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何一つ持たない者たち


「おい、ギルバード。今から町まで行くんだけど、お前も来いよ! 俺様が色々教えてやっからさ!」


 そうティモンから誘われたのは、ギルバードがウサギの干し肉を棒から取り外している時の事だった。

 突然のことに目をパチパチと瞬きさせていると、ティモンはギルバードが取り外した干し肉を手際よく袋に詰めていく。


「これ、町に売りに行く分の干し肉だろ? コレとか他にも色々街まで売って、必要なものを買って来いって団長から言われてよ。ついでだし、お前に町を案内してやるぜ!」


 陽気に笑うティモンに、ギルバードは少し思案する。

 思い返せば、この集落に辿り着いてからというものの、ギルバードは此処から離れるようなことをしたことが無かった。

 薪や山菜、茸を拾いに周辺を出歩いたことはあるが、町まで行ったことはない……というよりも、行く気がしなかったのだ。


(曲がりなりにも、王子だったんだ……僕の顔を知っている人と出くわすかもしれない)


 悪い意味で有名だったギルバードの顔を知る人間はそれなりに多い。主な活動圏であった王都から遠く離れている場所なので、可能性としては低いだろうが、それでも万が一という事もある。王子であるギルバードを連れ戻すために、罪人の隠れ集落に兵士がやってくるような事態は避けたかった。


(でも、今の僕なら大丈夫かな)


 しかし、ギルバードは現在、怪我の悪化を防ぐために顔に包帯を巻いている。一目見ただけで自分の正体に気付く人間はいないはずだ。


「……それじゃあ、僕も付いて行こうかな」

「よっしゃ! じゃあ早速行くとしようぜ! もう他の荷物は用意してるしな!」


 こうして、ギルバードはティモンと共に町へ繰り出すことになった。

 道中、魔物や追剥に見付からないように街道沿いの森を隠れるように進み、辿り着いたのは集落から歩いて数時間の所に位置している、それなりに規模の大きい町。都会と呼べるほどではないが、賑わいのある市場が並んでいて、物々交換や換金に応じる店舗も少なくないという。


「ここの領地を治めている貴族は結構評判が良いみたいでな。なまじ平和な分、俺らみたいなのが相手でも取引してくれる店が多いんだよ。とは言っても、出来るだけ綺麗な格好で行かなきゃいけねぇ。あまりに貧乏人って思われたら、すぐに足元見られるからな」


 得意げに語るティモンの後ろを付いて行きながら、ギルバードは密かに感心させられる。

 元々ギルバードは、王族出身の自分が世間一般の感覚から外れている人間であると自覚していて、集落で暮らし始めた最初の頃もそれなりに苦労していた。

 持ち前の我慢強さと勤勉さで乗り越えることが出来たが、それでも今のように馴染めるようになったのは、ティモンによるところが大きい。

 集落のムードメーカー的な存在であり、軽薄な印象に反して世話焼きなところがあるティモンは、何かにつけてギルバードと住民たちの橋渡し役になったり、積極的に仕事を丁寧に教えてくれたりしたのだ。


「ここだ、ここで集落の物が売れるんだよ」


 そして今日も世間知らずな自分に物事を教えようとしてくれているティモンに感謝しつつ歩いていると、ティモンは大きな建物の中へと入っていった。

 この町の商人組合が設立した、卸売り市場だ。商人が生産者から物を買い取るための場所で、農家や猟師と思われる大勢の人間が詰めかけている。


「…………?」


 ティモンを追いかけながら、物珍しい光景にギルバードが辺りを見渡していると、ふと市場側の人間と思われる身なりが良さそうな者たちが、ニヤニヤとしながらギルバードを……より正確に言えば、ギルバードと同行しているティモンたちを見ているのに気が付いた。

 王城に居た時によく見た、人の悪意を煮詰めたかのような、酷く濁った眼だ。その事にギルバードが不審に思っていると、ティモンは受付に話しかける。


「よぉ、今日も売りに来たぜ。岩塩にスパイス、それから干し肉とドライフルーツだ。買い取ってくれ」

「これはこれは……いつもお世話になっております。今量を測るますので、少しお待ちくださいね」


 そう言うと、受付の男は天秤をカウンターに置いてギルバードたちにも見える形で納品量を測っていく。

 シュトラル王国で近年義務化された、商人による横領などの不正を防止のための処置だ。

 顧客と商人の信頼関係を強固にすると評価されているが、当の商人たちの間では評判が悪いという声も多く上がっている。


「お待たせしました。ではこちらをどうぞ」


 計測が終わり、カウンターの上に硬貨が積み上げられた。それを見たティモンは怪訝そうに顔を歪める。


「おい、何時もより随分と少なくねぇか? 前来た時はもっと貰えてたぞ」

「あぁ、すみませんねぇ。我々の経営も中々苦しくて……これがウチで出せる限界なんですよ」


 そう頭を下げる男の様子は、傍からは心から申し訳なさそうに見えるだろう。

 しかし、その目の奥で揺らめいていた欲と嘲りが混じりあったような、ほの暗い光をギルバードは見過ごさず、すぐさまカウンターの上の硬貨を視線だけで数え始める。


「最近は何かと不景気ですからねぇ。それでも、この町じゃウチが一番高値で買い取ってると思いますよ。組合に属していない店で売れば、どれだけ買い叩かれるか――――」

「それでも、このカウンターに置かれた硬貨は、最低取引額に達していない」


 そう小さく呟いたギルバードに、男もティモンたちもこちらに視線を一斉に向ける。

 どちらも目を瞠っているところは共通しているが、視線に込められた感情はまるで別物。ティモンの眼には純粋な疑問が……そして男の眼には、明確な焦りが宿っていた。


「シュトラル王国では食料品に限り、最低限の買い取り額が保障されている。特に日持ちする乾物や塩、砂糖、スパイスは生物(なまもの)よりも高めに設定されているんだ」


 ギルバードが語ったのは、国の根幹を司る食糧生産者の生活を保障するために設けられた制度だ。これを違反することは王国の生産業の衰退を招くとされ、罰金や商業権の停止といった刑罰が科される。


「僕たちが持ってきた食料に対し、今ここにある硬貨は王国が定めた最低買取価格を大きく下回っている。計測された数字から見ても、それは間違いないはずだ」

「い、いや……そんなことは……あ、もしかしてお客さんはご存じなかったですか? 最近、その制度が変更されて――――」

「もしそうなら、今から行政庁に行って制度の変更が行われたかを確認する。もし貴方の言葉に嘘があれば、領主からの指導が入るだろう。そうなれば、近隣の生産者や消費者の耳にも入ると思う」


 商人は、とにかく信頼というものを大事にする生き物だ。信頼が無くては売る商品の品質と価格を疑われ、客足が遠のく。

 そして行政から指導を受けるというのは、商人の信頼を著しく損ねる。そうなれば、この組合だって多大な損失を被るのは目に見えていた。 


「けれど、もし貴方が今ここで、自らの勘違い(・・・)を訂正するのなら、こちらはことを大きくするつもりはない。今回の件はあくまでも、過失による不幸な行き違いで、実害はまだ出ていないんだ。そうすれば、ここでの出来事が外部に漏れることは無いんだけど……どうする?」


 大事にはしないから相応の値段で取引しろ……そう暗に迫るギルバードに、男は顔から大量の汗を流す。

 今まさに、カモにしようとしていた者たちから反撃と同時に救いの手を出された事実は屈辱的でもあったが、男は頭の中で算盤をはじける冷静さを保っていた。

 ここで目の前の人間からはした金を得るか、長期的な売り上げと信頼を得るか……どちらの方が利益になるのか、それは誰の目から見ても明白である。


   =====


「にしても太ぇ野郎だったぜ! この俺様たちを騙そうとするなんてよぉ!」


 正当な取引額に、騙そうとしたことへの謝罪を込めて色が付いた金銭を無事に貰い、組合の建物を出ると、ティモンは目に見えて不機嫌そうに叫んだ。


「ここは一発かまして思い知らせてやったほうが良かったか? 俺たちを舐めたらどうなるかってのをよ」

「いや、それは止めておいた方が……」


 商人と下手に事を荒立て過ぎれば、今後の金策に悪影響を及ぼす。集落の財政の為にも、向こうのしたことを水に流しつつ、弱みを握るくらいで丁度良いはずだ。


「謝るのはむしろ僕の方だ。組合と集落のやり取りに、勝手に出しゃばるような真似をして……」


 良かれと思って咄嗟にやったことだが、組合との関係はザッカスを始めとした集落の住民全体で決めなければならないことのはず。

 それをギルバードの独断で、組合を脅迫するような形で事を進めてしまった。その影響がどのような結果をもたらすのか、組合との関係がこの先不透明になったのは痛い。

 何事も無い可能性も十分にあるが、逆恨みされる可能性も否定できないのだ。

 

「何言ってんだよ、俺を助けるためにやってくれたんだろ? お前が謝ることなんて何もねーじゃねぇか」


 そう言われて、ギルバードは何とも言えない表情を浮かべる。

 ティモンの言葉に間違いはない。自分を受け入れてくれた集落の住民が騙されていると知って、そ知らぬ振りをすることが出来なかった……しかし、それでも王子時代に良かれと思ってやったことが、何度も裏目に出てきた身としては、これで本当に良かったのかと、どうしても不安になる。


(それでも、嬉しいな)


 誰かに認められる……そんな経験に馴れていなかったギルバードにとって、ティモンの言葉は素直に嬉しかった。

 自分のしたことは決して無駄なんかじゃなかったと、そう信じさせてくれる言葉が、かつて薬を届けに行った母から向けられた怒声に傷ついたギルバードの心に、確かに沁みたのだ。


「それにしても、よく小難しい条約だの法律だの、ギルバードって物知りだったんだな。あぁいう決まりがあるなんて知らなかったぜ」

「去年施行されたばかり法律だからね。国民への周知も十分じゃないんだと思う。でもこのくらい、僕が言わなくても町の掲示板とかを見れば書いてあると思うから、ティモンたちもその内知ることになったんじゃないかな」


 現状、法律の公布などは町村ごとに掲示板などで大々的に伝達される。人里から離れた集落で暮らしているギルバードたちには、その手の情報が届くのはどうしても遅れるが、町に繰り出せば簡単に得られる情報でもあるのだ。

 むしろ今の今まで、ザッカスやティモンたちが知らなかった方が不思議なくらいである。


「あー……掲示板なぁ。そりゃ俺たちは分からねぇわ。文字とか読めねぇし」


 しかし、何気なく発せられたその言葉に、ギルバードは自分の考えの浅はかさを知ることになる。

 思い至れなかったが、世間では貧しい人間の識字率は悉く低い。特に魔力無しとして忌み嫌われ、学び舎に通う事すらはばかられる者たちともなれば、言わずもがなというものだろう。


「これが結構不便でよぉ。集落じゃ文字読めなくて騙されたって奴は多いし、俺様も昔、結婚まで考えてた女に契約書ってのを持ち出されて、そいつを盾に金取られたっけな。多分、組合の連中にもそれがバレたんだろ。心当たりあるし、何度も行ってるから顔覚えられてるだろうし」


 そしてそれこそが、文字を読めない事への最大の弊害だ。

 人間が敷かれた法に則って生き、文字を使って契約などのやり取りを行う生き物である以上、その文字を悪用して他者を騙そうとする者は必ず存在する。そしてその毒牙に真っ先に掛るのは何時だって、文字を学ぶことすら許されなかった魔力無しなのだ。


「だからそんなショボくれた顔してんじゃねーって!」


 知らず知らずの内に気落ちし、それが表情に出ていたギルバードの背中を、ティモンは強く平手で叩く。


「今日は本当に助かったんだぜ。お前がいてくれて、本当に良かった。そうじゃなかったら、安値で買い叩かれちまうところだったんだ。本当にありがとよ、ギルバード!」


 そう満面の笑みを浮かべるティモン。

 しかし王族として教育を受け、知識という最低限のものを得てきたギルバードは、正真正銘、何一つ持たないまま社会の闇に吸い込まれた、目の前で陽気に笑う元盗賊に、何も答えることは出来なかった。




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