発起し、気力も体力も削る覚悟で剣術の鍛錬の時間を無理やり増やしたギルバード。
そんな中、ギルバードの指導役として一時的に新たな人間が抜擢されることとなる。諸事情があって王都に留まることになった、シュトラル王国の最精鋭である魔法騎士団の団長、ハウザー・フォーゲルだった。
魔法の腕はもちろんだが、剣術の腕だけなら王国随一とまで噂されるほどの騎士だ。それほどの人物に指導してもらえる幸運を噛みしめながら、ギルバードはハウザーが来るのを心待ちにしていた。
「フォーゲル卿、これからの指南、よろしく頼む」
「こちらこそ、殿下の指南役の名誉に預かり、光栄にございます」
ハウザーは巌のような……という形容詞がよく似合う、短い茶髪が特徴的な偉丈夫だ。
ギルバードの二倍近い体格に、感情が読み取りにくい鉄面皮まで加わって威圧感が強く、口にしたことが本当かどうかも疑わしくなるような男だったが、少し稽古をつけてもらえば、ハウザーは王子の指導に対して真剣であるというのは、すぐに伝わってきた。
「踏み込みが甘いっ! それでは敵の服も切れませぬぞっ!」
「決して目を瞑ってはなりません! それは実戦では死に直結することにございます!」
「判断が遅い! もし私が敵兵なら、殿下は死んでおりました!」
ハウザーは王子だから、魔力が無いからと、ギルバードに対して忖度をするようなことは一度たりともなかったからだ。
訓練を始める直前に、「妥協なく鍛えてほしい」とお願いしたからというのもあるが、ハウザーはギルバードの言葉に真摯に耳を傾け、自分の立場が危うくなることも恐れず、ギルバードが毎日ボロボロになるまで厳しく、そして自らの経験に基づいた効果的な稽古をつけてくれた。
そんなハウザーの対応は、ギルバードにとっては有難かった。
魔力を持たない王子に対して真っすぐ向かい合ってくれる人間は稀だ。ほとんどの人間がギルバードに対して差別意識や忖度することが頭から離れない。
だからこそ、どんなに苦しい毎日でも、ギルバードにとってハウザーは徐々に信頼できる人間になってきていた。言葉数が少ない無骨な人間だが、剣を通じてハウザーがどれだけギルバードを真剣に鍛えようとしているのか理解できたから。
そうしてハウザーとの訓練に明け暮れる日々を過ごす中で、何時しかギルバードにとって剣術は〝自分の好きなもの〟になっていった。
魔力が無い自分でも、努力をすれば成果が表れる。言葉にすれば当たり前のことだが、その当たり前が普通のことではなかったギルバードにとって、剣術は初めて自分が夢中になれるものだったのだ。
そして何よりも、ギルバードには才能があったというのも大きい。
「ギルバード殿下、貴方様には確かな才覚が眠っておられます。いずれは私を超えていくやもしれませんな」
ハウザーが王都から離れる二日前、最後の立ち合い稽古で一本も取られずに持ちこたえ、初めてそう褒められた時は思わず泣きそうになった。
事実、ハウザーの言葉には嘘偽りはなかったのだ。ギルバードの成長は非常に目覚ましく、剣術においては、アレスを始めとした同年代の間では誰よりも優れていたことに間違いはない。
そして何よりも、身体強化魔法がアレスでも実用化できていない……というのが大きかった。
昔から身体能力を向上させる魔法の研究は続けられており、その為には体内で魔力を活性化する必要があるのだが、それをすれば全身に激痛が走ると共に、筋肉や神経、骨に深刻なダメージを受けるのだ。
原因が不明であるため、魔法の天才でもあるアレスでも問題は解決できていない。
そのことがギルバードには嬉しかった。魔法を使った実戦でなら意味のない話だが、それでも剣術だけで見ればアレスより優れている……自分にとっての好きなもので〝一番〟を目指せるという状況は、ギルバードに強い生き甲斐を与えたのだ。
だが現実はどこまでも無常であり、ギルバードの常識ではアレスのことを測れていなかった。
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その事実を知ったのは、ハウザーとの最後の稽古を終えた翌日のこと。勉学や作法の授業を終えて、何時ものように自主的に剣を振ろうと木剣を片手に中庭に向かうと、そこに先客がいた。
アレスとハウザーだ。両者は互いに木剣を構え、向かい合っている。
(アレスは今日が最後の稽古日なのか?)
しばらく王都に滞在していたハウザーが、父王の頼みを受けてギルバードだけでなく、アレスやリオンにも指南をしていたことは知っていた。
だがその様子を見たことがないと思ったギルバードは、稽古の邪魔にならないように陰からこっそりと様子を見ることにしたのだが……。
「それでは、参りますぞアレス殿下」
「うん。いつでも来いっ」
その言葉と共に始まった二人の模擬戦を見て、ギルバードは愕然とした。
自分がこれまで手も足も出なかったハウザーと、アレスが互角に渡り合っていたからだ。まだまだ成長しきっていなくて短い腕から繰り出される剣の鋭さも力強さも完全に子供離れしていて、傍から見てもギルバードも遥かに凌駕しているのが分かる。
一体どうして? 魔法ならまだしも、同じ時期から習い始めた剣術でなぜこれほどの差がある? 現実を受け止めきれずに唖然としていると、ギルバードはあることに気が付いた。
(……二人の剣は全く同じ……!?)
剣の振り方から体捌き、足の踏み込み方に至るまで、驚くべきことにアレスの動きは、ハウザーの動きと酷似していたのだ。
いいや、酷似しているどころではない。全く同じといってもいい。しかし王国最高の剣士の動きをあそこまで再現することなど簡単にできることではない。現にギルバードもハウザーの真似をしようと何度も試してきたが、ただの一度も上手くいったことはないのだ。
それをアレスはことも何気にやってのけている。そのことに打ちのめされている間に模擬戦は引き分けという形で終わりを迎える。
「流石ですな、アレス殿下。話には聞いておりましたが、私の動きをここまで再現する魔法を編み出すとは」
「まぁな。他の人間の動きを自分の体でトレースして、相手の技術を再現する魔法……なかなか苦労させられたけど、これなら間合いの内側に入り込まれても対応できるだろ」
軽く息を吐きながら感心したようにアレスを称えるハウザーの言葉に、ギルバードは全身から体温が無くなっていくような錯覚を味わう。
あの会話が事実だとするなら、アレスは習得するのに長い年月が必要となる武術さえも、魔法の力で体得してしまったのだ。それも王国最高峰の剣士……ギルバードが手も足も出なかったハウザーの技を、この短い期間で全て吸収したという事になる。
(待ってくれ……そんな魔法が編み出されたら……!)
アレスが編み出した魔法を簡単に説明するなら、相手が長い年月をかけて体得した技術を瞬時に模倣するというもの。
そんな魔法が広まってしまえば、これからギルバードがどれだけ努力しても、より格上の剣士の技量を模倣した魔法使いに負け、仮に世界一の剣豪になれても簡単に追いつかれてしまう……それはギルバードから剣術に対する熱意を奪うのに十分すぎる事実だった。
心血を注ぎ、血と汗を流しながら身に着けた剣術までもが、魔法の力で簡単に真似をされてしまうようになっては堪ったものではない。
そのことに絶望したギルバードは、生まれて初めて手にした生き甲斐すら失い、この日を境に武術の稽古にかける時間を極端に減らすようになった。
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